サキソフォンと煙突(中編1)
今日のライブ会場「エリーゼ」は、森田さんから聞いてた話に違わず、すごいところだった。何たって音が思った以上に響く。オレのソロパートの、細かい部分だってしっかり拾ってくれるんだ。もっとも、トチったとき誤魔化しがきかないとこもあるけど、練習の成果をしっかり見てもらえるみたいでさ。1曲終わるごとに感動しちまったよ。
「……よーし、決まったぁっ。あー、オレ、うまくやったなぁ。最高の出来だ」
「赤瀬くん、たくさん練習してたもんね。でもこれ、まだリハの3曲目だよ?」
「ここのソロ、一番の難所だったんだぜ。音の質も、あんなに良くなるなんて思わなかったし。あの店で買ったリードのおかげっすよ、ねぇ森田さん!」
「あー……ま、良いじゃないの、上手く吹けたんだから。俺はちょっとへまをやっちまったが」
森田さんは水をぐいっと飲むと、ペグを回し、ギターの弦を取り替えはじめた。今日は珍しく、演奏中に切れたんだ。自分のパートが終わった瞬間のことだったからよかったけど――技術のある人には天運も味方するんだ。
そうでなくても森田さんはよく弦を替える。よくギターに触るからだと思う。新曲をどんどん作るし、ギターパートはいつも複雑だ。おかげで愛用のセミアコ・ギターも、つやが落ち、木目が見えるところさえある。
「それ、すごいよねぇ。メーカーはエピアンだっけ。何年使ったの?」
「『エピファン』だぜ、牧くん。このブランドは使えば使うほど、色も音もなじむんだ。使い方や手入れの仕方もあるがね……」
年季の入ったチョコレート色のギターに、新しい弦がぴんと張られていく。リハが終わればいい具合になじむだろう。もっとも、森田さんはどんなギターだってすぐに弾きこなすんだけど。
「こいつぁ人からもらったヴィンテージものさ、俺と先代とで20年はくだらんよ。……さて、4曲目へ行こうじゃないか。赤瀬くんも準備はできてるようだしね」
「ばっちりっすよ、やりましょっか」
1、2、3、4。牧がシンバルを鳴らしてカウントを刻み、軽快にドラムを叩き出す。少し後から、オレと森田さんが続く。サキソフォンを吹き鳴らしながら、オレは少し前の出来事を思い出していた。「エリーゼ」のすぐ近くにあったあの楽器店での出来事。
◆◆◆
安食堂で遅い昼食を取ったあと、森田さんはオレたちを、古い楽器店に案内した。ライブ前に買い足すものがあるらしい。黄色い字で「HigaInstruments」と書かれた黒い看板が目立つ。
「いらっしゃいませー……森田? うわっ、森田じゃねぇか、久しぶりだなぁ、なんで半年も来なかったんだよ」
レジ前にぼんやり身を乗り出していた店主が、森田さんの姿を認めるや、喜びの声を上げた。
「よぅ、比嘉くん。悪いね、連絡が遅れて。今回のドサ回りは中々長い旅になってさ」
「お前、ほんと旅が大好きだもんなぁ。どこ行ったんだ? 南の島まで出掛けてスコッチでも呑んだか?」
「お、分かってるね。だが惜しいな、赤い星のまたたくラム酒さ。お土産もあるぞ」
森田さんときたらこんな具合。目に見えてうきうきしはじめ、カバンからお土産のでかい酒瓶まで出しはじめた。さっきまでおセンチだったくせに、丁々発止のやり取り。水を得た魚ってやつ?
「赤瀬くん、あれさ、南の島のスコッチのくだり」
「あぁ、オレたちに会う前から持ってた歌だ」
「作ったの駆け出しの頃って言ってたね」
「だな」
古い自作のネタをタメ口で話せるってことは、友達にしちゃ長い方だろう。だがよく見りゃこの楽器屋のおじさん、結構白髪が多い。オレの見立てじゃ 50は超えてる……何者なんだろう?
「あぁ、すまねぇな兄ちゃんたち、入り口で待たせちまって。入ってきてくれ」
比嘉くん、と呼ばれたおじさんが、オレたちに気づいて手招きした。言われて店内へ入ると、よく空調がきいていて、寒いくらいだった。
「悪ぃなぁ、ちょっとこいつと話し込んじまってよ」
「大丈夫っす、オレら森田さんの案内で来ただけだし」
それを聞くと、比嘉さんは目をぱっと開いて、
「森田の紹介だって? 珍しいこともあるもんだ」
「あー、はい。オレ、赤瀬っていいます。こっちは牧」
「へぇ、俺ぁ比嘉だ、よろしく。歳は? 楽器は?」
「僕たち2人とも26です。僕がドラムで、赤瀬くんがサックス」
「若ぇなぁ。デュオ……にしちゃ珍しい組み合わせだ」
「いや、えーっと……オレら、2つバンド掛け持ちしてるんすよ。片方はインディーズのビッグバンド、それと、森田さんと3人でやる3ピースのブルースバンド」
「森田さん、ギターとボーカルやってるんだよね」
「えっ、こいつがバンド?」
「比嘉くん、何だよこいつって」
比嘉さんの顔にはみるみるにんまりした笑みが浮かんできた。オレたちと森田さんとを交互に見て、喜びを隠しきれないらしい。
「だってお前よぉ、弾き語り一本の孤独な一匹狼だったじゃねぇか」
「求める音楽が見つからなかったのよ。俺は豚の自由より狼の不自由を選ぶぜ」
「まーたクサいこと言ってらぁ。だのにお前、こんな若い兄ちゃんたちに慕われて、バンマスなんかやるようになってよぉ……俺ぁ嬉しいよ、森田」
比嘉さんは、オレたちをしげしげと眺める。
「で、森田。今日は何の用だ。お前いつもひとりで来るだろ」
「別に、ライブ前の買い出しさ」
「でも人連れてくるってことは、特別な用があるんだろ」
「俺のお気に入りの会場だぜ。どうせなら新しいパーツで挑みたいのよ」
「お気に入り……あー、今日『エリーゼ』でやる日か」
比嘉さんがぽんと膝を打った。とうとうこの日が来たかぁ、なんてしみじみと噛み締めるように言う。
「そうとも、この日よ。いつもの弦と……あぁそうだ、サキソフォン用のリードはあるかい。こっちの赤瀬くんが欲しいんだ」
「昨日買い足したばっかだよ。で、種類は決まってんのか?」
「その、なんかこう、音が遠くまで響かなくて困ってるんです、オレ」
「ふーん……なぁ兄ちゃん、いや、赤瀬くん、タンジブルの赤箱って試したか」
「いや、まったく。オレ、タンジブルったら青箱一本なんで。ずっと前に使ったことはあっても、なんか合わなかったような…… 」
すると比嘉さんはカウンターを出て、リードの箱を1つ手渡した。赤地に白抜きでサキソフォンの絵が描かれた「タンジブル・リード ジャズ」。いつもオレが使ってるスタンダードタイプに似てる。裏面の説明書きを読むと、よくしなる柔らかな素材を使ってるらしい。
「騙されたと思って使ってみな、割引してやるから。あんたなら使いこなせる。老舗ブランドのジャズ特化型は、伊達じゃねぇぞ。遠くまでしっかり聴こえるようになるぜ」
世界中のジャズマンもブルースマンも御用達だ、と比嘉さんが言う。いくらか挙げられたミュージシャンの名前には、聞いたことのあるものもちらほらとあった。
正直このときはちょっと悩んだ。5分くらいだったかな。オレにはなんかちょっと早いような気がしたし、パーツ1ヶ所変えるとはいえ、音の響きはだいぶ変わる。おまけに10枚で3600円ちょっとのでかい出費。普段の青箱より400円も高い——結局買ったんだけどな。煙草1箱我慢すれば済むことだし。それに、いいミュージシャンってのは、音のためなら道具に金を惜しんじゃいけない。今まで対バンさせてもらった先輩バンドマンたちも言ってたことだ。それに、森田さんのお気に入りと聞いたら、自然と背筋が伸びるってもんだ。
「なんだぁ、赤瀬くんってば、すごい緊張だよ。リード1箱買うだけだってのに」
「牧はのんびりしてていいのかよ、あそこ森田さんのお気に入りだろ? 相当すごいとこだぞ」
「あー違う違う。『エリーゼ』のお気に入りがあいつなの。何度も呼ばれてる。音楽始めて間もない頃からあそこで弾いてたってさ」
慣れた手つきで、商品のバーコードをほいほいと読んでいく比嘉さん。よく森田さんのライブも聴かせてもらってたらしい。店をやってるときも、森田さんが「エリーゼ」に来るときは早仕舞いして、入り口に一番乗りで並んだって。今日もそのつもりだったらしい。
絶対いい買い物になるぜ、って比嘉さんは言ったよ。そんなに期待されると嬉しい反面、プレッシャーもでかかったな、オレは。
◆◆◆
……まぁ、それでもリハんときは、オレも心で理解できたよ。あのリードを使ってみて正解だって。
〈つづく〉
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