「運命の一〇六階へ」

 ――百五階。


「リルル! 今よ!」

「ええ――サフィーナ!!」


 リルルの右脚、サフィーナの左脚、体の側面を合わせてんだ少女たち、その矢のように鋭いりが弾雨だんううずを越え、機械骸骨ガイコツの頭部に突き刺さった。

 固い金属の集合体が、一瞬にして乾いた砂のかたまりに変わり、それが粉微塵こなみじんに吹き飛ぶ。


 同類のしかばねの上にむくろを倒れ込ませ、動かなくなった機械たちの残骸ざんがいを背にしてリルルとサフィーナは着地し――前に進む勢いを制動できずに、そのまま前に倒れた。


「リ……ルル……!」

「わかっ……てる……」


 目指すべき百六階への階段は、もう目の前にあった。障害となるものも全て排除はいじょした――が、二人は進めない。いや、じりじりとではあるが進んではいる――毛虫がいずるほどの速度で。


 疲労が骨にみ込んだ腕も脚も、なまりの数倍の重さがあるのかというほどに重かった。


 そんな少女たちを天井から冷たく見下ろしている数字の動きもまた、変わらない。一秒につき一秒、一分につき一分――なんの感情もなく手心てごころもなく、刻々一刻こくこくいっこく、その数を減らしてくれていた。


「残り時間……十、十八分……三十、秒……」


 もう数字を見るのも憎々にくにくしくなる気持ちをおさえつけ、リルルはレイピアをつえにして立ち上がった。

 体力などというものはとうにきていて、時間の経過でわずかに生み出される力をその都度つど、使い果たし続けているようなものだ。

 骨の一本、筋肉の繊維せんい一筋ひとすじにまで、疲れがのろいのように染みこんでいる。


「サフィーナ……」

「心配はご無用よ。立てる……立つわ。見てて……」


 差しべられかけたリルルの手を、疲れた微笑びしょうで払いのけ、自分の体を組み立て直すようにサフィーナもまた、立ち上がった。


「――リルル、現実をわかってるわね。私たち、この百五階を突破するのに、三十分かかった。つまり……」

「次の階で多分、残り時間がきる……」


 多分、という言葉を使ったが、それも強がりだ。リルルもサフィーナもそうであることを理解していたが、訂正ていせいする気力も体力もしかった、――確実に、時間は尽きる。

 もしも、奇跡が起きて次の階ではそうならなかったとしても、そのまた次の階では――。


「もしも……もしもよ。残り時間がなくなって、あのフェレスとか庭師とかいう奴の、ふざけた遊戯ゲームに負けるようなことがあったら、リルル……あなたはどうするの」


 階段の段に足を乗せる。片足に体重の全部を任せ、それが耐えてくれている間に、もう片足を先の段に乗せる。そして同じ要領で、次の段をむ。


「どうするのって……サフィーナ、私の性格はもうわかっているでしょう。なら、予想がつくはずよ」

「わかっているけれど、是非ぜひとも耳で聞いてみたいわ……どうぞ」


 震える脚をたましいで支えながら、体を持ち上げていく。ひとつ、ひとつ、ひとつ。


「時間が切れたから、はい負けました、昇降機エレベータで大人しく一階に戻って、全部をあきらめて島から退散たいさんします…………なんてことを、私がするわけないでしょうが」


 ふらり、とサフィーナの体が後ろにかたむいた。間髪かんぱつを入れずリルルの手がび、サフィーナの手をつかまえて引き戻した。


「あ……ありがとう、リルル……」

「時間が切れたって、とうを上がるのはやめないわ」


 燃えるアイスブルーの眼差まなざしで自分の進むべき方向をにらむ少女が、厳然げんぜんと言葉をきざんだ。


「こんな勝負、人質をとって無理矢理参加させられたものよ。規則ルールに大人しくしたがってやることなんか、ないわ。もう、百六階に上がろうとしてるのよ。百十九階まで少しじゃない……時間が切れようが手遅れになろうが、あの馬鹿の横っ面に拳鍔メリケンサックをぶち込まないと、気が済まないわ……」

「リルル、気持ちはわかるけれど、女の子が口にする台詞セリフじゃないわ……後半の部分をいってるのよ」

「私はこの塔を上るのを、やめない。サフィーナ、あなたもでしょう」

「――嬉しいわ、リルル。あなたと意見が一致いっちして」


 顔が微笑にほころぶのをとめられないサフィーナの足が、進む。一秒前よりそれは明らかに軽かった。


「私、生まれた性別を間違まちがえたみたい。男に生まれて、あなたをニコルと取り合えばよかった。そうも思うわ」

「やめてよ……ニコルとあなたに迫られたりなんかしたら、とても身がもたないわ……」

「なにがあっても私の相棒でいて。私の望みよ、リルル」


 リルルも微笑みで返す。こごえる絶望的なこの状況じょうきょうにおいて、それが唯一ゆいいつのあたたかな幸せだった。


 階段を上りきり、百六階に二人は足をみ入れる。百五階までと同じように、デタラメに入り組んで少し先も見通せないいつもの迷路がそこにあった。


「……敵の気配がないわね」


 待ち構えているはずの異形いぎょうの機械たちの姿が、影も形もなかった。物陰ものかげに隠れている様子も感じ取れない。不意打ちや待ちせを警戒して耳をますが、歯車の駆動音のひとつも伝わってはこない。


「どうしたのかしら。迷路が設定されているのに敵がいない、なんてことはなかったと思うけれど――」

『やあ、リルル嬢、サフィーナ嬢』


 天井から響く、もう耳に馴染なじみ始めてきた声に、リルルたちの背中が伸びた。四十階以上を上ってきても、今まで聞こえて来なかった声だ。


『二人ともここまでお疲れ様だ。健闘けんとうの方、感銘かんめいを受けながら拝見はいけんさせてもらってるよ――』

「高みの見物でしょうが! わざわざなにをいってくれるというの。もう時間に間に合わなくなった私たちをからかうために声をつないでるっていうの!?」

「リルル、落ち着いて。興奮こうふんしても体力をけずるだけよ」

『そうそう。それなんだ。キミたちにとてもとても残念なお知らせをしなくてはならなくてね――』


 リルルとサフィーナの背骨が音を立てて凍った。その内容は予想がついたからだ――悪いものが。


「……待ちなさい! まだ時間は残っているわ! もう無理だからって、ここで打ち切るわけじゃないでしょうね!!」

『打ち切り? なんでそんな話になるんだい? そもそもキミたちの挑戦には可能性が――あっ』


 数瞬のいた。


『いやあ、すまない。ボクの方が言葉を選びそこねたね。――残念なのは、ボクにとってだよ。二人とも喜びたまえ。まだ百十九階に間に合う可能性は、十分に残っているんだ。おめでとう』

「……どういうこと……?」

『ニコルくんのおかげだよ』


 ニコル、という名前を耳にして少女たちは顔を見合わせた――おどろきと喜びのモザイク模様で。


『キミたちが上がってくるのと並行へいこうしてね、ニコルくんと将棋チェスをしていたんだよ。ニコルくんが勝ったら、キミたちをこの階から昇降機で百十八階に上げる。負けたら九十六階に落とす――それでニコルくんが勝ったんだ』

「つまり……」


 リルルとサフィーナが同時に天井の表示に視点を合わせた。

 ――残り時間、十二分十五秒。


『この階では妨害ぼうがいを出さない。キミたちを昇降機まで案内しよう』


 リルルたちの足元の床が赤く光った。それは入り組んだ迷路に一本の曲がりくねった道を作る。これに沿って進めば、塔の中心にある昇降機の主軸メインシャフトにたどり着けるというわけか。


『いやあ、待ったをかけなかったら、それでも百十六階で時間切れになっていたはずなんだけど。余計よけいなことをしてしまったから、二階追加してしまったんだ。キミたちの運命をつないでしまったね。――というわけだ』


 百十八階に着いても、十分は時間がある。その間に百十九階にまで到達できれば。


『ただね、美味おいしい話ばかりではないんだな、これが」

「……え?」

「百十八階は迷路にはなっていないが、六十階と同じような強敵を用意している。キミたちはそれに勝利しないと、ニコルくんの元にはたどり着けないよ』

「同じようなって……あの魔法金属アルケミウムのゴーレムと、同じようなものを?」

『まあ、百聞ひゃくぶんは一見にしかず。ご紹介させていただこう、キミたちを百十八階で待ち受ける強敵を』


 壁と天井の全てが映像を投影する板に変わる。それは無限に連なる気配を見せ、案内の光に従って進みながらでもリルルとサフィーナは確認することができた。

 映像の光景は六十階と同じく、昇降機の主軸以外はなにもないひらけた空間だった。


『ここからは見えないか。視点を移すかな』


 映し出される景色がぐるりと動き、少し高い位置から遠くを見渡す視点に切り替わる。塔の内壁、壁際に立つ三体の人型がはるか遠くに現れる――その見覚えのある姿に、リルルが声を上げた。


「私たちが倒したゴーレムじゃないの!」

「それも三体……!」


 リルルとサフィーナの心が、冷え切った。六十階でたった一体を相手にした時も、何度ダメになるかと思わせられたかわからない強敵。それが数を増している。


「……リルル、あれに勝てる勝算がある?」

「手元の勝算は在庫切れしているわ……思いつかない」

『ああ、キミたちはちょっと、思い違いをしているよ』


 リルルたちの目がまばたかれた。同時に、嫌な予感が脳裏のうりぎる。


『キミたちが相手をしてもらうのは、こっちの方だ』


 その瞬間に少女たちは知った。この映像の視点はどこに置かれているものか、ということを。

 数百本の紫電しでんみ上げた、激烈げきれつな光の奔流ほんりゅうが画面の一切を紫色の輝きにくしたのは、この瞬間だった。


「くぅぅ……!!」


 網膜もうまくを突き破るようなすさまじい光量に、リルルとサフィーナは反射的に手をかざしていた。それでも見ていなければならないという意志が、二人の目を完全には閉じさせない。

 そんな輝きの嵐、あふれる光の旋風と荒波の中で繰り広げられた光景を二人は、確かに、見ていた。


 濁流だくりゅうとなった光の洪水こうずいは、一呼吸で百メルトの距離きょりを走り抜けると、ゴーレムの一体を飲み込んだ。あらゆる物理攻撃を跳ね返す魔法金属で構成されているはずのかたまりが、熱湯をびせられた氷粒こおりつぶのようにかされる。


「――――!!」


 き出された光が終息し、収まった時には、一体のゴーレムの姿は文字通り、影も形もなかった。残骸ざんがいすら残らなかった。


 言葉を失い、足も止めてしまってその光景を見守っていた二人の少女の視界の中で、画面の光景がひとつ、大きく揺れた。

 それは、ほとばしる光を吐き出したモノ・・が歩き出したがゆえだということを二人が直感するのに、さほどの苦労も要求しなかった。

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