「庭師の名」

 リルルとサフィーナは、と化したエルフの三姉妹を丸太屋敷に運び込み、それぞれに寝台へと寝かしつけた。


「――風に吹かれて倒れて、折れでもすれば、取り返しがつかなくなるからね……」

「リルル、ウィルウィナ様も」

「うん」


 樹化じゅかしたウィルウィナの体もまた、慎重しんちょうに寝台に運んで寝かせる。髪が変わった葉が、一枚も落ちなかったのは幸いだった。


「サフィーナ、あなたにこれを渡しておくわ」

「……これは?」


 サフィーナの手の中に、銀色に輝く腕輪が収まった。二人の右手首にある『黒い腕輪』と、全く同じ意匠デザイン――それを渡したリルルの顔に緊張きんちょうしたものがあるのに気付き、サフィーナはリルルの瞳の色を探った。


「これはエルフの一族に伝わる、最も貴重な秘宝――『銀の腕輪』。左腕にめて……私も今、嵌めているわ」


 リルルが左手首を見せた。同じものが『黒い腕輪』の対になるように装着されていた。


「私たちが日頃使っている魔法の道具アイテムとは、桁外けたはずれの力を持つ道具。フィルがいっていたわ。快傑令嬢が百人の警官を相手にできる力を持つなら、これは万の軍隊を敵に回せる道具だと」

「万の軍隊……」


 今から戦う相手は、万の軍隊に匹敵ひってきする相手だ――言外に込められた意味にサフィーナは固唾かたずを飲んだ。その音が頭の中心にまで響いた。


こわくなった?」

「全然」


 サフィーナが見せた笑みに、リルルも微笑んだ。同時に、お互いに無理をしているなとも思う。――怖くないはずがない。しかし、怖がっているひまもないのだ。

 できるだけの準備をしようと水、携帯けいたいできる食料、そして武器を集めようと行李スーツケースをひっくり返す。


 フィルフィナの行李を開けた途端、火薬の臭いがむっと鼻を突いたのに二人は苦笑した。中には見慣れない形の爆薬、爆弾らしいものや、折りたたまれた銃器らしい筒状のものが詰め込まれていた。


「無人島だから色々試せると思ったのかしら。フィルらしいわね……」


 寝台の上で干涸ひからびた樹となり、横たわっているフィルフィナにリルルは声をかける。たとえ現場にいないとしても、後ろでいてくれるとわかっているだけで常に勇気を与えてくれる相棒が、今は不在も同然だった。


「――リルル、行きましょう。ウィルウィナ様の言葉が正しいなら、猶予ゆうよは四十八時間。もう私たちは八時間も寝てしまっている。一刻も早く……」

「わかっているわ、サフィーナ」


 時間もなければ、敵もわからない。全てに不安しかない中で、リルルは未練みれんを引きちぎるようにきびすを返した。


「……フィル、待っていてね。必ずみんなを救ってみせるから。だからそれまで……」



   ◇   ◇   ◇



 リルルとサフィーナはひらけた草原の海を歩き、『銃の山』に向かっていた。火山の裾野すそのまでは二カロメルトほど、三十分も歩けばたどり着けそうな距離。道はなかったが、歩くにはそれほどの不便はない。


「――銃の山から光が放たれたとウィルウィナ様はおっしゃっていたけれど、火口の中になにかがあるということなのかしら……サフィーナは、どう思う?」

「ただの火山と判断するのが、そもそもの間違まちがいだったのかも。あんな火山が、たったの三日三晩の噴火ふんかでできるというのがおかしいのよね」

「じゃあ、火口の中をのぞけばわかるのかな……かさで一気に火口まで飛んでいけば……うん?」


 自分たちのちょうど真上をかすめるような進路を取り、大きな鳥の群れが甲高い鳴き声を発しながら飛んでいるのにリルルたちは気づいた。高空の気流に乗って飛ぶ渡り鳥たちだろうか。


「――リルル、あの鳥に見覚えがない?」


 目を細めたサフィーナにならい、リルルも悠々ゆうゆうと空を進む十数羽の群れを眺めた。


「あれは確か……ひょっとして、昨日の夕食にクィルちゃんが食べさせてくれた鳥?」

「形は似てるみたい。丸焼けになって森の木に引っかかっていたといっていたけれど――」


 サフィーナがそこまで口にした時に、異変は起きた。

 銃の山の頂上を目指して飛んでいた鳥の群れに突如とつじょ、山の頂上から細い炎のすじが飛んだのだ。

 炎がぜる音を発し矢の速度で放たれたそれは、正確無比せいかくむひな精度で群れの中央に命中し、青い空に赤い花を咲かせた。


「は――――!?」


 リルルとサフィーナの見開かれた瞳の中で、翼の先まで燃え上がった鳥たちが羽ばたきを止めた姿で落ちていく。

 それが遠くの森に墜落ついらくしていくのを、二人は息のひとつもできずに見守っていた。


「……あ……あれが、昨日の鳥料理の正体……なの……」

「――リルル、空を飛ぶのはやめた方がいいわ。歩いて行くわよ」

「さ……賛成……」


 冷や汗をぬぐい、二人は歩き出す――双方共に、鳥の丸焼きの運命をたどることは勘弁かんべん願いたかった。



   ◇   ◇   ◇



 ニコルは、寝台の上で動かずに待っていた。

 今、自分は捕虜ほりょになっているが、この部屋の中にも外にも見張りの気配はない。が、人をひとり夜空に連れ去ってしまえる力を持つ相手が、捕虜を簡単に逃がすようなすきを作っているとも思えなかった。


 この部屋がある建物の内部の状況すら不明であれば、迂闊うかつに行動を起こすのは自殺行為以外の何物でもない。少年は逃げたいという衝動しょうどうを押さえ込み、事態の把握はあくつとめた。


「体に、ケガはない……拘束こうそくもされていない……でも……」


 服装は連れ去られた時のままだが、腰からさやが消えており、細剣レイピアは失っていた。武装解除は当然のことだろうが、ウィルウィナから与えられた剣の行方ゆくえが知れないことが頭にのしかかった。


「あの剣は、失うわけにはいかないんだ。どうにかして取り戻さないと――」

「自分の身より、剣の方が心配かい?」


 その高音で硬質な声音に、頭を抱えたニコルが背筋を震えさせ、本能が扉の方に視線を向けさせた。


「心配しないでいい、剣はここにあるよ。大事なものなんだろう。君は気絶していても、これを放さなかったからね」


 そこには、神官が着用するそれを思わせる、たけの長い装束しょうぞくに身を包んだ人物が立っていた。

 足音を立てずに部屋に入ってきたその人物――明るい蜂蜜はちみつ色の髪が背中の上、肩甲骨けんこうこつの辺りにまでかかっているのが印象に残る。

 ニコルは目をらしてその顔を見、そして戸惑とまどった。


「あなたは……?」

「全く乱暴らんぼうまねきになってしまったようで、まことに申し訳ないね、ニコル・アーダディス君」


 人の目を吸い込み、引きつけて放さない、魅力的な微笑みがニコルの目の前にあった。

 美青年にも見えるその顔立ちは、少し角度を変えれば絶世の美女にも見える。人の物とも思えない美――いや、本当に人の物ではないようにニコルには見えた。完成された、完成されすぎた美。作り出された美、というのが正しいか。


「まずは名乗らせてもらおうかな。ボクは庭師、と呼ばれている者だ」


 おそらくは自分をさらった張本人であるはずなのに、まるで敵愾心てきがいしんを起こさせない表情と口調だった。


「庭師……ですか?」

「呼びにくければフェレス、とでも呼んでくれたまえ。本当の名前ではないが、僕は他に名前の持ち合わせがない。名付け親がいないものでね。ああ、剣はここに置いておくよ。ご承知しょうちだと思うが今、君は虜囚りょしゅうの身だ。武器を渡すわけにはいかないからね」


 少し離れてえられている応接テーブルの上に、ニコルのレイピアが置かれた。


「人と会うのは、本当に本当に久しぶりなのでね。失礼があっても大目に見てくれるとありがたいな」

「――僕の名前を、ご存じなんですか?」

「君が、王都エルカリナの警備騎士団に所属している准騎士であることも知っているよ」


 フェレスと名乗ったその人物はニコルの側まで歩み寄ると、親しげな間合いで寝台に腰を下ろすや、胸から一枚の板を取り出した。葉書はがき四枚分くらいの大きさだろうか。ガラスよりもやや厚いくらいの板の上に、透明な宝石のような瞳が視線を走らせる。


 気が付けば、目覚めたニコルの様子をのぞき込んでいた先ほどの、栗色の髪をしたメイドの少女もそこにいた。寝台からは十歩ほど離れた位置で目と口を閉ざし、無言で立っている。両の足を合わせているのに、頭がわずかにも揺れていなかった。


「家族構成は祖母のローレル、母のソフィア……君が生まれる十日前に死んだ父親は、同じ名前なのか。さしずめニコル・ジュニアといったところかな。母親がフォーチュネット伯爵家に乳母うばとして雇用こようされた関係でリルル嬢と知り合う……ふむ、ふむ、ふむ。なかなか面白い経歴をしているね」

「――どうして、父の名前まで」


 ニコルの背中が粟立あわだった。リルルにさえ話したことのない事実を、この人物は知っている。


「説明がしにくいね。ボクがこの世界において知らないことはない。いや、調べられないことはない、というべきかな。とにかく、ボクはそんな立場の人物だと思ってくれればいいよ」

「……よく飲み込めませんが、僕を空に連れ去ったあの力といい、まるで別世界なこの部屋の産物といい、あなたがただの人でないのはわかります。ですが、その割には迂闊うかつなのですね」

「んん?」


 ニコルの目がいどみかかる鋭さをはらんだ。そんな少年の才気をでるように、フェレスがますます微笑む。


「あなたは、リルル嬢を連れ去るつもりが、間違まちがって僕を連れ去ってしまった。彼女を守ることができれば、僕の使命は最低限は果たされました。そして今、優秀な戦士が彼女を守っています。何が目的かは知りませんが、誘拐ゆうかいが無意味に終わった今、さっさとたくらみを捨てて――」

「ふむ、なるほどね。失礼だが君はいくつか勘違かんちがいをしているよ。まず、君が頼りにしているのはエルフの一族のことを指しているのだろうが、この通りだ」


 細く長い指がパチンと音を弾かせると、壁の動く写真を投影する板が強い光を発した。反射的にニコルの目がそちらに向き――そして、大きく見開かれた。


「――フィル!」


 魔法の板とおぼしき鏡面にも似たその表面には、寝台に寝かされている変わり果てたフィルフィナの姿があった。いや、数秒もたずしてそれは切り替わり、ウィルウィナ、クィルクィナ、スィルスィナの順にそれぞれが仰向けに横たわっている姿を映し出す。


 その全員の肌が樹木の肌に変わり、枯れ木の色になり果てて微動びどうだにしない様に、ニコルは思わず立ち上がっていた。


「ウィルウィナ様も、クィルにスィルも――! ……リルルは、サフィーナ様は!!」

「ああ、そんなに興奮しないでいい。みんな生きている。特に、ご令嬢方はなんの異常もないよ」


 相手を視線で焼き切るくらいの熱を帯びたニコルの目を真正面から受けても、フェレスは平然としていた。いや、そのニコルの瞳の色を楽しむ余裕さえあった。


「殺すつもりなら、もっと簡単にサクッとやっているさ。いくらでも機会はあるのだから。ボクの言葉を信じてくれていいよ――信じられないかい?」

「…………」


 奥歯をみしめながらニコルはなんとか怒気どきを収め、寝台に腰を落とした。その言葉を頭から信じることもできなかったが、うそいているようにも見えなかった。


「君が望みとしているエルフの一族は今、行動不能だ。それが第一の勘違い。そして二つ目の大きな勘違いは」


 ず、とニコルの心の隙に入り込むようにフェレスの体が近づいた。体を動かした気配もない。磁石じしゃくが鉄に吸い付くような当然さで、フェレスがニコルのひざに自らの膝を合わせていた。


「あ、えっ?」


 反射的にニコルの腰が浮くが、肩をフェレスに軽く抱かれた途端に力の全部が抜けた。


「な……!!」


 脳と筋肉をつなぐ神経の回路、それが半ばで切断されたかのように手足に力が入らない。わずかに指が動くくらいのもどかしさにニコルが戸惑う。

 糸の切れたあやつり人形のようになったニコル、そのあごに白い指がえられる。軽く上を向かせるだけのその力に、ニコルは全くあらがえなかった。


「ボクがキミを連れ去ったのは、間違いなんかじゃない。最初からキミが目的だったんだ。――美しい人、といったろう? キミを一目見た時から気に入ったんだよ。だから」

「えぇ……!」


 するり、と布がられる音を立て、ニコルの厚手の上着がなんの障害もなくがされる。

 ニコルは今、最大の恐怖を覚えていた。 

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