「入団試験の意義」

 ゴーダム騎士きし団の施設しせつは、ゴーダム家の人々が住まう母屋おもやさらおくもうけられていた。

 施設から発する音をさえぎるための小さな林をはさみ、ひとつの小さな村を軽くえるほどの集落と思える建物群がその威容いようえている。


「ゴーダム騎士団は騎士だけでも七百人の数をほこる」


 母屋の表につないでいたたくましい馬にまたがり、口取くちとりもつけずに悠々ゆうゆうと歩かせるゴーダム公爵こうしゃくは、自分の馬と歩調を合わせて歩くニコルに馬上から語りかけた。


「それに騎士候補の見習い、従者、世話をする小者を合わせれば約四千人ほどにも上るということだ。――実際、金がかかって仕方ない」

すごいものです」


 騎士団の宿舎、訓練場、生活を支える施設――すべてが木造の質素しっそな建築物だったが、三階建ての建物が壁のように並ぶこの一角だけは、のどかなはずのゴッデムガルドでも特異な密度を有していた。


 一様いちように同じ服装をした人間たちが、ざっと見ても数えきることのできない人数で建物の間を歩き、出入りしている様子をニコルは遠くからながめる。この界隈かいわいだけが王都のにぎやかな街をそのままそっくり持ってきたような気配さえあった。


 そんな騎士団の施設の外側をぐるりと回って、ニコルとゴーダムこう、そして呼びもしていないのについてくるエメス夫人が騎士団の施設でも最も奥まった場所に位置している馬術訓練場に向けて移動している。


「ああ、厩舎きゅうしゃにおいがしてきます」


 騎士団の居住区からまたひとつ林のかべを跨いだ方向からただよってくる、かすかに湿しめった重い空気の変化を感じてニコルは口にした。


「まだ見えないのにわかるのか?」

「この臭いはれっこですので。なつかしい臭いです」

「お前の騎乗きじょう経験は六年と書類には書かれていたな。そこを聞いてみたかったのだ」


 大柄おおがらな公爵の体格がそうは見えないほどに大きな体の馬が、ぶるると鼻をふるわせていた。


「馬という物は高価なものだ。買うにしても、維持いじするにしてもな。まずしい者はそれを手元に置いておくことができない。それを可能にする経済力を手にするだけでも、騎士は特別な存在なのだ。だがニコル、お前の家は裕福ゆうふくではないのだろう?」

「はい。ですからぼくは、知人の貸し馬屋の老人の馬を借りていました。一日三時間、馬の手入れの手伝てつだいを必ずするから週末だけでも馬に乗らしてほしい……騎士になるちかいを立てた時から、馬に乗れないことには話にならないということはわかっていましたから」

「それが……八さいの時ということか。なるほど。――――似ているな……」

「はい?」


 最後の言葉が消え入るように聞こえて聞き取れず、ニコルは思わず首をかしげたが、それについての返答はなかった。


「その頑張がんばりがどれだけの実を結んだのかは、目の前で馬を走らせて見せてもらえばわかるものだ。じっくり問うとしよう」

奥様おくさまは、この臭いは気にならないのですか?」

「ニコル、わたくしのことは『母上』と呼ぶように先ほど申しましたでしょう」


 れた干し草と馬糞ばふんの臭いが混ざった独特の臭い――慣れぬ者なら顔をしかめかねないそんな臭いの中にあって、ドレス姿の貴婦人はハンカチを鼻にも当てず悠々ゆうゆうと歩いていた。


「……失礼いたしました。お母様かあさまはこの臭い、平気なのですか?」

「もう何十年もいでいます。たまに遠出して帰ってきてこの臭いを嗅ぐと、安心した気持ちになるくらいです」

「ニコル、一言ひとことだけ忠告しておいてやる。これは大事なことだ。よく覚えておけ」


 真面目まじめな顔でゴーダム公は言った。


「お前はきっとこう思っているだろう。公爵家といっても、気さくな人間ばかりだと」

「は、はい」

「そんなのはほとんどこの家だけだ。貴族家というものは矜持プライドで飯を食っている。男爵だんしゃく家にしても、自分があなどられないよう気を張っている――侮られないためには、先手を打って相手を侮るのがいちばん手っ取り早い。貴族家が我が公爵家のような家ばかりだと勘違かんちがいすると痛い目にう。よく覚えておくのだな」

「き……きもめいじます」

「自分に自信がないから周囲に虚勢きょせいを張るのです。弱い犬ほどよくえると申すでしょう? 自らに自信がある者は、自然体でも平気なのですよ」

「エメス、お前は自然体過ぎる……」


 ニコルのとなりに並んでかれの手をにぎり、少年があわてる様子を見て喜んでいる自分の妻の様子を馬上から見下ろし、ゴーダム公は苦笑くしょうした。


「ニコル、あれがお前の力を示してもらう、最初の場だ」


 馬術訓練場の全貌ぜんぼうかくしていた林の木々が途切とぎれて視界が開き、広大な空間がニコルの目の前に現れた。おそらくは正確に整備されて作られた長円状の周回走路トラック――片側の直線の走路だけでも五百メルトは優にある大規模なものだ。


 周回走路の内側に人を並べれば、四千人くらいは簡単に納まってしまうだろう。今はだれも使用していないのか人気ひとけは感じなかったが、少しはなれて設けられている大量の厩舎から先ほどの臭いに加え、馬が低く鳴く声が空気を震わせていた。


 あしいためた馬がそこに負担ふたんをかけずに運動ができる大型の人工池プールわきを一行は通り抜ける。ゴーダム公があやつる馬が針路を厩舎のひとつにまっすぐに向け――建ち並ぶ大型の厩舎の中でそれだけが小さく作られた特製の厩舎の前で、ひとりの人物がニコルたちを待ち受けていた。


わたしはこの騎士団の副団長をつとめさせてもらっている、オリヴィス・ヴィン・マーチス上級騎士だ」


 厚い軍服に身を包んだ三十代半ばとおぼしき、規律が人の形を取っているかと思わせるほどに真面目そのものの風貌ふうぼうを見せる男性が自己紹介しょうかいした。


「話は聞いている。ニコル・アーダディス。お前が今回の試験者だそうだな」

「自分がニコル・アーダディスです。よろしくお願いいたします」

「――サフィーナが先に来ると言っていたのだが、姿が見えないな?」

「こっちですわ、お父様とうさま


 一同がかえると、息をはずませたサフィーナが小走りでけてくる姿が目に入った。


何故なぜ先に出ていったお前があとから来る?」

「色々野暮やぼ用があったもので。さあ、ニコルが馬を走らせる姿を見せてもらえるのでしょう? 私、楽しみで仕方ありませんの」

「……サフィーナ。あなたまさか、お父様の執務しつむ室からニコルの書類を……写真をぬすみに行っていたのではないでしょうね?」

「さすがお母様。かんがよろしいことで」

「まったく、誰に似たのかのない……」

「お母様に似たのだと思いますけれど?」

「……写真はあなたにあげます。私はニコルの入団記念にニコルを連れてあとで写真館に行きますから。あなたは連れて行ってあげません」

「そんな殺生せっしょうな。写真はお母様におゆずりしますから私も連れて行ってください」

「もういいか?」


 馬から下りたゴーダム公が、苦み切った顔で言葉を口にした。


「試験は今から始まる。ニコル、目の前の厩舎に四頭の馬がいるな」

「はい」


 ニコルは視線を小さな厩舎に転じた。葦毛あしげ鹿毛かげ栗毛くりげ、青毛の四頭の馬がつなでつながれ、たのもしい面構つらがまえで目の前の見慣れぬ少年を黒いひとみで見つめている。

 ぶるる、ぶるるるとそれぞれの馬の鼻が震え、機嫌きげんのよろしくない気配が伝わってきた。


「お前のため特別に選抜せんばつしてきた馬たちだ。お前にはこの中から一頭、自分が乗る馬を選んでもらう。だが気をつけることだな。この中の一頭は特にくせがあって乗りこなしづらい――そんな馬の特性を見抜みぬくこと、自分に合った馬を直感的に選ぶことも騎士にとって必要な才覚のひとつなのだ。今から五分だけあたえる」


 ゴーダム公は懐から懐中かいちゅう時計とけいを取り出した。


「開始だ。ニコル、五分以内に馬を選び、馬具を取り付け終えてこの場に連れてこい」

「わかりました」


 ニコルは厩舎の屋根の中に入り、まずは馬の顔を見比べ始める。そんな少年の姿を身を小さくよじりながら、はらはらとした思いでエメス夫人が遠くから眺めていた。


「ああ、困ったわ。さすがに私も馬の目利めききはできない……できたらどれが危ない馬なのか教えてあげられるのに……」

「お母様、そういうズルはいけないのではないのですか?」

「母の愛の前には全ての問題はゆるされるのです」

「そういうものでしょうか」

「――閣下」


 妻とむすめから少し間合いを空けてニコルの方に目を向けているゴーダム公爵に、オリヴィスがそっと近寄って耳打ちをした。


「閣下のご指示通りに馬を選び連れてきましたが……あの少年、何か閣下のお気にさわるところがあったのですか?」

「何故そう思う?」

「あの四頭の馬は、難しい気性きしょうをした筋金入りの問題児ばかりですよ。どれを選んでもハズレです。閣下もそれをご承知で、えて四頭とも馬を名指しされたのでしょう?」


 ゴーダム公は肯定こうていも否定もしなかった。馬の顔を見比べ終え、今度は馬の後方に回って後ろから馬を観察しようとしているニコルから視線を外さなかった。


「あの少年の身長が問題ですか? 自分はあの少年を、いい相をした得難えがたい人材だと思いましたが……」

が副官の観察眼がくもってないようで安心した。私もそう思う」

「――でしたら、何故?」

ためしてみたい。あの少年があの馬の中からどう選び、どう乗るのかを」

「その少年と共に走る私は、手加減をすればいいのですか? 閣下があの少年を落とせ、とおっしゃるのでしたらご指示に従いますが……」

「それなんだがな。それは急遽きゅうきょ、気が変わった」

「閣下?」

「予定変更へんこうだ、オリヴィス」


 微笑びしょうが公爵の口元にかぶ。さえようとしても押さえきれないたぐい微笑ほほえみだった。


「あの少年とは、私が走る」

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