「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(午前・その一)

「えっ、今日はフィルはついてきてくれないの?」

「先日からそう話していたではありませんか」


 朝の八時過ぎ、フォーチュネット邸にまった一台の馬車の足かけステップに足をせたリルルが、付きしたがってくれないフィルフィナに振り返った。

 四人乗りの馬車は一頭立てだが、そのかたわらには甲冑かっちゅうを着た二人の騎兵が護衛ごえいとしてついている。


 身分ある人物を乗せるに相応ふさわしい、格式高かくしきだかい作りの馬車だ。貴族家はそういう馬車を数台保有し、護衛としての騎士団も自前で持っているものだが、貴族としては伯爵位しか持っていないフォーチュネット家にはそのどちらもない。必要な時に時間貸しできる馬車を頼るのがもっぱらだった。


「向こうには、クィルクィナもスィルスィナもいます。お嬢様たちのお世話は二人で十分でしょう」

「えー……フィルとお芝居観しばいみたかったのになぁ」

「わたしは観たくありません」


 フィルフィナはきっぱりといった。理由は明らかだった。


「『快傑令嬢』の演劇なんて誰が観たいものですか」

「だから興味があるんじゃない。サフィーナから誘われた時から、私は楽しみで楽しみで……」

「……どうせわたしは登場しませんからね」

「なぁに? フィルったらねてるの?」

「そういうわけではありませんが……」


 今まで号外を含む一切の新聞記事に登場しない、快傑令嬢リロットの相棒であるエルフの少女。当然それが快傑令嬢をモチーフにした芝居に登場するはずもなかった。


「とにかく、わたしは興味が持てないのです。それにお嬢様のお世話から離れている間に、わたしにはしなくてはならない用事が山積みになっているのです。サフィーナたちと楽しんできてください」

「ちぇー」


 リルルのおしりを押して馬車の中に押し込み、フィルフィナはこれで会話は打ち切りだとばかりに、バン! と扉を閉めた。


「いってらっしゃい。みなさま、お嬢様を無事に届けてくださいませ」

「かしこまりました」


 フィルフィナの一礼を合図にして、御者ぎょしゃ手綱たづなを軽く振るった。その前後をはさむようにして騎兵が従う。フィルフィナはそれが見えなくなるまで頭を下げ続け、上げてからふう、と息を吐いた。


 貴族の令嬢同士が遊ぶにしても、その訪問にはそれ相応の格式をたもたなくてはならない――あの馬車一台と騎兵を二騎、一時間やとうだけでどれだけの料金を支払ったのかを思い出すとまたため息が出る。とかく人間というものは面倒だ。


「……まあ、人間だけに限ったことはないんですけれどね」


 リルル専属のメイドであると同時に持つ、もう一つの自分の肩書きを思うとフィルフィナはまた、ため息が出た。


 エルフの里の王女――王位継承権おういけいしょうけん第一位保持者。それがフィルフィナのもう一つの顔だった。


 今は母である女王が現役なのでまだまだ遊んでいられるだろうが、半世紀もすれば代替わりの問題が出てくるころだ。もうそろそろ六百歳に届こうかという母の治政ちせいもこの先、長く続くわけではない。妹はふたりいるが、能力や人格的に支持されていない。地位に全く執着しゅうちゃくはないのだが、渋々しぶしぶながらも自分が着くことになるだろう。


 その時には、リルルもこの世を去っているはず。エルフと人間は同じ歩みの速さで生きられない――。


「――う」


 心にずきりと走った痛みを押さえ、振り払ってフィルフィナは屋敷に一度戻った。

 今日は一日外出で忙しい。用事をこなしていかなければ。



   ◇   ◇   ◇



 フィルフィナは屋敷を出、早朝と同じ東行きのラミア列車に乗った。が、前に降りた乗換駅では降りずにもう一区画東に進み、王都の東の端をめるようにして存在する貧民街ひんみんがいに入る。


 労働力や消費者として王都の基盤のひとつをなすこの階層は、暮らしぶりがみすぼらしいといって、王都から排除されるわけもない。この街で誰かがになわなければならない役割を、黙々もくもくと果たしている人々だ。


 大通りの交差点の駅でフィルフィナは降り、今度は南行きの列車に乗る。

 一区画行けば、この王都である意味最も特異な区域――亜人街あじんがいに着くことができた。



   ◇   ◇   ◇



 ラミア列車を降りたフィルフィナは、道行く人々の多様さをながめながら、目的地に足を向けて大通りを歩いた。

 人間以外の種族、森妖精エルフ鬼族オーガ小鬼族ゴブリン半人半蛇族ラミア妖精族フェアリー……体型的には人間に近いものから、明らかに人型とはかけ離れている種族もがここでは入り乱れていた。


 基本的に亜人はよほど特別な種族でない限り、居住権が認められていない。そんな不法居住者である彼等だが、官憲かんけんもその姿を見ても逮捕、摘発てきはつすることはまれだった。具体的に犯罪行為をとがめられることでもなければ、城壁の外に追放されることはない。


 もめ事トラブルおそれて他の区域ではフードをかぶり、種族の特徴を隠している亜人たちも、この亜人街でだけはそれを脱ぎ、大手を振って歩いていた。

 亜人と人間の狭間はざまで生きているフィルフィナだからこそ、その意義を強く感じるのかも知れない。


「――――やめてください」


 フィルフィナの耳が髪の中でぴくり、と動いた。風に乗ってとどいた声を、その鋭敏えいびん聴力ちょうりょくとらえていた。


「やめてください、お願いです、乱暴はしないでください」

「可愛いツラしてるじゃねぇか、妖精のお嬢ちゃんよぅ」


 無言のままにフィルフィナの靴先くつさきの方向が転じられる。高い建物同士の間、陽の光も入り込む余地もない路地ろじに向けられた。


「ふへへ……その可愛い服の下からは、どんな可愛い体が出てくるのかな」


 下卑げびた声の響きをたどり、フィルフィナは路地を進む。声は確かにその奥から聞こえてきた。


「人を……人を呼びますよ!」

「こんな路地の奥じゃ、声なんて聞こえねぇよ。聞こえたところで、助けに来てくれるような親切な奴も、こんな街にはいねえってもんだ」


 袋小路に追い詰められた線の細い妖精の少女を前にして、狼男ウェアウルフの男が上着の全部を脱ぎ終わり、次にはズボンのベルトを外している段階だった。


「大人しく俺に食われな。天にものぼる思いをさせてやるからよ」

「――天国に行くのはあなたですよ」

「あん?」


 振り向いた狼男のあごを、下から砲弾の速度で突き上げられた拳鍔メリケンサックの一撃が打ちくだいた。

 声も上げずに壁にその顔面をたたきつけた狼男の後頭部をつかみ、再び壁にキスさせる。


 赤く生々しいにおいの塗料を壁にこすりつけ、狼男は顔で壁をみがいて倒れした。


「大丈夫ですか」

「あなたは……」

「名乗るほどの者ではありません」


 フィルフィナは服を乱していた妖精の少女に手を差しべ、立たせた。


「気をつけて歩かなければダメですよ。ここは治安がよくないのですから」

「ありがとうございます、このお礼は……」

「さ、早く行きなさい」


 妖精の少女は何度も頭を下げ、足早に路地裏ろじうらを出ていった。


「……まったく」


 息をしている以外は、死体と変わらない狼男の頭を靴先で一度蹴りつけてから、フィルフィナもまた路地裏を出た。

 そのまま歩みを止めることなく進み、変わりえのしない直方体の高層建築物ビルディングが建ち並ぶ界隈かいわいに出た。


「――さて」


 フィルフィナは、『ティーグレ観光案内株式会社』と小さな看板かんばんが目立たなくかかげられている建物の前で、ようやくその足を止めた。

 その建物の前では、フィルフィナの身長の倍はあるのではないかという巨大なオーガがふたり、背広姿せびろすがたで玄関を固めるように立っている。その毒々しい赤い目をぎょろりとフィルフィナに向け――彼等のいかつい表情に、一瞬にして緊張が走った。


「これは、あねさん! おはようございます!」

「会長! おはようございます!」


 フィルフィナが口を開くよりも早く、ふたりのオーガは同時に腰を直角に曲げる最敬礼を行った。


「おはようございます。ティーグレはいますか?」

「組長なら、朝早くから姐さんが来られるのを待っています! 今呼んできますので、姐さんはここでお待ち下さい!」

「十階にいるのでしょう? わたしから行きますよ」

「と、とと、とんでもない! そんなことをしたら、俺たちが組長にこっぴどくしかられます! ささ、どうか奥でお座りになって! おい! 姐さんになにか冷たいものをお持ちしろ!」

「気をつかわなくてもいいのに」


 フィルフィナはオーガたちに案内され、すっ飛ぶようにひとりが階段をけ上がって行くのを横目にしながら、一階の応接間に通された。

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