「少年と少女と、風、海、太陽」

 燦然さんぜんと輝く黄金の太陽、その光を照り返してきらめくような白い浜辺に、若く溌剌はつらつとした生気が飛び交っていた。


「そーれっ!」


 サフィーナが手首に受けて打ち上げた玉を追い、砂浜をって舞い上がったリルルの四肢ししびやかにおどった。汗のしずくを宝石のごとく光らせ、細い右腕が夏のものを思わせる色の太陽をつかみとるように、大きく、高く、高く振り上げられる。


 背の高さより少し上くらいに張られたネットはさみ、白い砂浜にぼうきれできざまれた長方形のラインわくの中で、少女と少年の若さが跳ねて、走って、跳ねた。


「はぁ――いっ!」

「わぁ――っ!」


 風を巻いて少女の手の平がたたき落としたまり稲妻いなずまの速度で網をかすめ、砂を押し込むように浜を蹴ってそれを追ったニコルとフィルフィナの中間に、勢いよくズバンと突き刺さった。


「やったぁ!」

「リルル、絶好調ですわ!」


 笑顔でリルルとサフィーナが手の平をパン! と打ち合わす。


「どうしたの? ニコルも全然ダメじゃない。フィルだって反応が遅れてるわよ」

「……ちょ、ちょっと事情があって」


 無駄な脂肪しぼうのかけらもなく、たぐまれ敏捷びんしょうさを獲得かくとくするため、必要以上の筋肉もつけていないニコル。そんな少年が、はだかの上半身の胸についた砂を払いながらよろよろと起き上がる。リルルとサフィーナが厳選げんせんしたという水泳用のパンツが、腰からひざの半分を隠していた。


「わたしもです……お嬢様たち、す、少し手加減してください」


 フィルフィナもまた、メイド服から濃紺のうこん色の水着に着替えている。肩から起伏のない胸、くびれた腹、ふくらみのとぼしい腰から細い太ももの付け根までをおおう、実に露出ろしゅつの少ない水着の胸には白地の布が張り付けられ、『ふぃる』と黒文字で大書たいしょされていた。


「だぁめ。二人とも本気になったら、私たちなんて全然かなわないんだから」

「そ、そこをなんとか……」

「早く鞠をよこしなさい、フィル。こっちの攻撃なんだから」

「あぅぅぅ……」

「そーれっ!」

「うわ」「わふっ」


 再び少女たちの腕が、脚が風をぶ。白い玉が青い空にゆるやかな放物線を描き、そして再びいかずちの線を走らせた。


 その波打ち際をのぞむやや奥まった浜に、一本の大きく広いかさが深々と砂に差されて立てられていた。直径ちょっけい四メルトはある円形の影の中に折りたたみの木製簡易寝台が広げられ、黒眼鏡サングラス姿で顔の半分を隠したウィルウィナが、官能的かんのうてきな気配をにおわせる肢体を横たえている。


 その母に付き従う従者じゅうしゃのように、フィルフィナと同じ水着の胸に『くぃる』『すぃる』と書かれた白地を張り付けたクィルクィナとスィルスィナが立っていた。


 クィルクィナの前ではこれも簡易のコンロが置かれて火がかけられ、数本のトーモロコシが弱火であぶられていた。眠そうにしかまぶたを開けないスィルスィナの前には大型のかき氷器が鎮座ちんざしているが、これにはまだ氷はえられていない。


 二人はまるで置物と化して沈黙ちんもくし、青い海に視線を向けている。


 穏やかな時が過ぎていた。

 海の匂いを運ぶ風、浜に打ち寄せる波の音だけが、時間の流れをかぞえてくれている。

 世界からこの島だけが隔絶かくぜつされ、取り残されたかのような錯覚さっかくおちいりそうになる中――。


 無限に打ち寄せる波が無限に白いきばを立てる砂浜で、若い少年と少女の声がうたわれていた。


「ねー、ママ」

「なぁに、クィルちゃん」


 またも砂の上で少年とエルフの少女が無様に砂に突っ込む。その様をぱっちりと開いたアメジストの瞳に映しながら、クィルクィナは手探てさぐりでトーモロコシを回転させた。


「あのニコルきゅんって、すごい騎士なんでしょ? でもあれを見てると、全然そんな風に思えないよ? さっきから前屈まえかがみでへっぴり腰だし、全然反応できてないし」

「ふふ。それは仕方ないわ。目の前でリルルちゃんとサフィーナちゃんがあんなお姿なんですもの。ニコルちゃんの男の子が大変なのよ」

「ほへ?」

「……ちょんぎってしまえばいい。男なんてそれで終わり」


 半開きの目をまばたきもさせないスィルスィナがつぶやく。


「ダメよ、スィルちゃん。ニコルちゃんはママのお気に入りなの。あなたたちもニコルちゃんを知ったらきっとゾッコンになるわよ」

「そうかなぁ」

「……フィル姉様までだらしがないのは、何故」

「フィルちゃんは、リルルお嬢様にお熱だから」


 黒眼鏡サングラスがずらされ、アメジスト色の瞳が陽光を受けて光を灯した。


「お嬢様のおへそが目の前でちらちらしてくれたら、もう視線が引きつけられて反応どころじゃないでしょ」

「あのフィル姉様が……わからない」

「あ、またこけた」


 跳び上がったリルルの打ち下ろしを顔面に受けたフィルフィナが、猫がまれたような悲鳴を上げて倒れる。諸事情しょじじょうにより前傾姿勢ぜんけいしせいをやめられないニコルがそれを抱き起こし、試合はそこで終わったのか、ニコルをのぞく三人がウィルウィナたちの方に歩いてきた。


「たくさん動いて疲れましたわ。スィル、氷をちょうだい」

「……みつは?」

「ブルーで。たっぷりかけてね」

「……まいどあり」


 スィルスィナは足元の大きな箱から、手の平ほどの断面積をした真四角の氷塊ひょうかいを取り出し、かき氷器に据え付けて回転式の取っ手を回した。万力まんりきで押さえられた氷が台座の上で回転し、雪のようにやわらかい氷を下の器に降らせ始めた。


「スィルスィナちゃん、私もかき氷欲しいな。のどかわいちゃった。イチゴ蜜でお願いね」

「……まいどあり」


 機械の一部となったかのように、スィルスィナは無機質に氷をかき続けた。


「ニコルちゃんは?」

「しばらく泳ぎたいとかで、先に上がっててほしいと」

「うふふ、うふふふふ。若いっていうのも大変ね――」


 ウィルウィナの言葉の意味がわからずリルルとサフィーナは顔を見合わせた。


「お嬢様たち、このトーモロコシも食べてよ。もうげちゃうよ」

「じゃあ、そちらからいただこうかしら」


 貴族の令嬢がふたり、砂浜で下着姿とそれほど変わらない格好で、立ち食い同然にものを食べる、という品格もなにもあったものではない光景だ。しかし、それをとがめ立てる人間はここにはいなかったし、伯爵令嬢も公爵令嬢もそれを心から楽しんでいた。


「クィルちゃんもスィルちゃんも泳ぎなさいよ。せっかくの海なんだから」

「あたしはこの前に船から海に落ちた時、サメに追っかけられたんだよ。だから海はりなんさ」

「……エルフは森の民……」

「南の島よ、白い砂浜に青い海よ。楽しまなくっちゃ――じゃあ、ママは一泳ぎしようかしら」


 簡易寝台から身を起こし、サンダルを脱いだウィルウィナが浜の砂に足跡を刻みながら海岸に歩いて行く。背中に垂らした豊かな髪ととがった耳、そして隠れているのかどうか判断に困るおしりが振られて遠ざかっていくのを、かき氷の器を抱えながらリルルとサフィーナは見送った。


「――ウィルウィナ様って、本当にすごい人ね」

「ママは色々規格外だからねー。あれで里では『人間嫌い』って顔してる。よくやるわ」

「……本性がバレてないのが不思議なくらい」

「本当はとても優しく、いい方なのは見ていてわかります」


 無駄に力を発散するように泳ぎまくっていたニコルと交替するように、ウィルウィナはしずしずと海に入っていく。ためらわずに沖に向かって海面にもぐり込み、そのまま華麗かれい速泳ぎクロールに移った。


「あ、上手い」

「まったく、年甲斐としがいもなくはしゃぐ――娘としてずかしい限りです」


 妹たちが無言で差し出してきたトーモロコシとかき氷を交互にかじり、フィルフィナが苛立いらだちをその毛穴から水蒸気のようにき出していた。


「いいじゃない、楽しいし。フィルも素直じゃないわね。なんだかんだで付き合いはいいもの」

「……わたしは、あのバカから目が離せないだけです」

「あ、手を振ってる」


 海岸に沿って体を流すウィルウィナが大きく腕を振る。リルルたちもそれに手を振って応え――。


「え」「あ?」


 ――手を振って応えるリルルたちの視界の中で、ウィルウィナの背後から波を蹴立けたてて現れたのは――人の身長の四倍はあろうかという巨大なサメだ!


「ウ、ウゥ、ウィルウィナさまァ――――!?」

「なにかしらー?」


 自分の真後ろに出現した脅威きょういにも全く気づかず、ウィルウィナは笑顔で首をかしげた。


 そんなウィルウィナに、大岩にも食らいつけるほどに大きい口を開けておおかぶさるように飛びかかったそのサメは、まるでいだ短剣をびっしりと並べたような無数の牙を凶悪に光らせて見せた。


「きゃ――!?」

「きゃ――!!」


 少女たちの悲鳴が響き渡る中、巨大ザメはウィルウィナに鼻先を激突させて海面下に押しやった。水柱と共に二者の姿があっという間に消え、それをたった十数メルト先で目撃したニコルが、いち早く反応してリルルたちの元に全速力で走った。


「ぼ、僕の剣を! ウィルウィナ様からいただいた、魔法の剣を!」


 爪先つまさきで蹴ると容易に指まで潜ってしまう浜の感触に、ニコルはなかばもがくように走る。そのニコルの背後でまたも大きな波飛沫しぶきの音が響き、再び一本の水柱がき上がった。


「きゃ――!!」


 ウィルウィナの胴体を、トーモロコシをかじるように丸ごとくわえ込んだ巨大ザメが海面下から跳び上がり、その全体像をさらす。リルルの髪の色に似た、銀に青が混じった体色が一瞬だけ陽光を反射してきらめき――再び海面に突入して、激しい飛沫を上げた。


「――クィル、スィル、戦闘態勢!!」

「武器が手元にないよぅ!!」

「ちぃっ!!」


 歯噛はがみしたフィルフィナが船の方向に目を向ける。


「きゃ――!!」


 ほとんど間を置かず、巨大ザメの背にまたがったウィルウィナが海面から飛び出し、嬉々ききとして手を振っているその姿に全員のひざくずれた。


「あ――面白い。みんなびっくりした?」

「びっくりしました!!」


 笑顔で巨大サメの頭部をでるウィルウィナ、そのウィルウィナをあやすように背に乗せ、海面ぎりぎりをゆるやかに泳ぐ巨大ザメ――子供が父親に肩車をされているとしか見えないその光景に、少年と少女たちの折れた心が立ち直るまで少しの時間をようした。


「下見に来た時に仲良くなったのよ。名前はジョーズくん。気のいい男の子なのよ」

「ニコル様、剣を貸してください。あの諸悪しょあく根源こんげんをどうにかします」


 苦笑いをしたニコルは、両手と胸で剣を抱え込んだ。


「…………ウィルウィナ様、心臓に悪いですからそういう冗談はやめてください!!」

「ごめんなさいねぇ、リルルちゃん」


 跳ね続ける心臓を上から押さえるリルルにぺろりと舌を出し、ウィルウィナは全く反省のない顔を見せた。


「と、いうことで悪いサメはジョーズくんがやっつけてくれるわ。みんな安心して泳いでね」

「悪いエルフは誰がやっつけるんですか?」

「ま、まあ、いいでしょう。みんな、泳ぎましょう。この白い浜は、私たちの貸し切りなのですから」


 ニコルが、リルルがサフィーナが、エルフの三姉妹がそれぞれの足跡あしあと刻印こくいんしながら海に向かう。やがて少年少女たちのはしゃぐ声が波の音にかぶさり、青く透明な水飛沫みずしぶきの宝石にいろどられる。


 濡れた髪を手でいて一人浜に上がったウィルウィナは、大切な子供達が風と波と光にかざられながらたわむれる様を一瞥いちべつし、優しげな笑みの中に一抹いちまつさびしい影を見せ――大きな傘が作る影の元に戻った。



   ◇   ◇   ◇



 楽しく、幸せな時間はあっという間に過ぎ去る。

 心から笑い、遊び、け回って泳いだ少年少女たちの体を夕陽の光がオレンジ色に照らす。幸福な一日の終了を告げて沈んで行く太陽を、砂浜に肩を並べるようにして座って皆が見送った。


 夜のとばりが降りきる前に、一行は島の内陸部に向かう。

 そこにはウィルウィナがいう『保養施設』と、旅の大目的である温泉があった。

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