308
その夜。ユモとユキは、裸で一つベッドの中に居た。
別に何やら怪しい関係というわけではなく、単に寝る前に着たきり雀だった下着を二人とも洗い、セントラルヒーティングを利用して乾かそうにも流石にそこまですぐには乾かず、やむを得ずこうなった次第であり、裸で寝る事に比較的抵抗のないユモはともかく、きっちりパジャマを着込んで寝る事に慣れているユキはかなり戸惑ったのも事実だった。
なお、この関係もあって、自分はソファで寝るから二人でベッドを使えと言っていたチャックに「疲れてるのは同じ、年上は敬うもの」という理屈でもう一つのベッドに入ってもらったのも、何もないとは思ってもやはり一人で裸でベッドに入っているのは不安が強いユキの希望でもあり、しかしながら、二人で同衾すればそれはそれで落ち着かず、なかなか寝付けないユキでもあった。
だからこそ。ユキは、気付いた。もうずいぶん前にベッドに入ったはずなのに、一緒に入ったはずなのに、ユモも、やはり寝付いていない事に。
「……眠れないの?」
ユキは、自分に背中を向けるように寝ているユモに、小さく声をかける。少しだけ離れたベッドに、窓側のベッドに寝ているチャックには、聴き取れない程度の、小さな声。
「……眠りたいわよ。でも、眠れないの」
ユモは、小声で言い返す。だが、その声にはいつもの元気が、打てば響くどころか倍返しにして来る元気がない。
「ベッドはやわらかくて、暖かくて、お腹いっぱいで、疲れてて、眠くて。だけど、このまま寝たら、きっと悪い夢見ると思って……」
「……悪い夢?」
重ねて、ユキは聞く。ややあってから、ため息に続いて、ユモの声が返ってくる。
「そうよ……
「勝手に外泊してるから?」
「違うわ」
ユモは、一旦言葉を切る。切って、少し身じろぎして、それを口に出す決心をしてから、言う。
「……あたしが、
「あたし、考えてたの。あの光る水晶玉は、この」
ユモが動く気配。きっと、ユモは胸元の水晶玉を握ったのだと、ユキは感じる。
「水晶玉と対になってて、
「ああ……まあ、そういう事よね」
ユキも、ユモの言った内容には気付いていた。どう考えても、そうとしか思えない、と。
「それくらい、ニーマントは外に出してはいけないものだった、って事。あたしは、考え無しに、それを外に出しちゃった。しかも、封じるための光る水晶玉も無くしちゃった……さすがに、怒られるだろうなぁ、って」
「……怒られるのは、嫌?」
「当たり前でしょ!
思わず大声で怒鳴り返しそうになって、しかし、すんでの所でボリュームを絞って、ユモは続ける。
「……でも、怒られるのは良いのよ。だって、あたしが悪いんだから。でも、あたしがやった事は、怒られた程度で済む事じゃない気がして……それに、ニーマントを、もしも、もしもよ、取り返せなかったら、どうやって帰ったら良いのかって。あの光る水晶玉だって、きっと凄く大事なものだったはずなのに、あたしのせいで無くしちゃって……」
最後の方で、ユモの声はさらに小さく、か細くなり、
「……でも……でもね……」
消え入りそうな声で、ユモは、言った。
「……怒られても良いから……あたし、
ユキは、ユモが微かに震えているのに気付く。
気を張っていたんだと、周りに人が居る時は気取られないようにしているんだと、ユキは思った。いや、帰る事だけを考えて、それ以外の気持ちやら何やらを置いてきぼりにしているのかも知れない。けど、静かになって、落ち着いたら、色々思い出し、考えちゃったんだろう。
気持ちを張り続けるのも、限度がある。顔に出さないようにするのも、四六時中ってわけにもいかない。それは、凄くよく分かる。だって。
あたしも、そうだから。
だから。今朝、あたし達は爆発したんだ。お互いに、我慢の限界だったから。言って良い相手が、あたし達だけしか居なかったから。
でも、だから。あたし達は、ちょっとだけ、分かり合えた、ような気がする。
少なくとも、お互いに、ずっと我慢してた、それだけは分かった。
ユキは、ユモが、ジュモーが意地っ張りであり、自信過剰であり、そして、自分より二つ下の、まだまだ精神的には幼くか弱い少女である事を、強く思う。自分の弱さを吐露したユモを、ジュモーを、その意味でも、自分が護るべき対象なんだと、改めて思う。
ただ、今朝の一件もあって、いつもよりユモの感情の起伏が大きくなっている事に加え、ユモの中で、ユキに対して強い感情を露わにする事に戸惑いがなくなって来ているという事は、ユキはまだ、気付いてはいなかった。
「……ひゃ!」
ユモは、後ろでユキが身じろぎしたと感じた直後、強く、しかし優しく抱き寄せられて、ほんのちょっとだけ、小さく、悲鳴を上げた。
「な、何!」
「……あたしもね、ママにいっぱい叱られた。パパにも。でもね、たいがい、最後にこう言われるの」
ユモの耳の傍で、ユキが呟くように、言う。
「子供なんて、そうやって大人に迷惑かけるのが仕事なんだから。せいぜい一杯迷惑かけて、一つ一つ勉強しなさいって。ただし、何やらかしたかはちゃんと報告しなさい。そしたら、あたし達がキチンとケツ拭いて、落とし前つけてあげるから、親なんざそのために居るんだから、って」
「ユキ……」
ユモは、思った事を素直に口にした。
「……あんたのママ、口悪いわね」
「そうね。うちのママもパパも、あんまり口は良くないわね。叔母さん達も、お婆ちゃんも。うちの家族みいんな」
素直な一言に、素直に答えて、ユキは小さく笑う。
「でも、そう言ってママは、いっつもあたしを抱きしめてくれた。だから、あたしは、何があっても護ってもらえるって信じてた。信じてたから、何やらかしても、嘘だけはつかないようにしてた」
言いながら、ユキはユモを抱く腕に力を込める、少しだけ。
柔らかい温かみを、ユモは背中に、ユキは胸と腹に感じる。
「だから、帰ったら、ダッシュでごめんなさいしに行けば良いと思う。大丈夫よ、あんたのママでしょ?偉大な魔女なんでしょ?あんたがやらかす事くらいお見通しで対策用意してるわよ」
「……そう、かなあ……?」
「そうよ、親なんてね、こっちのやる事は大抵お見通しなのよ。ママもパパも言ってたもん。大体、あたし達のやった事と同じ事やらかす、って」
「そう、なの?」
「そう、らしいわよ?」
「ふうん……」
ユモは、ユキの腕の中で体を回して、向き合う。
「あんた、だとしたら相当やらかしてるのね?」
ユモの
「あんただって、相当やらかしてるんでしょ?」
ユキのやや垂れた目が、ユモのやや吊った目を見つめ、ふっと緩んだ。
こつん。どちらからともなく、二人の額が、触れあう。
「……帰りましょ。帰って、さっさと謝っちゃお」
「そうね……それが一番だわ」
ひとしきり、二人は小さく笑い合い、お休みを言い合って少し体を離すと、やがて寝息が聞こえてきた。
同時刻。ベイフィールド半島深部。
スティーブ・オースチンは一人、テントの中で普段は出来ない装備の点検整備を行っていた。
なにしろ、昼にチャックが小娘達を連れて出てから一人きりである。背中の傷はまだ引きつるが思ったほどは深くはなかったようで、オーガスト・モーリー大尉が残した抗生物質や解熱剤等のアンプル及び注射器の世話になる必要はどうやらなさそうだった。
「……まあ、どう転んでも三日は帰ってこないだろうしな……」
一人分だけよそった畜生鍋を肴にブランデーをチビチビやりながら、スティーブは独りごちる。今頃チャックはアシュランドでもう宿を取っているだろう、アシュランドで大尉に追いつけるとはとても思えないが、足取りが掴めれば娘っ子を切り離して追跡、掴めても掴めなくても小娘どもはダルースに送り出し、知己のミネソタ州クック
そのスティーブの耳に、小さく、微かに、しかし忘れる事の出来ない音が、届いた。
「……え?」
最初、スティーブは、耳鳴りだろうと思った。あるいは、もう酒が回ってきたのか、と。
だが。徐々に大きくなるその音は、確かに聞き覚えのある音色で、スティーブの記憶を呼び覚ました。
「……あの音?か?」
それは、フルートに似た不協和音。遠く低く、近く高く。夕べこそ聞こえなかったが、その前は何度も聞こえた、あの音。
「いやいや、まさか……」
スティーブは、組み立てかけのスプリングフィールドM1896ライフルをとっちらからないように気を付けて横に置き、テントの入り口の幕から外を覗く。
そこそこに強く風が吹き、雪もかなり降ってきて見通しのきかない闇夜の中。スティーブは、まさかと思ったものを、見た。
それは、濃い雪の幕を貫き、照らし、光る、青い光の柱だった。
「いやいや、待てよおい……」
スティーブは、思い出す。
確か、俺たちが出入りした穴の他に、地上から真っ直ぐに地下に向かう穴が一つ、あった。そこから、光が真上に漏れているのに違いない。違いないが……
「……ユキが、崩して塞いだんじゃなかったのかよ……」
遠くから風に乗り、風を貫いて聞こえてくるフルートのような音色。それは、以前よりも明らかに音楽らしいメロディになっており、しかしながら、どこか不安を覚える半音の組み合わせで、もっと聞きたいような、耳を塞いで立ち去りたいような、複雑な感情を胸の中に引き起こしてスティーブの神経を責めさいなむ。そして、スティーブは、見る。見て、しまった。
何かが。霧のような、雪の塊のような、何かが。
一時、ひとしきり高まったフルートの音色に合わせるように。
青い光に沿って。青い光にまとわりつくように。青い光に乗って。
地表付近で渦巻いたかと思うと、伸び上がり、舞い上がり、飛び上がり。
そのまま、低く厚い雲を貫き、雲に同化して見えなくなる。
だが。スティーブは感じていた。
低く垂れ込めた雪雲が、北から南に脈動し、何かが、明らかに雲とは異質で、しかし雲でしかない何かがそこを、スティーブの頭上を通り抜けた事を。
いつの間にか、息をする事すら忘れていたスティーブは、いつの間にか雪が小止みになり、風が収まり、そしてフルートの音も停まっている事に気付いて、大きく息を吸い、吐いた。
スティーブにとって幸いだったのは、その何かは雲の上にあって、その双眸は目的地だけを見つめ、雲の下にはまるで関心を持っていなかった事だった。
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