「最後の障害」

 フィルフィナの背丈が首元辺りにしか届かず、体重は二倍を軽く超えようかという屈強な兵士たち。着込んでいる重装甲の甲冑かっちゅうを含めれば、全身の重さは少女の三倍にも至るだろう。

 そんな兵士たちが十五人は扇状に並び、壁際にエルフの少女を追い詰めて間合いを取っている。


 フィルフィナは銃も取り出さなかった。単発銃では弾丸たまの数が足りなかったし、十一年前のあの襲撃・・・・以来殺しはやめている。人を殺さないこと、それが、自分がリルルと共に歩んでいくための条件のひとつであると思っていた。


「なので、半殺しにさせていただきます。わたしはお嬢様と違ってそんなに優しくはないので」

「…………!」


 取り囲まれているはずの少女の方がニヤニヤと笑っていることに、兵士たちの間に小さくない動揺が走る。一斉に取りかかれば、路傍みちばたの花を摘んでしまうくらい容易に制圧してしまえるとしか思えない構図なのに、最初の一歩が踏み出せない。


「どうしたのですか? こちらも時間がないのですよ。早くかかってきてください」


 フィルフィナが余裕げに手で髪をくようにき上げた。大きく波を打たせて膨らませている髪から、いつもはその中にほとんど隠れているエルフ特有の長い耳が珍しく露わになる。


 その耳を見て、フィルフィナの真正面にいる兵士がひぃっ、と鋭い声を上げた。歩が下がって後ろの兵士に背中が当たった。


「おい、なにをビビってるんだ! エルフだからといって、たかが小娘ひとり――」

「いや、思い出した、先輩に聞かされていた話を思い出した!」


 その上ずった声に兵士のみならず、フィルフィナさえもが眉の角度を上げた。


「間違いない! こいつはあいつだ! 小柄な体! 緑の髪! アメジスト色の瞳! 平らな胸! 十年前……いや、十一年前にエルフの里討伐軍一万人を皆殺しにした『緑の悪魔』!!」

「殺しますよ!!」

「びぃぃっ!!」


 フィルフィナの一喝に兵士たちが一斉に尻もちを着いた。紙人形が突風に吹き飛ばされた様だった。


「色々とツッコミたいところは多々ありますが、最後のはなんなんですか!」


 怒りを込めてフィルフィナが一歩を歩むと、舞台の全部が激震した。


「その前に、自分たちが繰り出した軍勢の規模も把握されてないんですか! 三千人の軍勢をどうやって一万人も殺せというんですか! 算数以前の問題ですよ!」

「わああ! こいつは最初に殺した王弟殿下の頭に細管ストローをぶっ差して脳味噌のうみそを吸ってたっていうぞ!!」

「矢で射殺した兵士の腕を千切って焼かずに生で食ってたとも聞いた!」

「相手の血で顔に化粧をしてにんまり笑っていたとか!」

「殺される! 殺される!! 助けて!! まだ死にたくない!! 許して!! どうか命ばかりは!!」

「このお馬鹿どもがぁぁぁ~~!!」


 扇状に並んだ兵士たちが土下座をしたのを、フィルフィナは怒りを込めて靴の裏で蹴り踏み始めた。


「非常にムカつきました! 全員、死なない程度に殺してあげますから覚悟しなさい!!」

「ひいっ! お慈悲――!!」

「なにをやってるのよ、なにを」


 この場でいちばん冷静になっていなければならない立場の参謀役が最も興奮し出しているのに、リルルは顔の全部を情けなくしながら目の前の兵士に跳び蹴りドロップキックをかました。


「ひ、人質を取れ! 人質を取って奴らの動きを止めろ! あの革鎧の娘だ! あの娘を捕まえろ!」

「ええええ……」


 誰が喚きだしたかはわからないが、とにかく上がったその声に、舞台にあふれていた兵士たちがロシュに向かって殺到する。リルルは思わず顔の半面に手を当てた。


「なんて判断をするの。見た目だけでロシュが弱いと判断したんでしょ、でも実はその子が」


 この絶望的な状況をどうにか打開しようと、わらをもつかむ思いで兵士たちが素手のロシュに群がり、飛びかかる。対して無表情のロシュは軽く体を向けただけだった。


「――私たちの中でいちばん強いっていうのに」


 リルルが嘆息した時には、まるで白波のきばいて押し寄せる津波の壁を、一陣の風が貫くようにロシュが兵士たちの後ろにまで駆け抜けていた。どうやっても通り抜ける隙間がないと思える人の壁を、直線に一呼吸で駆け抜けたとしか思えない動きだった。


 自分たちの体をすり抜けられたように真正面からかわされた兵士たち全員が、一斉に仲良く昏倒こんとうする。それを背にしたロシュが手刀の形にしていた手を下げ、残りの兵士たちに興奮のない眼差しをゆっくりと向けた。


「な……な、なな、なんだこの娘は……!」


 魔法か手品か判別のつかないものを、そしてそのどちらでもないものを見せられて、数では圧倒的なはずの兵士たちが、波が引くように後ずさった。

 その全貌ぜんぼうを見守っているコルネリアの顔から、血の気どころか肌の色まで引いていく。


「私の計画は……作戦は……完璧だった……人質を二人も用意し、手足の出ないところを全員捕まえるはずが……どうしてこんなことに……こんなことがあるはずが……!」


 口の中でそう繰り返すが、それで現実が取り消キャンセルされるわけもない。作戦が見事なまでの不首尾ふしゅびに終わり、国王の信頼が遠く離れていく気配をひしひしと感じながら、自慢の明晰めいせきな頭脳が今は少しも回転してくれないことに絶望しか覚えなかった。


「フィル! いつまで遊んでるの! そろそろ時間なんでしょ!」

「――おっと、そうでした」


 無抵抗で舞台に顔の全部をつけてひれ伏す兵士たちの後頭部を、かかとで踏みつけていたフィルフィナが顔を上げた。


「すみません、つい熱中してしまって」

「手はず通りに! フィルはロシュと一緒に!」

「やれやれ、わたしとしたことが。お嬢様に指揮されてしまうなんて――。ではみなさん、名残惜しいところですが失礼いたします」


 最後に一人のこめかみを爪先で蹴り飛ばし、兵士の意識を彼方に飛ばしたフィルフィナが踵を返す。その背中にロシュも続いた。引けた腰で妨害しようと前に出てくる兵士の顔面に鉄拳をねじ込んでこれを吹き飛ばすと、舞台裏の方に二人して消えて行く。


「サフィーナ! もうその辺でいいでしょ! 逃げる時間よ!」

「えっ、もう? 甘い時間は一瞬に過ぎてしまうのね。じゃあニコル、落ち着いたらこの続きを」

「しません! リルル、後ろに乗って!」


 前脚を大きく振り上げ後ろ脚で立ち上がったヴァシュムートが、劇場の出口の方向――フィルフィナとロシュが向かった先とは反対側に、首を大きく振るようにして反転した。斬りかかろうとした兵士が振り抜かれた前脚にぶん殴られて吹き飛ぶ。


「ニコル!」


 リルルがニコルの背中にしがみつく。前に座っているサフィーナと挟まれる形になった馬上のニコルが、腹の中の空気を一気に吐き出す勢いで叫んだ。


「ご来場の皆々様! 騎士ニコルはこれで失礼させていただきます! またお目にかかることのできる日を楽しみにしております――それでは!」

「……市民たち! 『橋』の上に上がれ!」


 コルネリアがとうとう、最後の最後に残されたカードを切った。


「その者たちの逃亡をさまたげることに成功したものには、思いのままの恩賞おんしょうを、褒美ほうびを与えるぞ! 地位も、金銀も欲しいだけくれてやる! さあ!」


 その言葉を受けて、『橋』に近い席に座っていた市民たちが我先にとニコルたちの進路の前にい上がってきた。

 手綱を引こうとした手を緩め、ニコルは右手の槍を垂直に立てさせた。


「ニコル!?」

「このまま速度を出したら、市民たちを傷つける。どうしたら――」


 ほとんど歩く速度しか出せないヴァシュムートに、死霊の群れのように市民たちが群がってくる。リルルもサフィーナも、四方八方から集まってくる市民たちの姿に、首をいっぱいに巡らせた。


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