お姉さまに挑むなんて、あなた正気でいらっしゃるの?

中崎実

第1話 その「婚約」は成立しておりまして?

「あらまあ、婚約破棄はきですか。それで?」


 鼻息荒く、得意げな顔をして『貴様との婚約は破棄だ!』と怒鳴った子爵令息オドラル様に、お姉さまはいつも通り冷静でいらっしゃいました。


「それで、とはなんだ!傷物のくせに!」


 あの、面会を約束もせず押しかけてきてお姉さまを怒鳴どなりつけてるオドラル様、非常識が服を着ているようなあなたがそれをおっしゃいますか……とは思いましたものの、わたくしから口をはさむことは致しません。


 お父様はオドラル様のご来訪を御存じだったようですけれど、この応接間の主はお姉さま。オドラル様が面会を申し込んだ相手も、お姉さま。わたくしはお姉さまの指示でこちらに顔を出しておりますので、お父様がどれだけ目配めくばせしていても、お姉さまが何かおっしゃらない限り、貝のように沈黙を守る予定でございます。


「あなたの婚約がなくなっただけですもの、何も問題は起きておりませんわねえ」


 口元だけの微笑みを浮かべていらっしゃるお姉さまですが、まだ本気で怒っていらっしゃるわけではありません。もう十分に怖いのですけれど。


「ふん!強がりやがって!女のくせに意見しようなんて生意気なんだよ!!一発殴ればおまえも」

「取り押さえて」


 後ろを振り向きもせず、顔色もかえずに命じたお姉さまに、即座に護衛が応じました。


 護衛の者たちは侍従の恰好をして控えておりましたが、子爵令息オドラルさまはそもそも、身分低い者たちの耳目を気にするような方ではありません。これまでにも家中の者がいるところで秘密の話を堂々とするなど、困った行いの目立つ方でしたから、護衛が変装していなくても気が付かなかったのではないでしょうか。


「何をする!」

「ああ、そちらのとその夫人も確保を」


 お姉さまの指示で、背後にいた別の者が、お父様の喉元に短剣を突き付けました。


「力で抑えなくては話も聞けないとは、なんとも残念ですこと。困ったものですわね、女伯爵に対する振る舞いとも思えません」

「おまえが伯爵気取りとは何事だ!」


 怒鳴るお父様は、短剣が触れて一筋の赤い線が首に出来ると、口をつぐまれます。

 黙っていればいいのに、馬鹿なお父様です。


「あら?ファリア伯爵位はわたくしが成人する日に正式に継ぐことが決定されておりましてよ?お父様、入り婿のあなたは伯爵家の方ではございません。限定された権限を代行するだけの、代官ですのよ」

「父お……」


 怒鳴ろうとしてまた、黙り込まれるお父様。


「それにあなた方は誤解されていらっしゃいますが、私の婚約者を決定するのも、私の成人後と定められております。代官に決定権はなく、代官が婚約者を届けてもそれは無効とし、代官が後見人に立った婚姻こんいんも無効であるとあらかじめ定めてございましてね?」


 つまり、お姉さまが成人してらっしゃらない事を理由にお父様が勝手をなさろうとするのは、もともと無理であったという事です。

 お姉さまに、お父様の都合の良い婿を取らせるのももちろん、無理。


 そしてお姉さまに付けられている護衛は、お姉さまの大叔父様であるガイナル伯爵から差し向けられた者。お姉さまを傷つけてファリア伯爵家を乗っ取る者が出ないように、とのご配慮でございましょう。


「というわけでございますから、婚約なんてそもそもしておりませんのよ?」

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