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「……ジュモー嬢は、御自宅を雑貨屋だとおっしゃってました。曰く付きのものもあると。してみるとつまり、ミスタ・ニーマント、あなたがその曰く付きである、ということですか?」

 暗闇の中、淡い光を放つ水晶玉にしばし見入っていたオーガストは、ふと我に帰ったように、冷静な声で、聞いた。

「……残念ですが、私にはその店のことは分かりかねます。恐らくは私が最初に居たところがその雑貨屋なのでしょうが、ジュモーさんがおっしゃったとおり、私はそれまで箱に入っていて、箱を開けられてすぐにその場から飛び出してしまいましたから」

「あなたは先ほど、あなたの感覚は遮蔽物も透過するとおっしゃいましたが?」

「その通りですが、意図的に遮蔽のまじないがかけられていれば、当然ながらその限りではないのです」

「遮蔽の、まじない?」

「あなた方に理解のしやすい、有り体な言葉で言うなら、魔法、です」

「魔法……」

 オーガストは、絶句する。魔法、それは、現実主義者出なければ務まらない軍人の、しかも軍医の想像の外にあった。

「……正直に申し上げて、私には理解しかねます。そのような概念が存在するのは知ってますが、たいがいは集団幻覚、何らかの幻覚性の薬品による酩酊から来る妄想、あるいは、宗教的な理由による迫害の理由とするための空想、そういったものだと理解していました」

「なるほど、いかにも現実主義者らしい理解のしかたです。勿論、大筋において間違ってはいないのでしょう。しかし、それとは別に、魔法は、魔術は、あなた方が超自然的な現象と呼ぶものは存在する。現に、私が存在し、そしてあなたの手の中には、その水晶玉がある」

「ええ、その通りです。私が理解出来るか否かに関係なく、事実として、それは今まさにここに存在している。私が理解しているか否かなど、些細な問題、いや、問題ですらない」

「……理解が早くて何よりです」

 ニーマントの声に、何らかの感情が、薄く、乗った。

 それは、好意、あるいは笑い、だったのかも知れなかった。


「……整理しましょう。まず、この水晶玉は、魔法によって光を放つ、現代科学とは別の技術によって作られたものである。これは確かですね?」

 オーガストは、自分に噛んで含めるかの如く、目の前の事実を述べる。

「その通りです」

 ニーマントは、それを肯定する。

「そして、ミスタ・ニーマント、あなたは、人間ではなく、ジュモー嬢の持つ宝石の中に存在する意識である」

「おおむねその通りですが、私自身、それを完全に肯定する根拠を持ちません。あの多面体トラペゾヘドロンが私自身なのか、だとしたらどうして鉱石が意思をもっているのか、私自身説明がつけられないのです」

「と、言いますと?」

「私には、記憶がありません。しかし、こうしてあなたと話をして、それなりに語彙を持ち、それを使いこなしている以上、何らかの知識や経験のベースはないわけがありません。恐らくは、私は、私の記憶や経験を持ってはいるが、それを利己的な目的で利用する事が出来ない、そういう状況なのでしょう。先ほど、私は自分の名前を思い出しました。この事からも、これはほぼ間違い無い事実だと考えます」

「なるほど、では、その記憶を読み出せれば、色々なことが分かる、と?」

「恐らくは。名前の件からしても、何らかのきっかけさえあれば」

「なるほど……それは非常に興味深い。そして、ミスタ・ニーマント、あなたは、ジュモー嬢と共に、何らかの方法で、本来の位置からここまで移動して来た、恐らくは、その、魔法というやつで」

「繰り返すようですが、それが魔法である確証はないです。わたしには、それを確かめる手段がない。しかし、充分にあり得る話ではあると考えます。宝箱に罠を仕掛けるのは、泥棒除けの基本でありましょう?」

「なるほど……実に、本当に興味深い……」

 オーガストは、しばし考え込む。考え込んで、すぐに答えを出す。

 人道的でも、感情的でもなく、ただひたすら軍人として、国に貢献する働き手としての、答えを。

「……ミスタ・ニーマント、どうでしょう、私と共に、軍に来ていただけませんか?」

 ニーマントの答えは、一拍ほど、遅れた。

「……私を、どうするおつもりですか?」

「我が軍の発展に、協力していただきたい。例えばこの水晶玉は、原理や構造が解明出来れば、きっと兵士の役に立つでしょう。そして、私が思うに、ミスタ・ニーマント、あなたは、あなたの隠された知識は、この水晶玉の比ではない。無論、私はあなたとは持ちつ持たれつギブ アンド テイクの関係を持ちたいと望みます。あなたに望みがあるなら、それが何であれ、軍に掛け合い、それを叶える力になれるでしょう」

「なるほど……それが魅力的な提案かどうか、今の私には測りかねるのですが……問題が二つ、あるように思います」

「問題?」

「はい。一つは、少なくとも今の私の望みは、私が何者であるかを知る事。非常にあいまいで、具体性に欠ける望みです。軍隊の、物理的な力でどうにかなるものとは、少々思えません」

「なるほど、しかし、軍には調査機関もあります。兵力だけが軍の本質ではありません」

「ああ、なるほど、確かにそうです。それならば、何とかなるかも知れません。ですが、もう一つの問題は、私やあなたの力でも、きっとどうにもなりません」

「……それは、どういう?」

「それは、私は自分では動く事が出来ない、という事実に集約します。自分で動く事の出来ない私は、今、私を所持しているジュモーさんの手を自力で離れることは出来ず、ジュモーさんも、私が生家からの跳躍に関与していると思っている以上、私をおいそれと手放す事はしないでしょう」

「なるほど……それは、厳しい問題ですね」

 オーガストは考え込み、ニーマントも、そろそろユモとユキが気が付きそうだ、可能であれば話はまた後ほど、そう言って沈黙した。

「……とはいえ、私は、軍に、国に奉じる身、ですからね……」

 長い沈黙の後、そう呟いて、オーガストは水晶玉の光を頼りに洞窟の出口を目指して歩き始めた。


 雪は、夜半よりも強くなってきているように思えた。オーガストは、馬上で、防寒外套の襟元を締め直す。

「やれやれ……この調子では、あまり先を急ぐのは無理がありそうですね」

 誰に言うともなく、オーガストは呟く。遅かれ早かれ、ジュモー嬢は私がミスタ・ニーマントを、黒い宝石のはまったペンダントを無断で持ち出したことに気付き、追ってくるだろう。スティーブとチャック、あの二人に本気で追われては、正直分が悪い。だが、少なくともスティーブは今は馬に乗れる体調ではない、乗れたとしても、追撃の強行軍は不可能。あとはチャックだが、それも、出がけに施した細工のかげで半日程度は時間が稼げるだろう。だが、休んでいる余裕は無さそうだ。一刻も早く、基地にたどり着かねば……鉛色の空をあおいで、オーガストは思った。この雪が、吉と出るか凶と出るか。まだ雪は大したことは無い、風もほとんどない。天候が悪化する前に、距離を稼いでおかないと……

「……夜が、明けますね」

 オーガストの服の下から、ニーマントの声がした。直接耳を叩くと言うが、そう意識しているせいか、その声はその多面体トラペゾヘドロンから聞こえるように、オーガストには思えた。

「……ああ、夜明けだ……」

 馬を停めず、オーガストはちらりと東を、南下する進路から見て左手を一瞥し、呟いた。


「今すぐ追いましょう!オーガストはどっち行ったの!」

 鬼気迫るとはこの事か、噛みつくような勢いで、ユモはチャックに詰め寄る。さすがに傷病者であるスティーブに無茶をしない程度には心得ているようではあるが、

「不寝番が終わってから逃げたとして三時間、頑張れば今日中に追いつけるわ!そうでしょう!」

 有無を言わさない勢いで、ユモはチャックに食ってかかる。

「……無理だ」

 流石にその勢いに押されつつも、チャックは一言だけ、反論する。

「なんでよ!馬の腕も、馬自体も、あなた達の方が上に見えたわよ!」

「手綱が切られてる。腹帯もだ」

「……え?」

 簡単明瞭に追撃不可能の理由を述べたチャックの予想外の一言に、ユモは隙を突かれて一瞬意識がフリーズする。

「……やってくれたか……ってえ!」

 しかめっ面で、片手で目を覆い、芝居がかって寝床に倒れ込んだスティーブは、背中を縫ったばかりである事をその痛みで思い出す。

「え?破壊工作?って事?」

 ユキは、じわじわと状況が理解出来てくる。まさか、そんな、そう思っていたが、追っ手を送らせるための破壊工作もされているとなると……

「修理は出来るが、半日はかかる。他にも細工されている可能性があるから、それも確認しないといけない」

 チャックが、言葉を重ねる。思い沈黙が、テントの中を支配する。

「……!」

 床を見て唇を噛んでいたユモが、力任せに両手を振り上げ、振り下ろすと、1歩ごとに大地に怒りを刻み込むかのような足取りでテントの出口に向かう。

「……どこに行く?」

「決まってるでしょ!」

 スティーブの問いかけに、振り向いて喰い気味にユモは怒鳴る。

「馬がダメなら、歩いてでも追っかけるわよ!」

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