「夜に吠える」

 暗い天空にさおな月がいていた。

 日付が変わろうとする時分。


 レマレダールの街に群がるほたるの光のようにともっていた夜の灯りも今はとぼしく、街の入口に近い橋のたもとと、おそくまでやっている飲食店がけているいくつかくらいしかない。


 そんな中、九階相当の高さのとうの上から、ニコルは大鉄橋の向こう側に固定された夜間双眼鏡そうがんきょうをのぞき続けていた。


 どういう原理でそうなっているのかニコルは理解していなかったが、深夜にもかかわらず双眼鏡の視野は薄明うすあかるい――月の明るさを二倍にしたかという程度の輝度きどすべてのものが光っている。


 長い大鉄橋に沿って点々と灯されたランプ以外は、月明かり以外の光源を持たない世界が、ニコルの目でもモノの輪郭りんかくを容易に識別できるようになっていた。


「――――――――」


 夜のとばりが下りてから数時間、夕方から水気を断っているニコルは大きな双眼鏡の接眼レンズをのぞきんだまま動かない。水を口にしないのは、小用でこの場をはなれることをけるためだ。


「便所に行っている時に相手がた、なんてことになったら泣くに泣けないからね……」


 かたに羽織った大きなマントを胸の前でめて、肌寒はださむさにえる。

 動かなくていい姿勢だが、反対に動いてはならない姿勢でもあり、ゆかに丸めた毛布をいてしりを乗せている状態でもニコルは徐々じょじょに体力と精神力を消耗しょうもうさせつつあった。


 この夜に来るだろうという襲撃しゅうげき――『まぼろし盗賊とうぞく団』が現れるというのは確定情報ではない。連中がどこに展開しているか不明で、不明がゆえにその捕捉ほそくに苦労しているのだ。


 連中がこの数日でどこかをおそおうとすれば、今夜のこのレマレダールの街しか好機チャンスはない。そこそこの規模の街であるレマレダールなら、百程度の盗賊団を満腹にさせるには十分だろう。


 ゴーダム公の言が正しければ、数日間は『幻の盗賊団』による被害ひがいはないらしい。盗賊団も略奪りゃくだつをしなければ百騎という大所帯をまかなうことはできない。えないために食べ続けなければならないのは、イナゴの群れと同じ理屈りくつだ。


奴等やつらは、来る……必ず来る……来い……」


 早く食い付いてこい、今夜にお前たちが現れなければ、仕切り直しになってしまう。

 こんな状況じょうきょうを再び組み立てるために、いったいどれほどの手間と時間が必要になるのか。


「来い……今夜のうちに……できれば、今すぐ…………」


 かわいて冷えた夜の空気のために口がかわききっている――水がしい。

 敵の姿が見えたら花火に点火し、この水筒すいとうの水を一飲みするのだ。

 そしてこの塔を一気にり、自分は――。


「…………!」


 橋の上を笛が鳴るような音を発してけていった風の音に混ざる雑音に、ニコルの気配がとがった。ぼやけていた集中力をもどし、接眼レンズに当てる目をらす。


 この数時間、まばらに旅人や商人の馬車がき来するだけだった街道かいどうを、めるようにして走る十数騎のかげが視野の中に入る。ニコルは思わずまたたきしてその影を確認かくにんし、それが顔を覆面ふくめんかくした者たちの姿であることを認めた。


「て…………」


 声を発した時には、ニコルの尻が敷いていた毛布から離れている。階段のすみで燃え続ける蝋燭ろうそくを手にし、花火の発射筒はっしゃとうに駆けってびている導火線の五本、その全てに火を点けていた。


「敵だ!!」


 ニコルのさけびから三秒、ネズミがげる速度で火種が導火線を焼きながら走り、一基の発射筒の足元にい込まれていく。


 ニコルの鼓膜こまくたた爆発音ばくはつおんとどろいて夜空に向いている発射筒の口が火をき、あかほのおを引きながら白い流星が天に向かってのぼっていった。



   ◇   ◇   ◇



 真っ青にかがやく月の光を受けて白く光る湖、その真ん中の島を埋めくす市街の上で、明らかに異質なくれないの色がやみけさせるように広がった。

 数秒あって大きな花火が破裂はれつする音がひびいてくる。


「――とうとうつかまえたな、『幻の盗賊団』の尻尾しっぽを」


 街道からやや離れたおかの上近くで、ひとつの影がのっそりと起き上がる。大柄おおがらな体を黒い重装甲じゅうそうこう甲冑かっちゅうに包み、白い月明かりにさらされるその男は分厚い手袋てぶくろの指先で顎髭あごひげを何度かで、不敵に笑った。


「『幻』の正体を暴いてやろう。『幻』が『幻』でなくなればただの盗賊団だ。おそれることは何もない。……久しぶりの実戦だな。血が熱くなる」


 足元に置いてあったかぶとこうむり、側にひかえていた巨大きょだいな黒馬に飛び乗る。巨大ぐまほどの威容いようほこる黒馬――ガルドーラ自身も分厚い馬よろいを身につけ、まるで装甲のかたまりとなっていた。


「では、『騎士きし公爵こうしゃく』の名をみなに再確認させるとするか。――行くぞ、ガルドーラ」


 兜のおくで目を細めたゴーダム公は地面にしていた長槍ながやりを手にし、愛馬の脇腹わきばらった。



   ◇   ◇   ◇



 深夜のレマレダールの街は騒然そうぜんとなっていた。

 ゴーダム公爵領の全土で『敵見ユ』の合図とされている紅い照明弾しょうめいだんが打ち上げられ、真っ赤に輝く雲として低い夜空に輝いて残る照明弾の明るさに混乱が走る。


 街の防衛部隊が叩きこされ、寝間着ねまきいでいるころにはニコルは塔の屋上から地上まで垂らしたなわを伝って一気に地面に降り立ち、夕方には着込きこんでいた甲冑姿でレプラスィスの背中に飛び乗り、長槍を手にして街に向かって走り出していた。


「敵だ! 橋に盗賊団がいる! 街の防御ぼうぎょを固めてください!」


 鎧を着る時間もなく、やりだけを手に建物から出てきた防衛隊らしい人々にニコルは馬上からげきを飛ばす。レプラスィスはそんなニコルを乗せて市街の外縁がいえんを走り、橋のたもとにたどりついた――まだ盗賊たちは橋をわたりきってはいない。


「あんたは!?」


 橋を監視かんしする前哨ぜんしょう施設しせつである見張り台から衛兵の声が飛ぶ。ニコルはレプラスィスから飛び降りて二階ほどの高さの階段を駆けがった。


「ゴーダム騎士団の者です!」


 小屋のような建物にはしり込み、自分を誰何すいかしてきた衛兵のとなりに並んだ。


ぞくはどこまで接近していますか!」

「橋の半ばで立ち止まっている!」


 前哨施設から真昼以上の明るさをもたらすまばゆい灯火の光が橋の中間に投げかけられ、そこに百騎程度の騎馬きばの群れが馬首をめぐらせようとしているのが見えた。あまりに明るい光をぶつけられ、夜目がく馬が光の奔流ほんりゅうを前に前進できなくなっていたのだ。


「なんて騎馬の数だ。一気にし込まれたらとても防ぎきれんぞ」

大丈夫だいじょうぶです。騎士団の別部隊が橋の向こうに展開するはずです。別働隊が――」


 そこまで言ってみて、ニコルははっと思い返した。

 ゴーダム公は言っていた。公爵自ら指揮する迎撃げいげき部隊として別部隊を用意していると。が、ニコル自身はその迎撃部隊がどんな規模の部隊なのか、詳細しょうさいを聞かされていない。


『そこはわたしを信用しろ。お前があっとおどろく部隊が用意されている。心配は無用だ』


 ゴーダム公はそう言って笑っていた。百騎の賊を殲滅せんめつできるだけの部隊が用意されている――ニコルの見通しでは、精鋭せいえいの騎士五十騎ほどをそろえねば一方的に殲滅するのは難しいだろう。だが、そんな戦力が本当にあるのか。


「あるのであれば、ぼくに単独潜行せんこうなんてさせなかったはずだ。作戦行動は二人ふたり一組が原則だから……でも、それをさせなかったということは…………」


 橋の半ばから視線を遠くに向けたニコルの予想は、当たった。

 盗賊たちの退路をはばむように、橋の向こうに影が立っていた。


『お前があっと驚く部隊が用意されている』


 その言葉の本当の意味を知って、ニコルは思わず絶句することとなった。


「――盗賊団の諸君!」


 三百メルト以上、千歩以上の距離きょりを置いているというのに、橋を渡った先に立った影から発せられる大音声だいおんじょうは、容易に聞き取れるほどの声としてニコルたちにも届く。

 もちろん、ニコルたちよりもよほど近い盗賊たちははっきりとその声を聞いただろう。


 音に敏感びんかんな馬が声の塊に耳をなぐられた馬たちが一斉いっせいさわす。街に押し寄せてこようとしていた時は統制の取れていた盗賊の騎馬の動きが乱れ、橋の真ん中で右往左往しているのが投げかけられる光の中に浮かび上がっていた。


「私の名は、エヴァンス・ヴィン・ゴーダム公爵。言うまでもなく、ゴーダム公爵家の当主である! そなたたちの姿を追い求めてはやさ数ヶ月、ようやくお目もじかなう時が来た!」


 橋のたもとに立っている巨馬きょば、そしてまたがる威風堂々いふうどうどうの騎士。

 その姿と声に、ニコルは本当に度肝どぎもを抜かれていた。


 盗賊団に対し橋のたもとでふさがっているのは、ゴーダム公爵ただ一騎だけだったからだ!


「ここから先は通さん――通りたければこの首ってからにするがいい。来ないのか? 来なければ、こちらから行くぞ!」


 鉄の装甲の塊をきしませ、黒い巨馬がたけしかと前に出る。その黒い疾駆しっくを前に、盗賊団の騎馬たちがまたひとつ波のようにらいだ。

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