「血と花」

パターン? 一致? なんの話かしら?」

「今更、お前に遺伝子についての講義をしても始まらんだろう」

「ごめんなさいね、浅学せんがくで」


 口でいうほどティターニャは機嫌を崩してはいない。笑うだけの余裕を唇の端に見せていた。


「私の遺伝子と、リロットから採取した血に含まれていた遺伝子との適合値、それが九割八分七厘九十八・七パーセント。これは今までに記録された最高値だ。リルルとの数値と全く同一・・・・で並んで、な」

「つまり、リロットはリルルの代わりになるということ?」

「そうだ」


 ヴィザードの声は落ち着いていたが、その顔は微かに上気していた。興奮を抑えているのがわかる。


「いまだリルルは魔界で行方不明だ。手がかりを得たという報告もない。リルルをいつ取り戻せるかわからない今、リロットを確保することで『計画』は継続できる。二大陸国家軍事連合がこの王都に押し寄せてくるまで、だいたい三週間……」

「それまでにリロットを手に入れられれば、あなたは幸せになれるのね」

「問題は、そのリロットをどう確保するかだ」


 ヴィザードの目が細められる。


「素顔は誰も見たことがなく、正体も不明。事件を解決するために現れる他は、どこでどうしているのか知る者はいない。彼女を確保するのに、なにかいい方法は……」

「私もよくはわからないのだけれど、その適合値の高さというのは、そんな大事なことなの?」

「重要だ!」


 反射的に大声を上げた瞬間、ヴィザードはすぐに我に戻った。声を荒げた自分を恥じたように咳払いをする。


「……重要だ。まさにこの『計画』の根幹を成している。九割八分七厘九十八・七パーセントという数値は、まさに理想値に近い。奇跡の適合値といってもいいだろう。こんな高い数字を弾き出す者が二人といるとは、私も信じがたい」


 再びヴィザードが静かな興奮に浸り出す。いつもの泰然とした重さを忘れたように居室を歩き回り、落ち着きのない様子であごの髭をいじくっていた。


「二番目に高かった者でさえ七割程度だった。そんな適合値では『計画』には遠い。それが二人ともにこんな高い数値を出し、しかも、全くの同一の数字……」

「数字が一致したのは、もっと単純な理屈からなんじゃないのかしら?」


 ヴィザードの足が止まった。ソファーに寝そべるようにして座るティターニャにその顔が向いた。


「――単純な、とは、どんなだ?」

「本当に単純な理屈よ」


 ソファーの背もたれを手で撫で、長い爪を研ぐようにしながら、何故こんな簡単なことに思い至らないのかという微かなあざけりを匂わせて、ティターニャはいった。


「快傑令嬢リロットと、あなたのリルルが同一人物ということよ」

「――――」


 ヴィザードの顔から表情が消える。

 息をするのも忘れたように見つめてくるヴィザードに、ティターニャは研いだ爪を掲げて見せた。


「…………まさか…………」

「そう考えるのが自然じゃないの?」

「……いや、まさか……」


 いいながらも、ヴィザードは記憶にあるリルルのたたずまいを心の中でよみがえらせていた。

 貴族の娘としては気取った風がなく、身につけているものさえ地味であれば平民の娘として十分に通じそうな面影が胸を過ぎる。


 対して、数時間前に対決し、罠にめてきたとはいえ、人間の娘の分際でありながらこちらに大きな打撃を与えてきた快傑令嬢リロット。


「……まさか。別人だ。あれがリルルだというのか。そんなことはあり得ない……」

「まあ、どっちだろうが私には大して興味がないことですけれど」


 ティターニャが立ち上がる。長い髪を手でく仕草がどこか優雅で、妖艶だった。


「肝心なのは、リルルがリロットと同一人物かどうかではないのでしょ。どちらかをあなたが手元に置ければいい。なら、魔界にいるだろうリルルよりも、天界から地上に降りているだろうリロットを手に入れるのが現実的。それだけの話ではなくて?」

「……しかし、そのリロットがどこにいるのか……」

「今までの快傑令嬢リロットの活動から考えれば、王都にいるのはほぼ確実なんでしょ。他の地域に彼女が現れたという例は少ないのだから。なら、この王都で会えるはずだわ。――しっかりしなさいな、国王陛下。少しほうけていらっしゃるのではなくて?」


 動揺を振り払うようにヴィザードが一度、頭を激しく振った。落ち着きを取り戻して、前髪に手を触れる。


えさを撒けば、快傑令嬢は現れるわ」

「餌だと?」

「事件という餌をね」


 面白い遊びを見つけたようにティターニャが微笑む。邪気のない笑みが顔立ちに不釣り合いだった。


「すぐに食いついてくる。ただ、少し前から二人目・・・がいるらしいけれど」

「二人目……」


 ヴィザードの瞳が軽く揺れた。


「ああ……私も新聞で読んだ。快傑令嬢サフィネルとかいう……」

「リロットと一緒に現れたことも何度かあるらしいし、彼女リロットの仲間なのは間違いないわ。仲間であれば、リロットの正体も知っているはず。どちらが来ても、結果にはそんな変わりはないでしょう?」

「……そうだな」


 顎を撫でるだけ撫できって、ヴィザードは手を下ろす気になった。その目の色に落ち着きが戻った。


「しばらく暇なようだし、餌を撒くのは私に任せてもらえるかしら」

「……大丈夫なのだろうな」

「あなたに忠実な闇のエルフの手際に期待していればいいわ。では、ごきげんよう」


 背が伸びたティターニャが貴婦人を思わせる所作で出口の扉まで歩く。ヴィザードがそれを目で追おうとした時には、扉を開ける音も閉める音も示さずにティターニャの姿は消えていた。


「……忠実なエルフ、か……白々しくも、よくいう」


 ヴィザードは胸の中心で脈打つ、心臓の鼓動と重なるようにして響く、もうひとつの鼓動の主を服の上から押さえた。


「まあ、いい。私もやることがあるからな」


 ヴィザードもまた扉に向かい、外に出た。行かなければいけない場所があった。



   ◇   ◇   ◇



 拓けた平地に築かれた王都エルカリナ。唯一の例外として横たわる小高い丘、その上にそびえるエルカリナ城は、この街に住んでいる者でさえ知らぬ、広大で深い地下の空間を直下に持っている。

 それは、地上にそびえている城よりも重要な、もしかしたら中枢ともいえる空間であった。


 有事の際にしか開放を許されない、一階の下り階段。その扉を開け、ヴィザード一世は一人の供をも連れず、延々と続く螺旋らせん階段を下る。蛍光石が放つ薄い輝きに照らされる階段は、武装した兵士が十人は横に並んでも余裕があるほどに幅が広く、そして下った段数を忘れてしまうほどに深い。


 丘の高さを下回るほどに下り、このまま地底にまで続いてしまうのではないかというほどに下りに下って階段がようやく終わり、ヴィザードは巨大な空間に到達していた。

 それはまるで巨大な祭壇のようだった。


 四方は百メルト、高さは優に十メルトほどはある空間。装飾もなにもなく、無味乾燥な白い天井、壁、床があるだけだ。逆にその単純シンプルさが、人の力を超えたものを感じさせる。


 ただひとつ異様なものがあるとすれば、最奥部の壁にある幅二十メルト、高さ八メルトほどの巨大な合わせ扉が開けられたまま、その周辺にかなりの量の瓦礫がれきを積み上げていたことだろう。それでも扉に続く通路を確保するように、ある程度ではあるが片付けられていたが。


「ここも完全に片付けるには至らなかった、か。まあ、いい」


 ヴィザードは空間の中心に立った。胸を張るようにして直立するとその胸の部分が、服の下から押し上がってくるような輝きの点滅に光り始める。


「うぅっ……」


 動悸の苦しさに似た感触に、軽く歯を食いしばったヴィザードが声を漏らした。血管が波を打つように膨れ、血の温度が確実に上がったとわかる。それを冷やすために全身が汗を発し、髪の間から流れる汗の筋がヴィザードの頬を流れ落ちた。


 ヴィザードの足元、爪先のすぐ近く――一歩を踏み出せば届くだろう距離の床の上に、光の線が走ってひとつの図を描いた。それは縦横一メルトの正方形を形作ったかと思うと、地面から高さ二メルトの直方体となって勢いよく突き出した。


 直方体を縦に割って光が上から下に走り、そこが合わせ目であるかのようにが開いた。直方体の内部が露出し、人ひとりが優に入れる広さの空間が現れる。


「――条件さえ揃えば、あっけなく解かれるものなのだな」


 胸をさいなんでいた痛みが、胸板と服の下から光を押し上げていた輝きの消失と共に治まった。自宅の玄関に入るような気軽さで、ヴィザードは目の前に現れた直方体の中に足を踏み入れる。


 それは昇降機しょうこうきのように扉を閉める。天井が蛍光石のように輝いて内部をやわらかい光で満たすと同時に、直方体の全部が降下を始めた。


 体が浮き上がるような浮遊感が伴うほどの降下速度だった。降下する加速が十数秒続き、内臓の全部が上へ上へと押し上がる不快感にヴィザードは耐える。

 加速が終了したあと、直方体が加速も減速もなく、下り続けているという感覚が数分間続く。


「到達距離は……六千メルトのはずだが……」


 体感時間で五分ほどが経過するかという頃合いで、減速に入る。今度は足元の床に体が押しつけられるような加重感がかかってきて、直方体の降下速度が確実に遅くなるのを全身で感じた。

 足を軽く踏ん張って姿勢を保つ。加速がかかったのと同じだけの時間をかけ、速度がゼロになった。


 直方体が停止したのとほとんど間を置かず、目の前の扉が開く。

 両開きに開いた扉の先にヴィザードは、見ていた。


「……ほう……」


 輝く一面の花畑を。

 頭上に展開する暗幕の暗さをものともせず、この空間を美しい光で満たすようにきらめき輝く、宝石を花の形にした、視界一面を埋め尽くす花畑を。

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