第六章 月齢0ー朔の月ー

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「……今朝も、寒いな……」

 ベイフィールド北部に訪れた遅い朝焼けの中、スティーブ・オースチンはテントの入り口をめくって、外の様子をうかがう。

「寒いが、良い天気だ」

 空を見上げたスティーブは、呟く。

「……お嬢ちゃん達は、ダルースに着いたかねえ……おや?」

 テントから出てきて、煮炊きでも始めようかと焚き木を並べ始めたスティーブは、雪原の先、遙か彼方に人影を見つける。

「チャックが帰ってきた……わけじゃ、なさそうだ、な?」


「混血?」

 明けてゆく空の眩しさに、闇夜になれた目を細めながら、ユモは雪風の背中で声を上げた。

「そうよ。正確には、あたしは四分の一クォーターよ」

 駆け続けながら、雪風も答える。

「あたしのパパは普通の人、ママが二分の一ハーフ

「へえ……あたし、人狼じんろうって、そういうの嫌うって思ってた」

 ユモの知識の中では、混血を嫌い純血を重んずるタイプの妖獣の中でも、人狼はその最右翼に位置する。

「間違ってはいないわよ。あたしだって、家族以外に混血の人狼ひとおおかみに会った事ないもの。あたしの家系が特殊なのよ」

 言ってから、雪風は言い直す。

「……違うわね、パパが異常なんだわ……あと、会った事無いけど、お爺ちゃんも多分……」

「どういう事?」

 同時にいくつもの疑問が鎌首をもたげたユモは、とりあえず、おおざっぱな聞き方をする。

「……いやさ、あたしが言うのも何だけどさ、普通、まともな人間の男がさ、わざわざ好き好んで人狼ひとおかみの女にプロポーズする?って話」

「えっと、それってつまり、あんたのパパファティグランパオーパが、普通の人って事、よね?」

「うちの家系って、なんか、女しか生まれないんだって。あたしは本家筋じゃないから、あたしの代くらいからはわかんないけどさ、本家の従姉妹いとこなんかみんな女ばっかよ……そんでまたあそこん家、子供多いんだこれが」

 何事か思うところがありそうな口ぶりで――端から聞くとオオカミが吠えているだけなのだが――雪風が、ぼやく。

「しかもさ、あたしが一番年上なのよ?自慢じゃないけど、あたし、従姉妹全部のオムツ替えたわよ?叔母さん、ママの妹だけど、確か一つ違いよ?おかしくない?」

「いや、うん。よくわかんないけど。あんたが思ったより苦労してるってのはわかった」

――何だろう、何これ……何?――

 ユモは、戸惑う。ものすごい残念感。ユモの知識というかイメージでは、人狼じんろうは、人知れず闇に隠れて生き、ストイックで、群れず、目立たず、良くも悪くも誰にもおもねらない。孤独にして孤高。そんなものだと思っていた。正直、勝手に、怖ろしくもあるけどちょっとかっこいい、そんなイメージを持っていた。勿論、実際にユモはその目で人狼を見た事は無かったから、主に書物からのイメージだが、しかし……今、目の前というか自分を乗せて走る人狼ユキのぼやくそれは、そういったイメージを木っ端微塵に打ち砕く、驚くほど生々しく、ごく普通の家庭的アットホームな、家族ファミリーのそれだった。


 月の源始力マナを貯め込んだ水晶球の出力を自分達に繋ぎ直す事に成功したユモと雪風は、そのために費やした時間を取りもどす勢いでウィスコンシン北部の荒野を駆けた。改めて走り出してから、ユモはオーガストの残したメモの解読に専念し、たまに雪風と意見交換しつつ、メモに散文的に、とりとめも無く書き付けられた単語の羅列をパズルのように再構成し、意味を読み取ろうとした。

 そして、ある程度満足できる結果が得られると、その後二人は、長い道のりを雑談しながら駆け抜けた。生まれも育ちも違うとは言えそこは似たような年齢の女の子同士、出会ってすぐの頃に比べれば、使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラートを交わすほど二人の親密感は高まっており、自然に、二人の会話は互いのプライベートに踏み込みがちになる。

 その中で、ユモは、人狼じんろうである雪風が、その家族構成と暮らしぶりに関する限り、何の変哲も無い普通の家庭といって良い事に新鮮な驚きを感じていた。


「あんたは、どうなのよ?」

「え?」

 違和感というか残念感に軽く打ちのめされていたユモは、突然、雪風に聞き返され、即答できず、詰まる。

「だからさ。あんた、よく、ママが先生だって言うじゃない?気になってたんだけど、もしかして、あんたのパパも、魔法使いじゃない、普通の人なの?確か、退役軍人だって言ってたっけ?」

 聞かれて、ユモは、今まで当たり前だと、何の疑問も持っていなかったことが、実は珍しい事なのかもしれないと、初めて気づいた。魔女の連れ合いが、普通の人である事が。

「……パパは、そうね、確かに、魔法使いでもなんでもない、普通の人ね」

「じゃあさ。魔法使いとか魔女とかって、普通の人じゃ、やっぱ、なれなかったりするの?」

 ちょっとだけ記憶を探ってから、ユモは雪風の質問に答える。

「そんなことはないわ。もちろん、向き不向きはあるけど、魔法は本来、自己鍛錬、自己研鑽の技だから、始めるだけならだれでもできるわ」

「でもあんた、自分のこと、『月の魔女』って言ってたわよね?」

「そうね……」

 言っていいものかどうか、一瞬だけ戸惑ったユモは、すぐに判断する。

 今更、あたしがユキに隠すことなんて、ない、と。

「……あたしは、あたしとママムティは、月の魔女。詳しいことはまだ教わってないんだけど、昔、ママムティママムティが、月から地上に降りてきたんだって」

「あんたの、お祖母ちゃん、て事よね?」

「そうね、会ったことない、あたしが生まれるずっと前に、幽体アストラルに成ったって」

「ふうん……そしたらさ」

 何事かに気付いた雪風は、あえて、そこを深掘りする。

「あんたのお祖父さんって、やっぱり魔法使い?」

「え?」

 その雪風の一言で、ユモは、自分が、自分の母父以外に、会ったことのない家族にほとんど興味を持っていなかったことを、改めて知った。

 自分を取り巻く世界、母と父と、箒たちと、母の使い魔の黒猫と、それらが暮らす店と、その店がある村と。そして、今。自分が居る、今。ユモの興味のある世界は、魔法の学習のための地理や歴史や天文学を除けば、空間的にも時間的にも、こんなに狭かったのだと、気付いた。

「……違う、はず。確か、ママムティママムティが地上に降りた時、助けてくれたのが、セルゲイ・ツマンスキーって人で……」

 母と同じ名を持つ、母の母。本来、月の魔女に名字や姓という概念はなく、それゆえ、ツマンスカヤ姓――ツマンスキ―の女性形――は、母以降のもの。いつだったか、ユモ・タンカ・ツマンスカヤという自分の名のいわれを母に尋ねた時、母がそう教えてくれたのを、ユモは思い出す。

「なんだ。じゃあ、あたしとあんた、おんなじじゃない?」

「え?……何が?」

 唐突に同じ、と言われても。ユモは、理解が追いつかない。

「だから、さ。あたしもあんたも四分の一クォーター、パパとお爺ちゃんが普通の人、そんで、お婆ちゃんとお爺ちゃんの顔をしらない、って事」


「……そうか。そう、よね」

 ユモは、ちょっと考えてから、頷いた。

「あたしは、月の魔女の血を曳く、あんたは、人狼の血を曳く四分の一クォーター……」

「そうだけど。でも、それだけじゃ無いわ」

 同意しつつ、雪風は自信に満ちた言葉を重ねる。

「あたしは、ママとパパに愛されてる自信があるし、あたしもママとパパが大好き、愛してる。世の中には、望まれずに生まれる子だって居る事はあたしも知ってる、だから、あたしはこれだけで既に幸せ。あんたも、そうでしょ?」

「それは……うん、もちろん」

 思いがけない方向から刺さってきた雪風の一言に、ユモは戸惑いつつ、頷く。

「でも、今、あたし達はどっちも、大好きなママとパパに助けてもらえない。半人前の人狼ひとおおかみと、魔女見習い」

 ユモの心に、その一言は致命的に刺さった。

「あたし達は、生まれも育ちも違うけど、親が大好きで、親に愛されてる自信があって、その親のところに帰りたいと願う、半人前のガキだってところはおんなじ。違う?」

「……そうね」

 素直に、ユモも同意する。

「おまけに、どっちも四分の一クォーター、と。ね、面白くない?」

 雪風は、さも面白い事のようにユモに聞く。

「……こんな偶然って、あるのね」

「運命の悪戯、ってやつかしら?」

 ユモの呟きに、雪風が答え、ちょっと言い淀んでから、続ける。

「……あのさ。あたしさ、さっきあんたが『友達』って言ったじゃん?あれ、すごく嬉しかったの」

「……え?」

 ユモは、記憶をたぐる。ああ、そういえば、さっきあの男に聞かれた時、そう答えたっけ。

「言っとくけど、友達はいるのよ?学校とか。でも、さ。あんたみたいに、本当の意味で何でも話せる相手って、家族以外じゃ初めてでさ」

 ああ、そういう事か。ユモは、納得する。あたしも、村の子供達と友達ではあるけど、そう言う意味で何でも話せる相手ってのは、確かに居なかった。村では、ママムティとあたしが魔女である事は周知の事実だったけど、だからといって村人に全てを話せるわけではないし、多くの村人はやはり何らかの遠慮はしている、それが当たり前だと思ってた。

 でも、雪風は違う。確かに生まれも育ちも違うけど、秘密を打ち明けても、何の不都合も無い相手。多分、あたしがうっかり何かやらかしても、平気で笑ってフォローしてくれる、そんな相手。

 ああ、そうか。ユモは、自分が感じていた感覚の正体に気付く。これは、安心感だ。家族と居るのととてもよく似た、何も遠慮しなくて良いという、安心感。でも、ユキはあたしの『家族』では、ない。

 だから。無意識に、『友達』って言ったんだ。あまりに無意識過ぎて、自分でも忘れてたくらいに、気を置かなくて良い、友達。

 ユモは、疾走する雪風の太い首筋の毛皮の奥に両手を沈め、逞しい肉体の働きをその掌から感じ取る。

「あたしも、そう、みたい……」

 村では、古い村人には、ユモ達が魔女である事は周知の事実だが、それは余所者には話せない事実でもある。そして、今、村は急速に近代化、都市化され始めていて、その『余所者』が何人も移り住んできている。魔女である事について、新しい生き方を考えなくちゃいけない、そんな事を、ママムティが言ってた。

 ユモは、気付く。

 多分、あたしより50年以上先の世界から来たユキは、それ・・がもっと進んだ世界を生きてきたんだ。あたし達みたいなのが、もっと生きづらくなった世界を。

――だから。きっと、だから、ユキはこんなに仲間に、『友達』に優しくて、頼もしいんだ……――

 ユモは、ユキの首筋に置いた手を伸ばし、その太い首を抱きしめる。


「正直言うとさ。あたし、一昨日おとといの朝さ、あんたのこと、ホントに1発ぶん殴ってやろうかと思った」

「え?」

「あんたが、あんまりわがままだからさ……でも、追いつくまでに頭冷えたのよ、仕方ないって。だって、あんた、ガキなんだから」

「ちょっと!何よそれ!」

 ユモは、頬ずりするようにしがみついていた雪風の首筋から半身を起こす。

「ガキって何よ!子供扱いしないでよ!それにあたし、わがままじゃないもん!」

「それがガキだってのよ」

 ユモの抗議を意に介せず、雪風は、笑う。狼の顔で。牙を剥き出しにして、しかし、優しい目で。

「そのガキのわがままでもさ、実際ガキなんだからしょうがない、あたしだってきっともっと小さい時はそうだったろうし、だから、妹分の不始末は姉貴分のあたしがカバーしなきゃって、思ったの。みんなそうやって、経験して繋いでいくんだからって、前にママに言われたの、思い出して……それに、あんた、今は、契約した以上はあたしの主人マスターなんでしょ?だったら、使い魔のあたしは、なおのこと妹分のあんたをきちんと護ってあげないとね」

「妹……?」

「そうよ」

 ユモは、思い出す。ユキは、あたしより年齢そのものは二つ上だ、と。二歳くらいの違いは、成人してしまうとあまり意味は無いが、十代の頃には大きな意味を持つ。

「あたしは一人っ子だけど、従姉妹は全部年下だから妹みたいなもんだし。だから、あんた一人増えたってどってことないし。だから、あんたの事はあたしがキチンと護ってあげる。あたしは、あんたの姉貴分なんだから。そう決めたの」

 そう言う雪風の口調は、何故か少し嬉しそうだ。

「だから、せいぜい甘えなさい」

「……偉そうに……わかったわよ」

 ユモは、しかし、初めて感じる自分のその感情を、どう理解したものかよくわからない。

「確かに肉体年齢はあんたの方が二つ上なんだし。言ったからにはきちんと護ってよ、使い魔一号フェアトラート エアステ!」

「任しときな!……見えてきたわよ!」

 低緯度地方の低い朝日の中、まばらになって来ていた森の木々が開け、灌木のちらばる雪原に、長い金髪をなびかせる魔女見習いと、それを背に乗せる漆黒の狼は躍り出る。

「……さすがね……」

 本当に一晩で着いた、その事に軽く驚嘆して小さく呟いたユモを他所に、雪風がやや浮かれ気味に言う。

「懐かしの雪原、懐かしのキャンプ、懐かしの……ちょっと待って!」

 その雪風の声が、突然、強ばる。肌を接するユモには、毛皮の下の雪風の筋肉が緊張するのが伝わるが、その時にはユモもその理由に気付いていた。

「これ……アレだ!」

 雪原の向こう、目指すテントのある方向から、遠く微かに、銃声が響いてきた。

 

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