「鈴と、光と、号令と」

「ええぇ……おいおい、おいおいおい、これはちょっとないだろ、展開的にさあ」


 完全球体の四分の一を切り取った形の椅子いす、それに全身を包まれるようにして座るフェレスは、宇宙の中で浮いていた。


「リルル嬢とサフィーナ嬢を比較ひかくすれば、リルル嬢の方が主役だろう、このシチュでいったらさ。なのに主役が逃げ出すなんてあり得ないよ。力尽ちからつきて降参するとかいうのは想定に入っていたけれど、背中を見せて逃げ出すなんていうのは、なぁ……」


 光を生まない闇の中、フェレスの眼前で何枚もの『窓』ウィンドゥが重なるように浮かび、それが六十階の光景を様々な角度から映し出している。リルルを飲み込んで沈黙ちんもくした下り階段、それに目を向けて絶望しているサフィーナ、そのサフィーナにゆっくりと迫る巨大なゴーレム。


「期待していたんだけれど、がっかりだ。いいところまでやってくれるとは思っていたんだが、ボクもまだ人を見る目がない、ということか。へこむね」


 ゴーレムの両腕、そして胸部に内蔵された砲が全てサフィーナに向けられているのを、何枚もの映像が示していた。二人でいたからこそ走り回り引っかき回せていたゴーレムが、この瞬間からサフィーナ一人だけをねらえばよくなったのだ。


「面白くなくなったなぁ。まあ、取りあえずニコルくんのご機嫌をうかがうとするか。恋人が逃げていった心境とやらを聞かせてほしいしね」


 フェレスが軽く念じると、目の前にあった十数枚の窓がことごとく消えて行く。最後に残った大きな一枚が映す場所を切り替え、ニコルがいる部屋を天井から見下ろす光景が表示された。



   ◇   ◇   ◇



『ニコルくん、どうだい。リルル嬢が逃げ出したのをそちらでもているかい』

「――――」


 天井から響く声にニコルのあごが上がる。冷静な目が虚空こくうに向けられた。


『おや、あんまり動揺どうようしていないようだね。キミからしたら、いとしいあの退却たいきゃくしてくれてよかった、というところかな?』

「いえ……リルルらしいな・・・・と思ったんです」

『らしい?』


 おどろきと興味が入り混じる調子で、オウム返しの声が響いた。


「子供の時、よく二人で玉のぶつけ合いをしていました。当たっても痛くない、やわらかいやつです」

『それで?』

「それで、リルルは……いえ、これ以上はやめておきます」


 ニコルが瞬間、顔をせた。その一瞬の表情をフェレスは見逃してしまっていた。


「それよりサフィーナ様の方が心配だ。フェレスさん、もうサフィーナ様に攻撃を加えるのはやめていただけませんか。危険です」

『彼女が降伏したらやめるよ。ボクは彼女を負かそうとするけれど、別に殺したいわけじゃあない。キミからサフィーナ嬢を説得してもらえないかな。音声回路をつなぐから』

「今、ここで水を差したら僕はサフィーナ様に怒られます。サフィーナ様はそういう方ですから」

『以前の主君の娘で、二年間ほど交流があったんだね。まあ、彼女の人間性については記載きさいはないから、彼女を知っているキミの方がくわしいんだけれど。では、このまま続けるとしようか――時にニコルくん、人間の本質が最も顕著けんちょに現れる瞬間はどういう時か、ご存じかな?』

「絶体絶命の危機の時です」

『キミに対しては愚問ぐもんだったね』


 笑う気配が天井の向こうでした。ニコルはちらとその方向に気を取られたが、すぐに壁に投影されている映像に目を向ける。ゴーレムが砲撃を再開し、紫陽花あじさい色のドレスの少女が炎が飛び交う中を走りに走り始めたからだ。


『では、彼女の本質を問うとするか――答えは数分後、かな』



   ◇   ◇   ◇



 ゴーレムが三門の砲身を全てサフィーナに向け、右腕、胸部、左腕の順番で砲撃を連続させた。一門の発射間隔は五秒ほど――二秒に満たない間隔かんかくでゴーレムが砲撃を連ね、ゴーレムの周囲、百メルトほどの半径はんけいを引いて円を描くように走るサフィーナの軌跡きせきを、丹念たんねんに燃やしていく。


 ゴーレム自体の知能はさほど高くない。調子をずらしたり先読みをするということもせず、ただ機械的にサフィーナを照準しょうじゅんとらえて砲撃をり返した。


 背中に熱波ねっぱを張り付かせながら、サフィーナは走る――走り、走って、走った。


「くぅぅぅ――!!」


 直撃すれば命はない。千度を軽く超える熱の中で瞬時に炭化たんかするか――できなければ服を灰にされ、苦しみを長引かされながら皮膚と肉を焼かれて死に至るだけだ。

 そんな恐怖と肌を密着させるようにして、次々にき上がる炎の柱の間を、サフィーナはけに駆けた。


「こいつ、弾切れという概念がいねんはないの!?」


 すでに百発を超えているだろうに、砲撃の勢いが弱まらない。


「なんとか、接近しないと!」


 ゴーレムの額に刻まれた文字列、そのいちばん左の文字を削って消せばゴーレムは停止する。ニコルが教えてくれたその事実だけを信じてサフィーナは右手のムチを振るった。普段ふだんは五メルトほどしかないムチが、青く輝く閃光と化してびに伸び、弾丸と変わらぬ速度でゴーレムの首に巻き付いた。


「っ!」


 サフィーナが地面をる。ムチは見る間にサフィーナとゴーレムの間でちぢんで短くなり、その分だけ宙に舞うサフィーナをゴーレムに向けて引きつけた。砲撃がき散らした火炎でむせかえり、立ち上る黒煙で視界もかなくなってきた階の空間を、少女の体がしなやかに飛ぶ。


 ムチの特性を活かして自分に向けて急接近しようとする少女に対し、ゴーレムが取った処置は実に単純で、効果的だった。


「あうっ!」


 サフィーナの体が、飛んだ勢いのまま地面に横倒しに叩きつけられ、長い距離を転がった。手に持ったムチの切れ端が無惨な断面を見せていた――ゴーレムが、首に巻き付いてきたムチを引きちぎったのだ。

 焼けた床に全身をくまなく打ち付け、数十回視界の中で天地が逆転し、少女の体が止まった。


 激痛の中で一瞬意識が飛び、朦朧もうろうとする思考の中で立ち上がろうと地面をつかんだサフィーナの目の前で、大きな地響きがひとつ鳴る。


「あぁ……」


 顔を上げたサフィーナは、自分の視界の全部をおおくしているそれを見て、うめいた。腕の全部で抱きついても回らないほどの太さを持つ脚が二本、そこにあった。

 その片方が持ち上がる。寝台の広さほどはある足の裏が見え、それがサフィーナを影で覆い隠した。


「――待って」


 少女の手が震えながら、上がった。それがサフィーナに唯一ゆいいつできる行動だった。


「待って、くださるかしら。最後に、話がしたいの。私はもう抵抗ていこうしないわ。逃げもしない……したくても、もう体が動かないの。お願い、約束します」

『――ゴーレム、待ちたまえ』


 またも天井から響いて来たフェレスの声に、サフィーナをつぶそうとしたゴーレムの足が、元の位置に戻った。

 ちりん……。


『そのゴーレムは頭がよくないんだ。犬猫よりも話が通じない。ボクが代わりに聞こう』

「そう……じゃあフェレス様、あなたでも結構よ。待ってくださり、ありがとうございます」

『それで、話とはなにかな? 降伏してくれるのかい?』

「降伏は……しません」

『んんん?』


 弱々しい声ではあるがはっきりとした少女の口調に、首をかしげるような気配が返って来た。


『降伏してくれなければ、この戦いを終わらせることはできないよ。キミを敗北判定したらいいのかい? もうキミは戦えない状態だと思うけれど』

「そうね……私はもう、戦えません。体中が痛いわ……でも、私は降伏はできないの」

『わからない話だなぁ。なら、強引に決着をつけて幕引きさせるしかない。それがどういうことかキミにだってわかっているだろう』

「私が死んだら勝負がつく。理解しています」

『もう戦えない、しかし降伏はしたくない――なんだね? このまま殺してくれっていうことかい?』

「――ふふ」


 苦痛に歪む表情の中でサフィーナは、確かに、笑った。


『……サフィーナ嬢、はっきりいっておくよ。ボクはそんな残酷な性格じゃない。キミがゴーレムに踏み潰されてぺしゃんこになる姿なんかは、見たくないんだよね。そりゃあ、命をけた戦いをしてもらってるから、条件はきびしく設定していたけれどさぁ……戦えなくなった人間を殺すのは、別の話だね』

「お優しいところもあるのですね」

『と、いうことだ。ぞくな言葉でいえば、無益むえき殺生せっしょうこのまないんだよ。ボクも人間じゃないけれど、眠って夢は見る。ああ、ついでに食事もするさ。だからさ、キミのような美しいご令嬢を血と肉のかたまりに変わるのを目の前にして、食事が不味まずくなるなんていうことはね、できたらしたくないんだな、これが』

「わかります」

『わかってくれたら、納得してくれるかな。……降伏する、でいいんだよね?』

「降伏はしません」

『わかってないじゃないか!』


 フェレスの怒気どきに、空気が揺れたかのように風が吹いた。薄く黒煙が立ちこめる中、六十階の空間の視界はかすみがかって、遠くの壁が見通せないほどだ。残り火が酸素を消費し空気が目まぐるしく流動する。

 ちりん……。


『それは貴族の矜持きょうじ、プライドという奴か。――ボクも高貴な立場ではないからわからないんだが、キミだって命はひとつだろう! 意地のために命を捨ててどうするんだ! 少しは考えたまえ!』

「――よくわからないんですが、どうして私が降伏をしなければならないのです? 降伏は負けている方がするものでしょう?」

『なに……?』


 ちりん、ちりん……。


『――なんだ、さっきからしているこの音は』


 ふわあ、とまたも大きく風が動いた。

 ちりりん……と鈴の音に似た音――いや、鈴の音そのものの音が響く。

 フェレスはそこでようやく、音の発生源に気が付いた。


『ゴーレムの首から鳴っている? ……これは』


 先ほどサフィーナがゴーレムに巻き付けたムチ。それをゴーレムが引きちぎった際に首に残った、巻き付いたままの切れ端。その先端に鈴が取り付けられているのを、フェレスは見つけていた。


『この鈴は……特殊な波動を送っている。いや、昔に見たことがあるな。これは――』

「双子の鈴、と呼んでいるものです。その鈴をつけた者同士の位置と方向を探り合う、エルフの魔法の道具」

『確かそんな名前だった。しかし、どうしてそんな鈴を、このゴーレムに……待った』


 フェレスの声がにごった。


『キミがゴーレムにムチを巻き付けたのは、ムチの伸縮しんしゅくを利用して接近をこころみたからじゃない――この鈴を、ゴーレムに取り付けるためだったのか?』

「ご名答です」

『――いや、でもそれにどういう意味が。そんなことをしていったい、なんになると……』

「それは、もうすぐわかりますわ。ほら」


 薄く煙る空間にふっと、一条の細い糸のような真紅の光線が伸びた。

 その光線はゴーレムの首――まさしく双子の鈴に当たって、赤い光のみをにじませる。破壊もなにもない、ただ対象物をかすかに光らせるだけの弱い光。


『これは……』


 フェレスはふくらむ予感を胸の内でおさえながら、光線の発射元を追った。ただよう煙でやはりよく見通せないが、向きからしてすぐに見当はついた。

 その先には、五十九階に続く階段があるはずだ。


『まさ……まさか……』

「ふふ」


 サフィーナは微笑み、右の耳から下がっているイヤリングを指ででた。


「――ゆっくり上に」


 光線の傾きが上がる。ゴーレムの首に当たっていた光点が、魔法金属の表面をめるように上がっていく。それは、人間でいう口と鼻があるところをなぞっていき、さらに輝いている目の間を通り――、

 そして、額の上で赤く輝く魔法の文字列、『emeth』に到達した。


「止めて」


 文字列をほんの少しだけまたいで、光点は停止した。


「少し左に。ほんの気持ち――そう、そこ」


 光点が左にやや流れた。文字列の左端『e』の真上に固定される。


『これは――――!』


 驚愕きょうがくの息づかい。それに耳をくすぐられ、心底から満足の笑みを見せたサフィーナは、ほこらしさでいっばいになった心を震わせながら、号令・・していた。


「これで、大丈夫よ。

 さあ、撃ちなさい――リルル・・・!!」

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