「ロシュがニコルに求めるもの」

 純度九割九分九厘の魔法金属アルケミウムで全身を構成されたゴーレムが、胸・右腕・左腕に内蔵された三門の砲を、一斉に発射した。

 ゴーレムの前面が天井と床にまでとどくオレンジ色の火球を生み、耳が張り裂けないのが不思議なほどのすさまじい轟音ごうおんとどろかせ、密室に近い空間の空気を張り倒した。


「んにゃ――――!?」

「リルル、悲鳴がはしたないわよ」

「よく落ち着いてられるわねぇ!?」


 リルルとサフィーナは文字通り、後ろも振り返られずに逃げまどうしかなかった。命をけた全力疾走ぜんりょくしっそうで床をる彼女たちの背後に着弾、十メルト上の天井まで燃え上がり、半径はんけい五メルトを火の海にする巨大な火柱を作り上げ、爆発の熱波ねっぱが少女たちのドレスをつかむ腕のようにびた。


「きゃあ! きゃあ! きゃあ! きゃああ――――――――!!」

「ああ、危ない、危ない――」


 続いて第二射の砲声が鳴り響く。銀の腕輪の力を全て脚に込めた快傑令嬢の二人は、自分たちの足跡あしあとを確実に焼き払ってくる砲弾の炸裂さくれつの前に、色を失いながら走りに走った。


『うん? ああ、弾種は焼夷弾しょういだんだったか。直撃しないと意味ないな。榴弾りゅうだんだったら最初の一発で終わりだったんだけど――まあそれも、過剰殺傷オーバーキルか』


 天井から響くのんきな声も少女たちには聞こえない。ゴーレムの巨体が、自分の超重量を持てあましているかのように過剰かじょうに重々しく動き、山が動く速度で砲口の向きをリルルたちに定めた。


 第四、第五、第六の斉射がそれぞれ三秒ほどの間をけ、放たれる。


「うわあ、うわあ、うわあ、うにゃぁぁぁぁ――――!!」


 砲弾の炸裂さくれつ爆圧ばくあつ爆風ばくふうに背中をなぐられ、泣きながらリルルは脚を動かす――今は恐怖しか感じる余裕がない。


「リルル!! 昇降機の柱を盾にして!」

「うわ――! うわ、うわうわ、うわわわ――!!」

「冷静になりなさい!」


 リルルほどには恐慌きょうこうにはおちいっていないサフィーナは、このひらけた、拓けすぎた空間で唯一ゆいいつ障害物となっている昇降機エレベーター主軸メインシャフトに着目した。


「あれを攻撃、破壊するわけにはいかないでしょ――攻撃してきたとしても、盾にはなるはずよ!」


 三門のうちの二門をリルルに受け持ってもらっているからだろうが、サフィーナは黒焦くろこげた着弾のあとを観察するだけの余裕はあった。

 床の建材はほとんど破壊されていない。高熱に対する耐性があるからなのか、溶解ようかいもしていないようだ。


 着弾のたびに凄まじい火柱をき上げるあの砲弾は、炸裂自体の威力いりょくはさほどでもないのかも知れない。が、光の盾を持ってしても炎の中に身をさらすのには、相当の勇気――いや、捨て身の覚悟がる。


「リルル、こっちよ! 来なさい!」

「うわぁぁぁぁ! 助けてフィル、助けてニコル、助けてお母様――!!」

「あのねぇ……ちょっとは、私を頼ったらどうなの?」


 昇降機の主軸の裏に退避たいひしたサフィーナが、振り向き様にムチを振るった。


「わきゃ!」


 薄桃色のドレスの少女に向かって一直線にびたムチは、意思あるヘビのようにリルルの足にからみつき、そのまま思い切り手繰たぐり寄せられた。


「ぷへっ!」


 勢いよく足を引っ張られ、顔から地面に転倒させられたリルルは令嬢にあるまじき悲鳴を発し、その格好のままで床をすべらされた。


「――いくらなんでも乱暴が過ぎるわよ、サフィーナっ!」


 死角にひそむサフィーナの元まで強引に引っ張られ、顔どころかドレスも帽子ぼうしげでよごしたリルルが、涙で顔を洗った。


「逃げ惑ってるだけじゃ話にならないでしょ。あれを倒す方法を考えるのよ、リルル」

「私の全力のムチで傷一つつかなかったのよ! どうやったらあれを倒せるの!」

「落ち着きなさい」


 自分でも冷静だなと思いながらサフィーナは続ける――リルルが自分の分までも取り乱してくれているから、落ち着いていられるのだなとも思った。


「私たちが力で勝てないんだったら、知恵で勝つしかないじゃない。この世に無敵の存在なんてないわ……絶対に勝つ手段があるはずよ」


 背にしている主軸から顔を出し、サフィーナはまだ四十メルトほどは距離が開いているゴーレムをのぞくようにうかがった。目標を見失ったゴーレムは恐ろしく緩慢かんまんな動きで自分の周囲を見渡してから、主軸の方に進路を取って歩み出してきた。その歩みも、赤ん坊がう速度だ。


「見つけられなかったら、私とあなたの恋もここで終わり。――私の恋は終わってもいいけれど、リルル、あなたはそういうわけにはいかないでしょ? 終わりたくなかったら、勝つために考えなさい」

「サフィーナ……」


 混乱を飲み込み、リルルもまた反対の方向から顔をのぞかせ、『敵』の姿を視界に収めた。

 この世で最も破壊が困難こんなんな物質でできた巨人、それを倒すのにどうすればいいのか――リルルには、いまだ考えが浮かばなかった。



   ◇   ◇   ◇



「リルル!! サフィーナ様!!」


 壁の広い画面の中で巻き起こった爆発の嵐、その中で逃げ惑う少女たちふたりの様を見せられていたニコルは、ソファーから跳び上がり、画面に食らいつくようにして駆け寄っていた。天井から俯瞰ふかんする視点で投影される映像は、手も足も出ない少女たちの危機を本人たち以上に知らせていた。


「あんな大きさのゴーレムは見たことない! しかも、魔法金属でできたゴーレムだって……!?」

「魔法金属アルケミウムは、この世界の魔導学論理まどうがくろんりに対し、それを無効化する性質があります」


 メイド服姿のロシュがつかつかと歩き、顔を青ざめさせているニコルの側に寄りそった。


「お二人が現在装備している武器では、あのゴーレムを傷つけることは不可能です」

「あのゴーレムを倒す方法はないのか、知っていたら教えてほしいんだ、ロシュ!」

「――現在検索中」


 手をお腹の上で合わせ、頭の上が全く揺れない棒立ぼうだちで立つロシュのオレンジ色の瞳が数秒、不可解ふかかい幾何学きかがく模様を浮かべて輝いた。


「検索結果が出ました。当該とうがいのゴーレムはひたいに刻まれた文字、『真理』を意味する

『emeth』のつづりから生み出される力で駆動くどうしています。これは物質の原子振動を励起れいきするための魔導コマンドです。特にアルケミウムに対しての効果が高く……」

「ロシュ、理屈はいいんだ! それでどうすればいい!」

「額の文字のうち、先頭の『e』を削れば『meth』、つまり『死』を意味する言葉に変わり、これがゴーレムへの力の供給を切断し、ゴーレムは活動を停止します」

「――リルル、サフィーナ様! ゴーレムの額に刻まれている文字、いちばん左側の文字をけずって消すんです! そうすればゴーレムは止まる! たったそれだけ、それだけでいいからがんばって――」


 ニコルがさけぶ。

 画面の二人は――反応はない。


「ニコル様、六十階には音声入力回路がつながっていません。この部屋からの声は聞こえません」

『サフィーナ、奴の射界に入る! 一度逃げ回って、ここから引き離すわ――またここに集まる!』

『無茶はよすのよ、リルル! 策がないのに無謀むぼうに突っ込まないで!』


 ゴーレムの接近に、主軸の陰にいたリルルたちが散開する。二人の少女をねらって砲身そのもののゴーレムの腕が開き、斉射が再開された。


「ロシュ、頼む! 今の話をリルルたちに伝えさせてくれ! そうしないと、リルルたちが死んでしまう! あんなもの、永遠に逃げ回れるわけがない!」

「――ニコル様、それはロシュの、マスターに対する利敵行為りてきこういに相当します」


 表情を変えずにロシュがいった。冷静な、冷静さしかない顔からつぶやかれる言葉の列はまるで、僧侶そうりょか神官が述べる託宣たくせんのように聞こえた。


「ロシュはマスター、フェレス様の所有物です。マスターの不利益になることは実行できません」

「ロシュ……!」

「――ニコル様が、ロシュのマスターになっていただけますか?」


 ニコルの目が、まばたいた。


「ニコル様がロシュの所有者になっていただけるのなら、ロシュのマスターはニコル様です。ロシュは、ニコル様の命令を最優先します。――ニコル様がロシュをプライオリティ、優先度の最上位に設定してくださいましたら」

「……ロシュ、ごめん。僕はそんなに頭がよくないんだ。もっとわかるようにいってほしい……」

「現在、ニコル様にとって優先度が最上位に設定されているのは、リルルという個体名の人間です」


 ニコルの目が走るように画面に向けられた。ゴーレムが巻き起こす砲撃の雨、林の木々か神殿の柱のように噴き上がる火柱の中を、リルルがくちびるみながら走る。そのドレスのはしに焦げあとを作りながら。


「ロシュを、リルルの上に設定するとお約束してください」


 少年がメイド服の、人ではない命なき少女を振り返る。表情がないはずの白面はくめんは、まるで少年に挑みかかるような気配をその瞳に帯びさせていた。


「この世界のなによりも、ロシュを優先すると。それがリルルの命を助ける条件になると認識します」

「……ロシュ、君は僕に、リルルを捨てろっていうのか」


 ニコルはそう解釈し――ロシュがうなずいた。


「リルルが死亡する確率は大幅に減ります。勝利する可能性が増えます。ニコル様、判断されますか」

「…………!」

『きゃあっ!』


 画面から悲鳴が響いた。息を飲んだニコルが目を向ける。至近の着弾の爆圧に背中をなぐられたリルルが胸から転倒し――たが、すぐに腕を動かし起き上がる。

 続く砲弾の炸裂に髪の先まであぶられながら、リルルが走る。


『リルル、大丈夫!?』

『大丈夫よ、サフィーナ……私が全部引きつけるわ! サフィーナはその間に策を考えて! あなたは私より頭がいいんでしょう!』

『リルル!』

『私は、ニコルのために、みんなのため……!!』


 無限に続く炎と爆発、火炎と爆裂の間を奥歯を噛みしめながらリルルは駆けた――鳴り響く砲声、爆音、炸裂音の向こうに少女の存在がかすみそうになりながら。

 時間の経過に従い、その脚は確実に重くにぶくなり、やがては砲撃が追いつくだろう。

 その全てを傍目はためから見せられているニコルの瞳が、震え続けていた。


「ニコル様、どうなされますか」

「ぼ……僕は……」


 リルルの生命を救うには、ロシュの要求を受け入れるしかない。それが現実だ。

 しかし飲み込むには、その現実はあまりに苦く、重すぎる――まるで、なまりかたまりを飲むのに似ていた。


「――ニコル様」


 足を進めていないのに、ニコルはロシュに詰め寄られていると感じた、錯覚した。

 迷う時間も、逡巡しゅんじゅんするための時間もない。舌が苦くなる錯覚におそわれながら、ほとんど自決するのと同じ勇気をしぼり出し、

 ニコルは、口を開いた。


「ロシュ、僕は……!」

「――お待ちください」


 ロシュの手の平が、ニコルに向けられた。


「ロシュ……?」

「――ニコル様」


 ふっ、と影を作るかのように、少女の形のいいのまぶたがわずかに下がる。そして次には、彼女の口が言葉を刻んでいた。


「――ただいま、六十階と音声入力回路を開きました。どうぞ、ご発言ください」

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