第3話

 俺達が生きていた異世界『ラース』にある皇国『マーナルゥ』は、海辺に首都を持つ自然豊かな小国だった。おもな産業は海産物と、鉱山から採掘される魔法石『竜珠』


 竜珠──それは、様々な色をした丸い宝石で、それ自体が微小な魔法力を持つ鉱石だった。


 この国でしか採掘されない竜珠は希少で、各国の王族や貴族、魔法士などに人気が高く、非常に高価で売れるものの、採掘量も出荷数も極めて少ないので、国はそれほど大きくもなく金持ちでもなかった。


 けれど安定した治世のお陰か、国民は比較的穏やかで優しく、そこそこ平和な良い国だったと思う。もちろん、そんな国でも貧富の差はあるし、貧しくて飢える者も皆無ではなかったけれども。


 ちなみに前世の俺は平民の出で、腕のいい漁師だった父のお陰か、幸いにして幼い頃から日々の糧に困ることはなかった。

 『人間、食うものと住むところがありゃ、何とかなるもんだ』というのが口癖だった父。俺も、そんな父を見習って、海で魚や貝を取ったりしていた。少しでも家計を助けるために。

 ホントは親父のような漁師になるつもりだった。

けれどあることをきっかけに、俺は竜騎士を目指すことになったのだ。

 

 と…そこら辺の事情は、また後日ということにしよう。

そんで、突然こんな話を始めて、何が言いたかったか?というと、まあ、要するに水泳の話だ。


『やっべえ…この高校、水泳の授業あんのかよ…』

 中学までは大抵のとこはどこもあるんだろうが、さすがに高校で水泳授業が組み込まれてるとこは少ない…んじゃないかと思う。まあ、他の高校のことなんか知らんから、俺の思い込みかもしれんけども。

 俺は授業予定表を見ながら、そう言えば制服買う時に、指定の体育服やジャージと一緒に水着も買わされたんだっけ。と、今更ながらに思い出した。

『ってことは、莉愛さんが水着姿に……!?』

 入学したころからプールがあるのは知っていたが、それはてっきり部活専用だと思っていのだ。なのに、梅雨が明けてすぐ、週の授業予定表に『体育(水泳)』が加わったのを見て、俺はかなり焦ってしまっていた。何故なら──

「やったぜ…俺、この学校入って良かった!!」

「俺、この夏の為だけに生きてる……!!」

 案の定、教室へ着いてみると、クラスの男子の目の色が変わっていた。もちろん、目当ての女子はそれぞれいるだろうから、全員が全員ではないだろうけど、正直、半数くらいの連中が莉愛さんの水着姿を狙っているのは間違いなかった。


 ううう……地獄絵図しか思い浮かばない。


「毎日暑いよね……」

「はあ…そうっすね……」

 それでなくとも夏服になって、ますます目立つようになった、莉愛さんの際立ったスタイル。胸や足に加えて半袖のシャツから伸びた白い腕が眩しい。おまけと言ってはなんだが、薄着になったおかげで無防備さが際立って、彼女の見た目の危うさも倍増してしまっていた。

 つーか、夏だからって白い上着はねえよなぁ。だって下手するとブラのライン見えちまうし。ていうか、すでにうっすら見えちまってる。まあ、よっぽど近付かないと解んねえだろうけど。

「私、水泳嫌い。泳げないし」

「あ。やっぱし泳げないんすか」

 前世の頃も莉愛さんは泳げなかった。海辺の町で育ったくせに、と思うかもしれないが、海辺の町に住んでる奴が全員泳げると思ったら大間違いだ。俺は漁師の息子で泳ぎは達者だったが、竜騎士仲間には泳げない奴も結構いたのである。

 とはいえ、生まれ変わって環境も変わったことだし、少しくらいは泳げるようになったのでは??と思っていたけど、やはり莉愛さんは前世同様泳げないとのことだった。


 何はともあれ──


 眉目秀麗、スタイル抜群、無防備で無警戒

 そんな莉愛さんが水着を身に着けて、唯一、苦手なスポーツである水泳に挑むのだ。


「やだなぁ……」

「嫌ならサボれば良いでしょ」

「それもなんか嫌だ」

 サボってくれた方が有り難いんだけどなぁ。なんでこの人、変なとこで負けず嫌いなんだろ。そのくせ、どうしてこの年になっても泳げないんだ。胸がでっかいから重たいのかなぁ。って、いや、こんなこと口が滑っても言えねえけど。


「うおお…………ッッ」

「が…眼福過ぎる…!!」

 そうして水泳授業の当日。

 ぶっちゃけ言うと俺はこの日、天国と地獄な気分を同時に味わうこととなった。最低最悪な一日にして、至上最高な一日と言ってもいいだろうか。

「貴由、なんかアイツら変じゃない?」

「ああ……まあ、許してやってください」

 ちなみに莉愛さんが身に着けているのは、他の女子らと同じく色気もへったくれもない水着だ。それも昔の漫画やアニメなんかの世界で見られた、いわゆる『スク水』ではなく、太腿の半ばまで隠れる仕様の露出を控えたモノだ。

 しかもこの高校のスク水は、胸元の露出もかなり控えめで、見た目まるで潜水具。


 それでも、だ。


 それでも莉愛さんの水着姿は、周囲の男どもの股間を刺激しまくっていた。

「アイツらも青春真っただ中なんす…」

「??…ふーん……」

 しかし、肝心の本人はまったく理解できていないようで、ただ、変なポーズで隅に固まってる男らを、いかにも興味なさげな視線で一瞥しただけである。

 彼らが必死に何を隠しているか、どうしてあんなことになっているか、男として前世を生きていたなら察しがつきそうなものだけど、莉愛さんが解っているのかいないのかは俺にもさっぱり判別できなかった。

 多分、察していても『どうでも良い』と思ってるか、そもそも、そんな事態を引き起こしているのが自分だと言う自覚がないのか。そのどちらか片方か、もしくは両方なんじゃないかと俺は予想している。

「訳わかんないけど…どうでも良いや」

「………ですよね」

 俺というお供を引き連れた莉愛さんは、未だ大惨事の男子らの前を無防備に歩いてそう言った。途端に、何対もの目が彼女の姿へ自然に吸い寄せられ、彼等はさらに興奮した様子で前屈みになっていく。

 中にはよほど純なのか、鼻を押さえてる奴までいた。鼻血吹いちゃったんだろうな。あーあ。これ、全部アンタのせいですからね。と、俺は心の中でだけツッコミを入れた。

「でも、じゃあ、貴由は青春じゃないの」

「はあ……まあ、俺は鍛えられてるんで…」

 これまで3ヶ月の成果とでも言うべきか、今の俺にはある程度、莉愛さんの無意識なお色気に対する耐性が出来ていた。だてに奔放な莉愛さんと接してきた訳ではないのだ。

 まあ、それでも彼女の水着姿は衝撃だったが、今のところどうにか平常心を保てている。油断すっと俺もあの連中の仲間入りだしな。それはさすがにカッコ悪いから何としても避けたい。あんな姿、莉愛さんに見られたら死ぬ。


 男の意地というか矜持というか。


 好きな彼女の前でみっともないとこを見せたくない一心で、俺は水泳の時間中、いつもの数倍の気を張り続けて耐えた。これが思った以上の苦痛で、人生で初の地獄体験だった。反面、目で追えばすぐそこに、魅惑度120%超の莉愛さん。眼福過ぎて天に召されそうだ。

 しかも水着姿というだけでも凶悪なのに、プールに入って全身濡れた様子なんて、ここにスマホがあったなら保存しといて、内緒で夜のおかずにしたいくらいに妖艶で魅惑的だった。いや、もう、ほんとマジで。

 濡れた黒髪は艶やかだった。さらに張り付いた水着がスタイルを強調し、豊かな胸と落差の大きい腰の細さを、丸く可愛らしいお尻と、隙間の出来る太腿を、惜しげもなく周囲の視線へ晒すことになっていたのだから。


 ああ、くそっ、もう、ほんと勿体ねえ。

 他の男らに見せるのが惜しいし悔しい。

 どうせなら個人的に独り占めしたかった。

 莉愛さんが可憐すぎるから。無防備で無関心すぎるから。彼女に恋する俺にとって学校の水泳時間という、本来健全なだけのはずの授業は、男の醜い嫉妬と独占欲にも苦しめられる苦悩の1時間となったのだった。

 

「うおおおおお――ッッ」

 天国と地獄な水泳時間を終えると、男子らは吠えながら飛ぶ勢いで駆け出して行った。おそらく行先はトイレの個室だ。みんな股間押さえて必死な形相してるし間違いないだろう。俺だって赦されるなら駆け出して行きたいくらいだった。

「変なカッコ……」

「ははは………」

 呆れるような視線で男子らのレースを見ていた莉愛さんに、俺は下僕よろしく彼女にバスタオルを手渡した。それを当然の如く受け取って、莉愛さんはシャワーで濡れた身体を拭いていく──が、

「ちゃんと拭かないと…」

「え?どうせすぐ乾くし」

 まだ、水滴がぽたぽた落ちてるのに、莉愛さんは俺にバスタオルを返してきた。そう言えばこの人、前世の時からズボラだった。髪の毛どころか、全身から水滴落ちてんのに、『拭いた』と言って聞かず、歩いた先をことごとく水浸しにしていたっけ。

「駄目っす。ちょっとジッとしててください」

「むう……」

 竜騎士団の宿舎じゃあるまいし、学校内で廊下を水浸しにしたらさすがにマズイ。絶対に誰か滑って転んで怪我をする。

 そう判断した俺は、受け取ったバスタオルで莉愛さんの頭をくしゃくしゃ拭くと、ついでに水滴が飛んだ肩や腕、少し露出した胸元や、ふくらはぎ等を拭いてやった。なんとなく懐かしい気分で。今の莉愛さんが、女子ということをうっかり失念したまま。

「これで良いっすよ。着替えに行ってください」

「ん。ありがと」

 念入りに拭いて水滴が落ちなくなった頃合いを見て、莉愛さんに更衣室へ行くよう勧めた俺だったが、そうして彼女の姿が見えなくなった途端、先刻の自分の行動が持つ意味に気付いてガタガタと震え出し、全身からは大量の冷や汗を吹き出してしまっていた。

『むむむむむむむ…胸ッ…胸を、今、俺……ッッ!?』

 前世で大ケガをした莉愛さんを、部下だった俺は、介護要員よろしく世話していたから。当然、入浴の手伝いや、排泄の介助もしていたから。そんな過去のことを懐かしく思い出しながら、俺は、ついつい手慣れた感じで莉愛さんの身体を拭いてしまっていた。


 今の莉愛さんは、女の子なのに!!

 介助の必要もない健康体で、しかもその上女子なのに!!


『ヤバイヤバイヤバイ…手…手が…つーか、ついうっかり…!!』

 本当にマジで無意識の行動だった。そこに下心の欠片もないと断言する。ゆえに性質が悪いかも知れないけど。でも、同時にあることに気付いて俺は、どうしていいのか解らず途方にくれてしまった。

『ん。ありがと』

 そう言って彼女は、俺の行為を容認していた。要するに莉愛さんが、まったく気にしていなかったのだ。タオル越しとはいえ、男の俺に胸を触られたというのに。

 悲鳴をあげるでなく、大きな目で俺を睨み据えるでもなく、莉愛さんは何ごともなかったみたいに平然としていた。まるで、そうされることが『当然』であるとでも言うかのように。


 解らない。解らなさすぎで困惑する。いったい俺は、そういう莉愛さんの態度を、どういう意味と受け取れば良いんだろう。ただ単に、自分を女だと思っていないだけなのか、それとも、俺を男と認識していないだけなのか。

 どちらにしても色々と問題ありそうな気はするが。


 問題は、もし。もしも、そのどちらでもないなら──


「………まさか、な…」

 そんなことがある訳はないと思ってはいた。だけど、どうしても断ち切れない彼女への恋心が、そんな望みの薄い希望を妄想し期待してしまう。


 もしも莉愛さんが、俺のことを少しでも好きでいてくれて、だからそれで身体に触れられても嫌がらないのではないか、だなんて──


『でも…莉愛さんには、師団長が……』

 掌に残る甘く柔らかな感触。期待するだけ無駄なことが解ってるのに、解っていても期待してしまう、否、させてしまう莉愛さんの俺に対する気を許した態度が、嬉しくもあり、恨めしくもあった。


 俺は何時まで耐えられるだろうか。


 1秒、1分、1日ごとに深まっていく、彼女への強い想い。転生前はほのかな恋心に過ぎなかったものが、今では俺の人生と引き換えにしたいほどの強く深い恋慕に育っていた。

 もはや完全に隠すことが困難なくらいに。


 かくなる上は、駄目元で告っちまった方が楽なのかも知れない。


「………はぁ」

 どうするかはすぐに決めきれなかった。だけどとりあえず1度、覚悟を決めてティーアロット師団長と会っておくべきだと思った。辛いけど。苦しいけど。莉愛さんとティーアロット師団長が一緒の姿を──今世での関係をこの目で見てからどうすべきか決めるべきだと。


「とりあえず…トイレいこ……」

 俺という人生を一転させる重大な決意はさておき。

 まずは遅ればせながら元気になっちまった息子を慰めねえと。

 そんな情けない気分のまま俺は、人目に付かない様股間を隠しつつ、空いている男子トイレ目指して歩いたのだった。

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