208

 ユキから発せられた、本質をついたそのド直球の質問に、ユモは思わず息をのみ、ニーマントの返事を待つ。

「可能不可能の話で言えば、可能です」

 その一言を聞いて、ユモは胸の奥が、目頭がカッと熱くなるのを感じる。帰る手段が、ある。それは、何よりも待ち望んでいた朗報だ。

「ですが、実際には簡単な話ではないと考えます」

 だが、ユモのその希望に、ニーマントの言葉が冷や水をぶちまける。

「どういう事よ!」

 思いは同じだったのだろう、ユキが、食い気味にニーマントに――正確には、ユモの手からぶら下がった多面体トラペゾヘドロンに――詰め寄る。

「まず、私には、目的地の選択権がほぼありません」

「……え?だって、さっき、自分でここに逃げてきたって……」

「言葉のあやです。正確に言うなら、複数提示された目的地のうち、ここに強く誘引・・された、でしょうか。確かに候補は複数あるのですが、ここ以外を選ぶ気持ちがなかったことから考えて、私の自意識より強い何らかの力によって、ここを選ばされている、そう表現すべきでした」

 ユキの追及に、ニーマントは全く取り乱すことなく答える。

「さらに」

 暗闇でもなお伝わるユキの落胆、それはユモも同じだが、それを全く無視してニーマントは続ける。

「時空間跳躍は、何らかの条件が成立する必要があるようです。それが何かはわかりませんが、少なくとも、今は跳躍できる気がしませんし、跳躍の候補先も見えません」

「そんなぁ……条件って……また逃げたくなるとか?」

「かもしれません」

 落胆しつつも、かすかに見えた希望を少しでもはっきりさせようとするユキに、ニーマントも答える。

「そうではないかもしれません、何か別な条件かもしれませんし、条件が一つとも言い切れない。私にも、わかりません」

 希望は、途絶えてはいない。まだ、はっきり見えないだけ。ともすればぬか喜び後の落胆で絶望しそうな心を必死に鼓舞しつつ、しかし、ユモは、声をあげてしまう。

「……何よそれ」

「ジュモー?」

「何よ、行き先も、行き方も分からない、自由にならない、それじゃあ、帰れないのと同じじゃない!」

 多面体トラペゾヘドロンを、ペンダントを持ち、吊す右手が震える。腿の上の左手は、強くローブを、黒いワンピースのロングスカートを握りしめる。

「折角帰れると思ったのに!やっぱりダメなんじゃない!」

 熱い涙が、頬を伝う。右手が、ペンダントを支えきれず、膝の上に落ちる。背を丸め、ユモは嗚咽を漏らし、それでも、必至に歯を食いしばり、泣き叫ぶのをこらえる。

――矜持だ。ジュモーの、魔女の、これが矜持なんだ――

 ユキは、目には見えなくとも肌で感じるユモのその姿に、それを感じる。落胆したのは自分も同じ、でも恐らく、期待が自分より大きかった分、自分で箱を開け、多面体トラペゾヘドロンを取りだしてしまった分、落胆の落差は、ジュモーの方が大きかったのだろう。取り乱したっておかしくないのに、それを自制している、我慢しようとしている。これが、ジュモーの矜持、理屈抜きのジュモーの意地なんだ、と。

――別に、いいのに。泣きたい時は、泣いていいのに――

 そんなユモの、ジュモーの無理にでも気丈に振る舞おうと、気丈であると見せようとする姿を見て、感じて、ユキは、その嗚咽を頼りに手を延ばし、その頭を抱く。

「大丈夫、落ち着いて、考えよ。あたしとあんたの時の共通点を探して、二人でじっくり考えれば、きっと正解が見つかるよ」

 ユモの後ろ髪を撫でながら、ユキが囁いた。

「……見つかるかしら……」

 ひとしきり嗚咽を漏らしてから、鼻を啜って、ユモはユキに言葉を返した。

「見つかるって。見つけるのよ。大丈夫、少なくともあんた、あたしより頭のいい魔女なんでしょ?」

 ぴくり。ユモの肩が動く。

「……そうね、そうよ、あたしは偉大なる魔術師マーリーンに連なる者、ママムティの娘、月の魔女の末裔だもの。この程度、解けないわけがないわ。そうよね!」

 徐々に強くなるユモの語気に、ユキは肩の力を抜く。

「そうよ、あんたは偉大な魔女見習い、そうでしょ?」

「見習いは余計よ!ママムティが認めてくれてないだけで、技も力もちょっとしたもんなんだから!」

 ユモが、顔を上げた気配がする。ユキは、そのユモの額に、自分の額を、コツンと軽くあてる。

「じゃあ、がんばろ?」

「勿論よ!そうと決まったら、さっさと上に戻りましょ!」

 ユモは、暗闇の中でユキの肩に手を置いて、立ち上がる。

「ニーマント!あとでゆっくり、もう一度話し合いましょ。それから、ユキ!」

「ん?」

 ユキは、真っ暗な中、声のする方に顔を向ける。ここ一両日で見慣れた、自信満々で生意気そうな、金髪の少女の得意満面な笑顔がそこにあるのが、心の目に、見えた。

「あたしの事、子供扱いしないで頂戴!」

「……はいよ」

 ユキは、笑って答えた。


「……こんな事が出来るんならさぁ」

 ユモが展開した魔法陣の上で、ユキは軽く不平を漏らす。

「落っこちる前にやって欲しかったんだけど」

「しょうがないじゃない!」

 ユモは、ちょっとふてくされ気味に言い返す。

「あの時は慌ててたんだから!それに、他の人の目もあったし!」

「ああ、オーガストさんか……あっちは大丈夫かなあ……」

 なんとなく、魔法陣から下を覗き込んで、ユキは呟いた。


 空中に魔法陣を描き、それを足場にする。場合によってはクッションにしたり、トランポリンのように跳躍の補助にしたりもする。ユモほどではないがやはり背の低いユモの母の得意技であり、脚立や梯子を用意するのが面倒な時にその母がよく使う、店の棚の高い所の物を取る時の必殺技なのだという。得意技であるから使用頻度も高く、使用頻度が高いからこそ技がこなれ、無駄が削ぎ落とされた呪文は短く簡潔になる。

「父と子と精霊の御名の元に、精霊よ、かりそめの大地となりて我を支えよ!」

 聖灰と水晶粉を自分の周りにくるりと回りながら撒きつつ、早口で呪文を唱えたユモの足下に、魔法陣が出現する。そのままではそこに留まり続ける魔法陣に、ユモは術を重ねる。

「我が周囲に五芒星燃え、我が頭上に六芒星輝く。精霊よ、遅れる事無く我がかりそめの大地を星の縛りから解き放て!」

 指につけた聖水を四方に――ユモは体感で東西南北を知れるらしい――撒きつつ追加の呪文を唱えたユモは、一呼吸してからユキに言った。

「乗って!」

 そうして今、光る魔法陣に乗ったユキとユモはふわりふわりと魔法陣ごとゆっくり浮き上がり、得体の知れない横梁のような物を手で押して避けつつ上昇していた。


「木の根、じゃない?何これ?」

 ユキが、障害物を手で押して除けながら、誰ともなく聞く。

「化石のようです。とりあえず、それは倒木の化石のようですが」

「化石ぃ?」

「上の方は本当に木の根ですが。このあたりはかなり古い堆積層のようですね」

 ユモのローブの胸元から、ニーマントの声がする。

「よそ見してないで、ちゃんと押してよ?……にしても、よくこんな所落っこちてきて無事だったわね」

 指先に灯したほんのわずかの明かりで先を照らしつつ、ユモも呟く。

「ジュモーさんは、ユキさんが庇ってましたから」

 ユモの胸元のニーマントがフォローを入れる。服の下に隠れている状態、かつ、この程度の光なら、ニーマントはしゃべれるようだ。そのニーマントは、ユモとユキが落下する時の状況も『見て』いたらしい。

「それはありがとうなんだけど、あんたは大丈夫だったの?」

 視線だけをユキに向けて、ユモが聞く。

「まあ、あたしはほら、体が頑丈なのがとりえだから。あんたを護るって決めてたし」

「ふうん……まあ、お礼は言っておくわ」

「どういたしまして」


「ちょ……ちょっと……休憩……」

 肩で息をしながら、ユモは足場の木の根の上で言う。さすがに、スティーブとチャックが居るだろう所まで、魔法陣に乗ったまま行くわけにはいかない。なので、少し手前からは自力でよじ登ろう、そういう事になってはいたが、実際にやってみると、登るだけで一苦労どころではなかった。

「大丈夫?」

 ちょっと先で、ユキが振り返る。

 そもそも、木の根自体が楽に登れるような間隔で生えているわけではない。むしろ、どうやっても手が届かないレベルで離れている事の方が普通で、しかし、そこを恐るべき跳躍力とスタミナと、何より正確さでユキが先行し、細い根っこをロープ代わりに投げたりしながら少しずつ登ってきてはいた。

――もうちょっと上まで、まじないで登れば良かった――

 ユモは、ストレートに後悔する。上から見られる可能性を多めに考えて、早めに術を解いたのだが、ちょっと慎重に過ぎた、と。

「じゃあ、少し先の様子見てくるから、待ってて」

 軽く言って、ユキは軽く助走をつけてから三角跳びの要領で壁を蹴って一つ上の根っこに飛び移った。

――どんな体力してんのよ……――

 ユモは、指先の光をそちらに向けながら、ユキを見つつ、思う。

――薄々思ってたけど。どう考えても人間離れしてるわよね……――

 ユモは、考える。あの体力、瞬発力。この高さをあたしを庇って落ちて、ピンピンしてる頑丈さ。それに、今だって、決して明るいわけじゃない、あたしの周りがやっと見える程度の明るさで、でも『あたし、夜目は利くから』とか言って先に進んで。絶対、人間離れしてる。

――話せないって、聞かない方がいいって、そういう事?なのかな?……――

 ユモがちょっと考え込んだ、その時。

「ジュモー!」

 ユキが、凄い勢いで戻って来た。文字通り、跳ぶような勢いで。

「わ!な、何!」

「明かり消して!すぐそこにチャックさん居た!近くまで行くから!」

「え?え?」

 戸惑いつつも、指を振って明かりを消したユモを、ユキは軽々と抱え上げた。

「ええぇ?」

「行くわよ!」

 言うが早いか、ユキはユモを抱えたまま走り出し、先ほどと同じように跳ぶ、ユモにとっては真っ暗な中を。

「ちょちょちょ!ま、前!み、みえ!見えてる、のぉ?!」

「大丈夫!」

 流石に動転して聞くユモに、答えるユキの声は、気のせいか少しだけ聞きづらい。

「上から光来てる、これくらいなら見える!」

 ユモにとっては真っ暗な中、ユモは、ユキの腕に抱えられて、凄い勢いで上下左右に揺すられていた。

 その暗闇の中、ユモは、ユキの目が金色に光るのが見えたような気がし、また、ごく最近同じような事があったようなデジャブを感じた。


「どうした?」

 役割を交代し、今度はチャックをサポートするスティーブが、ふと動きを停めたチャックを不審がり、聞く。

「子供達の声だ」

「何?」

 チャックの返事に、スティーブは耳を澄ます。何も聞こえない……いや、何か、聞こえた。言われてみれば、ジュモーの悲鳴のように思えなくもない、絹を裂くような音。

「お嬢さん達か?」

 『巨人の頭のような』歪な卵形の空洞の下端の穴の縁でロープをサポートしているスティーブは、無理は承知でそのロープに体を縛りつけて少しだけ下に降り、足場になる根っこのような物の上に立ち、さらに下にランプを垂らすチャックに聞く。

「そう聞こえた……待て、居た!」

「その声、チャックさん?」

 5m程下、別な木の根にしがみつくようにしながら、かろうじて顔の判別がつくかどうかのランプの明かりに、ユモの金髪が揺れ、光った。

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