「騎士の魂、きらめいて」

 熟練ベテラン歌劇オペラ歌手のように堂々と響き渡るその声の素晴らしさに、それを耳にした全ての魔族たちが足を止めた。

 振り返ってみると、一人の偉丈夫たる騎士が抜き放ったサーベルを杖にして二本の脚で立っている。


 その立派な体格と、名乗った公爵という地位を真実だと思わせる、芸術家が彫り上げる伝説の勇者のような面構えに顔立ちが、全ての者たちの興味を惹いていた。


「――おい、大物だ、こいつが首魁しゅかいか」

「逃げていった小さいのは?」

「あんなのは雑魚だ! 放っておけ!」


 走り去ったニコルを追おうとしていた魔族もゴーダム公を包囲する輪の中に加わり始める。ざっと見回すだけでも百人の兵士たちが木々の間から姿を見せ、もはやどの方向に走っても、アリい出る隙間もない――逃げる発想など、毛の先ほどもなかったが。


「……我が魔界の駐屯地ちゅうとんちに攻撃をかけてきたのはお前の仕業か!」


 指揮官の一人だろうか、革鎧が主体の魔族たちの中で、金属鎧を着けている男が声を張り上げる。


「そうだ。この地は私が治める領地なのでな。そんなところに無断で基地を作られるのは、明らかな侵略行為なのだ。それを排除しようというのは当然のことだろう。違うかな」

「……こいつを生きたまま捕虜にしろ。利用しがいはありそうだ」


 ゴーダム公は、全身に回り始めたしびれのような痛みを隠して微笑した。


「私の地位を認めてくれたことは嬉しい。しかし、捕虜になる屈辱は飲めんな。それに」


 どうせ、数分後にはこの場の全員が吹き飛んで、死ぬ。

 だから。


「――最期には公爵としてではなく、騎士らしく死にたいからな!」


 騎士が、走った。体を動かす度に全身をバラバラにするようなきしみを無視し、剣を振り上げた。


「おぉ!」


 神の雷のように落ちる斬撃が、一人の兵士の頭から股を一度に斬り裂く。薄い鉄のかぶとも頭蓋骨も背骨も、腰の骨までも肉厚の刃が両断して、文字通りの真っ二つになった体がどう、と倒れた。

 切られた兵士が、自分が二つに分けられたことに驚いた顔をして、死んでいた。


「ふふふ――」


 そのあまりもの凄まじい縦の一閃に目を見張り、金縛りに遭ったかのように動けなくなった一団にゴーダム公は目を向けた。その中の一人、槍を持った若い兵士と目が合う。どこか喜びの色を浮かべた男の目に見据えられ、その兵士の心が瞬間、どこかに飛んだ。


 ゴーダム公の足が、獲物に飛びかかる野獣のように地を蹴った。


「んっ、ぐぅ!」


 反りが入った剣の先端が、硬直した兵士の喉を狙いたがわずに串刺しにした。一瞬で兵士の目が裏返って命が弾き飛ばされ、次の瞬間には身を退いて剣を抜いたゴーダム公の前で、喉から血を噴き出した体が、糸を切られた人形のように背中から倒れる。


「おっと……」


 見事な残心を示して足を引いていたゴーダム公の膝が、折れた。そのまま片膝を着いてうずくまる。が、敵が明らかな隙を示していても、他の兵士たちは動けなかった。仲間の二人が一太刀、一突きでほうむられた事実をどう受け止めていいのか、頭の中で処理できなかった。


「ふ、ふふふ。本当に、歳なのかも知れないな。まったく、歳を取るというのは嫌なものだ……」


 思い通りに動いてくれない膝をひとつ叩き、ゴーダム公は突き立てたサーベルにしがみつくようにして立ち上がった。体の芯を据えようと足を踏ん張らせるが、微妙に頭が揺れるのを止められない。それも息子の命を救った代償だ、安いものだと心の中で呟く。


「さあ、なにをしている。かかって来ないのか。自分でいうのもお恥ずかしいが、ゴーダム公エヴァンスの首を取れるなど、名誉なことに違いないぞ。さあ、さあさあ、我と思う者はいないのか――」

「――殺していい」


 槍を構えた兵士が、呟いた。


「殺せ! 殺していい! 全員で寄って集って、串刺しにしろ! その口を黙らせて、永遠に減らず口を叩けないようにしろ!!」

「やっとその気になったか」


 脚の揺らぎを懸命に止めながらも微笑んだゴーダム公が、炎が揺れるような動きで剣を構えた。死ぬ瞬間くらい、杖もなしで自分の脚だけで立っていたい。そんな自分の矜持プライドに公は笑った。


 ブォン、と、空気が見えない弦を弾いたような音を発したのは、その時だった。

 森の地面の一面、視界が及ぶところの全てが瞬く間に毒々しい紫の色に変わる。それが目に痛いほどの眩い光を放ち始め、周囲の色彩を一瞬にして乱し始めた。


「な――なんだ、これは!?」


 ゴーダム公にかかろうとしていた魔族たちが足を止める。全員の足の裏を叩いてくる地鳴りが響く。まるで、地底の底で機嫌を悪くした雷雲がゴロゴロと鳴っているかのようだ。

 来るものが来たか、とゴーダム公は微笑んだ。いい頃合いだと思えた。


「それでは、諸君」


 全ての者たちから影が奪われた。地面の全てが天に向かって輝く、視界を掻き乱す光の中で、ゴーダム公は剣を降ろすと、空いている腕を水平に構え腰を折り、華麗な仕草で一礼をしていた。


「ごきげんよう」



   ◇   ◇   ◇



 森の全てを包んだ光が、その震動をエルカリナ大陸の全土に響き渡らせるほどの大爆発を起こした。



   ◇   ◇   ◇



「うわぁぁ――――!!」


 森から平原に飛び出したニコルが、背中を蹴り飛ばしてきた爆圧を受けてその体を吹き飛ばされ。草の大地に体を叩きつけられて転がる。天と地が何回転したかわからなくなり、体が散々痛めつけられてからそれは止まってくれた。


「あ、あああ、ああ…………」


 自分が砕け散っていないのが不思議なくらいの痛みの中で体を起こしたニコルは、見た。

 広大な森の中心らしき場所で、地面が、巨大な雲の真っ黒い柱を噴き上げていた。

 キノコの形をしたそれは、とぐろを巻きながら空に向かって伸びていく。


 今までに見たこともなかったそれを遠くに目撃して、ニコルの目は震えた。

 外に逃げようと走っていた自分がこれほどの余波を受けたのだ。巻き込まれたものは一人として生きていないだろう。


「ち……父上……」


 ゴーダム公が最後に肩を抱いてくれたあの手の感触が、まだ残っているようにも思える。が、抱いてくれたゴーダム公の運命はもう、明白というしかなかった。


「父上ぇ――――っ!!」


 留まるところを知らず無限に空に向かって立ち上っていく黒い雲の柱を、父の墓標のように思って、ニコルは叫んだ。泣いた。なにも考えずに走っていた間止めていた涙が、今になって両眼から噴き出してきた。


 父の命はもう、あの爆発の中で四散しただろう。父の最期が具体的にどうなったかなどはもう、想像で描くしかないのだが、結果としての事実に揺らぐところはあり得ない。

 エヴァンス・ヴィン・ゴーダム公爵は死んだのだ。彼が愛し、育て、率いた騎士団と共に。


 その騎士団の中で、唯一生き残らされたニコルは、空を汚す黒い雲が薄くなり、そして見えなくなる数十分の間、心を空にしてその場に伏していた。体も心も疲れ切り、傷つき切っていた。

 だから、明確に迫るその気配にも少年は気づかなかったのだ。


「――人間がこんな所にいるな」


 ニコルの肩が跳ねる。背後を振り向くと、三十騎はいるだろう見慣れぬ重騎士たちの姿がいた。地上では見たことのない、あおに近い紫の毛並みをした馬にまたがった、その肌の色で魔族と一目でわかる騎士たちだった。


 その騎士たちが扇状おうぎじょうに半包囲した真ん中に、ニコルはいた。


「その出で立ちは、我が軍を攻撃した奴らの仲間だな」


 ニコルは立ち上がってサーベルを抜く。走って逃げるか、という思考は一瞬で下げた。魔法の道具の力を借りて加速しても、馬の全力疾走の速度に勝てるとは思えない。背中を斬られるだけだ。

 が、この数の騎士たちを相手に、今の消耗しきった自分が勝てるとは――。


「子細はよくわからんが、とんでもないことをしてくれたのは確かなようだな、子供」

「……僕は子供じゃない……」

「捕らえろ。捕らえて、拷問にかけて知ってることを喋らせて、殺してくれと懇願こんがんさせろ」

「真っ平ごめんだな……」


 ニコルは迷った。この場で自決するか、最後の最後まで抵抗してなます斬りにされるか。

 数秒の熟考を経て、ニコルは騎士たちに向けて剣を構えた。


「父上、ゆっくりしてから来いとの仰せでしたが、すぐさま後を追うことになりそうです。お許しください。ですが、自分は最期まで騎士らしく振る舞います。それだけはお褒めくださるように……」

「そうか、やる気か。まあいい。ここで時間をかけているわけにもいかないからな。――――殺せ」


 騎士たちが走り出す。直径三十メルトの半包囲が全包囲となり、ニコルを中心にして三十騎の騎士たちが時計回りに回り出す。ニコルには次の展開がわかった。その内の何騎かが輪から離れ、中心にいる自分に襲いかかって前後左右から斬りつけてくるのだ。


 一度目の攻撃をかわしても二度目、それを回避しても三度目、四度目――まるでよく統率された獣が、群れからはぐれて弱った獲物を確実に狩るのと同じ行動だった。だが、ニコルもただの獲物ではない。死ぬ前に二人か三人は道連れにしようと、深い息を吐いた。


「――さあ、来い」

「人間にしては見上げた覚悟だ。行くぞ」


 車輪が加速するように騎士たちが速度を増す。どいつが来るか、とニコルが風を読む。

 ニコルの注意を引くように正面から一騎、死角をくように背後から二騎、十字砲火のように中心に向かって騎馬が飛び出した。


「――死ね!!」


 どの騎馬が自分に最も早く到達するか、それを読むために動けないニコルに、三騎の騎士が殺到する。手に握りしめた槍が残忍な輝きを発する。

 それが少年の体を食い破ろうと振りかざされた時、太陽が陰った。あり得ない影が差した。


 そんなわずかな異変を察知した魔界の騎士たちがふっと注意を掻き乱された所に、吹き付けた薄桃色・・・旋風かぜと共に伸びた光るムチ・・・・の一閃がきらめいた。

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