「魔王の一族、その亀裂」

 魔界の王宮の中心にありながら、謁見えっけんの間には普段、警備の者たちとて常駐してはいない。魔界の行政を司るほとんど唯一の執行機関である王宮は日頃大勢の人間の出入りで活況さえ示していたが、まさしく台風の目のようにこの広大な空間は静謐せいひつさを保っていた。


 暗い太陽が地平線から顔を出してまださほどの時も経過しない早朝、そこは王の一族に連なる父と息子の対峙の場と化していた。



   ◇   ◇   ◇



 龍の髭で作ったような凄まじく野太い音を発する弦楽器の音色のような声が、その謁見の間に存在するあらゆるものを芯から震わせ、軽いものは揺り動かしさえした。


「お前は、その構図がどういうことを意味しているのか、わかっているのか」


 地を揺らすような――いや、まさしく地を揺らして伝わって来ている声が空気を振動させる。一年を通して真冬に近い気温の室内が、その声の通過だけで熱を持ったかのような錯覚を覚えさせた。


「親父……」


 その奥に玉座があるとされている・・・・・分厚い緞帳どんちょうから少し離れて立つダージェは、予想から少しも外れていない反応に顔を歪めた。


「――だからさ、要は魔界の食糧不足をまかなえればいいんだろ? リルルの親父はもの凄い穀倉地帯を持ってる貴族で、その売り先をうちにしてもらえばいいんだよ。対価は、なんかこっちで採れて向こうが欲しがるもんがあるかも知れねぇ」


 最初の提案を一喝で払われたが、ダージェは食らいつく。ほぼリルルの受け売りのままだったが、魔界で最高意志決定の権を握っているこの父親――魔王をどうにか説得しないことにはなにも始まりはしなかった。


「なんだったら、労力として地上に移住するっていう手だってある。リルルの親父はその点、融通が利くらしいんだ。――親父だって、戦争が始まれば民がどんな目に遭うかはわかってるんだろ? 荒事にしないですむなら、それに越したことは――」

「……であるから、その構図がどのような意味を持つのか、わかっているのかと聞いている」


 耳に入る音もそうだが、足の裏から伝わってくる声の響き、震動がダージェの脚の骨にまで染み入り、無数の見えないヒビを入れるかのようだった。父親の声だとわかっていても、ダージェの膝は気を張っていなければそれで砕けそうになる。


「お前はなにもわかっていない。肝心なことを、だ」

「肝心なことって、なにを……」

「常に飢えている魔界は、地上の胸三寸でその運命を決められることになるのだぞ。地上が我々の足元を見て食料の供給を止めたらどうなるのか、考えたことがあるのか?」

「仕方ないだろ、実際貧しいんだから……」

「我が魔界は貧しかろうと、地上に屈服して生きる選択肢はない。地上に生殺与奪の権を握られて生存するのは、生きているということではない。生かされているということだ。我々は家畜ではない」


 宣言だった。それは揺るがないものである、という決意があった。


「地上の人間たちの足を舐めて生き延びるくらいなら、誇りある死を選ぶ。この暗い世界に押し込まれたまま窒息して滅ぶよりは、一時、地上の光を浴びて死ぬ方が望ましい。いや、今この時点で地上を強襲すれば、必ず勝てる。そのためのエルカリナ王国との同盟なのだからな」

「親父……」

「あのリルルという娘になにか吹き込まれたか」


 ダージェの胸で心臓が大きく一度、弾んだ。


「大方、戦争はやめてほしいなどといわれたのだろう。……魔界の王子ともあろうものが、地上の娘一人に翻弄されるなど、体面を考えたことはあるのか。お前が魔界の娘に手をつけるのは大目に見てきたが、地上の娘の口車に乗せられるなどは、見逃すことはできない」

「確かにきっかけはリルルの発案だ。それは認める。でも親父……戦争が起こっちまったら、こっちだって無傷っていうわけには……」

「くどい!!」


 たとえでもなんでもなく、地が揺れた。ダージェの靴の裏がほんの紙一重、一瞬だけ浮き上がった。それよりもダージェは父親が怒気を発したことに恐怖する。感情を荒げることなど滅多にないというのに――。


「……話は終わりだ」

「親父!」

「ダージェ、そなたには二日の謹慎を申し伝える。今日を含めて二日間、屋敷に引きこもっているがいい」

「……ふ……二日……?」


 冷や汗に濡れて凍えていた体に、生気が戻る感じがした。


「二日の謹慎なら……軽い方かな……」


 音にならない声でそう呟く。父親を怒らせたようだが、いいつけられた二日の謹慎というのは拍子抜けするほどに軽い処分だった。正直、投獄を覚悟していたからだ。


「屋敷に戻るがいい。謹慎の間は王宮には立ち入ることは許さぬぞ」

「わかった、わかりましたよ、父上陛下。ああ、最後に一言だけ……」

「……なんだ」

「あのヴィザードのおっさんはなんか企んでいるみたいだから、そこを念入りにつついておいた方がいい。絶対俺たちが考えてもいないような隠し事をしてるはずだぜ」

「いわれるまでもない。早く下がれ」

「屋敷で大人しくしてる。――それでは陛下、失礼します」


 まだ目はあるかな、と淡い希望を抱きながらダージェはきびすを返し、屋敷に繋がる転移装置が据えられた部屋に向かって謁見の間を辞した。戦略会議の会合の場で一悶着ひともんちゃくあれば、考えを変えてくれる可能性だってある――。


 そんなダージェの気配が謁見の間から去ったのを確かめ、声は再び響き渡った。


「――聞いていたな、モーファレットよ」

「はい、陛下」


 緞帳の裏から炎の髪をなびかせるようにしたモーファレットが音もなく現れる。


「あの息子はもう、処置なしだ」

「みたいですわね」

「…………準備は、できているか」


 わずかな口ごもりに、モーファレットは微かに目を伏せた。

 地上からは魔王などと呼ばれる存在であっても、息子を切り捨てる心の痛みは存在するのだ、というのは嬉しさのようでもあり、悲しさのようなものかも知れなかった。


「親衛隊から口の堅い、信用できる者を選抜しました。みな、事実を一言も漏らさずに墓場に持って行ける者たちですわ。――王子殺し・・・・といえども」

「工作の時間も必要だ。決行は明日の夜明けの少し前、最も眠りが深い頃を狙え。夜更けまでは警戒しているかも知れぬ」

「そんな風には見えませんでしたわ。自分が父親から命を狙われているなんて、微塵みじんも考えていない様。ダージェは陛下を好きなのですわ」

「……それ以上、いうな」


 モーファレットはいわれた通りに言葉を控えた。


「戦略会議にまではすませておきたくもあるしな……モーファレット、お前はこの王宮を遠く離れているがいい。王族同士で姉が弟を殺したなどという風聞が立つのは、避けたい」

「用心深い陛下でありますこと。かしこまりました、最善の処置をいたします。あと、陛下――いいえ、父上・・

「……なんだ」


 その呼び方が娘からの皮肉というのはわかっていたが、魔王は応じていた。


「あの子に最後、申し渡すべきことがあるのなら、今のうちにうかがいますわ」


 沈黙が降りた。沈黙と呼べるだけの間があった。


「…………今度は王族などに生まれてくるなと、そう伝えるがいい」

「わかりました。それでは、最後の準備に入ります」

「…………苦しませないようにな…………」

「ええ。……私も」


 魔界を危機に陥れる弟も弟だったが、それを殺してでも排除するという父親も父親だった。苦しめ、とモーファレットは内心でせせら笑う。これが『家族』だとすると、悲劇を通り越して喜劇だった。

 そして、今ひとつ思うのだ。


「……私も、弟を殺すというのは、気持ちのいいことではありませんから」


 そんな二人に陰で冷笑の雨を浴びせている自分にも、相応の罰が下ればいいのだ、と。

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