「リルル、蕎麦をおごられる」(下)

「わわわ、わわわわわ」


 席を立とうとしたリルルは百人を超えた人の波に押し流され、自分が今さっきまでおしりで温めていた木の長腰掛けベンチに戻された。


「ねえ、あなたって本当にリロットなの?」

「よく見ろ、顔がわかんねぇようになってるだろ。本物は魔法のメガネで顔が覚えられないんだってさ」

「本物を間近で見るのは初めてだなぁ! 握手あくしゅしておくれよ!」

「は、はい」

「こっちも! こっちもお願ぁーい!!」

「はい、はいはいはいはい」


 にゅっと伸びてきた二十の手をリルルは順番を迷いながらもひとつひとつにぎっていく。それぞれが記念とばかりにぎゅっと強く握り返してきて、魔法の手袋をしていなければ今夜のうちにでも腱鞘炎けんしょうえんが発症してしまいそうだった。


「おいおいおい! 人の屋台の前で何やらかしてくれるんだよ! 商売の邪魔だろ!」


 血相けっそうを変えた店主が乗り出してきた。


「ここでリロットと話がしたけりゃ、うちの蕎麦そば食ってくんな!」


 集まっている百人以上の群衆ぐんしゅうの当たりにしても、ひるむ様子はかけらもなかった。


「特盛り上天麩羅てんぷらそば、千エル紙幣しへいちょうど一枚だ! 小銭も受け取らねえ! 一エルも負かんねえから、文句のある奴はさっさと帰んな!」


 その場の全員が一斉に財布を取り出し、思い思いに千エル紙幣を突き出した。


「よーし、今夜はそばを湯がいて死ねそうだ! いっちょやったるか!」


 在庫のそばを全て大鍋の中に叩き込み、これ以上に幸福なことがあるかという顔で店主はコンロの火力を最大にする。盛大に青白い炎が噴き上がり、汗と喜色きしょくにまみれた店主の顔を明るく照らした。


「あんた、本当に本当に本物? なにか証拠はあんの?」

「偽十万エル白金プラチナ金貨の偽造組織をつぶしてきた帰りなの。明日の号外でそれが出たら、私が本物だっていう証拠にならないかしら?」

「へえ! そりゃすげぇ!」

「あたしも偽金貨でだまされたのよ! かたきを討ってくれたのね!」

「偽造していた連中がかせいだお金をたんまり貯め込んでいたから、補償ほしょうが出るかも知れないわ。偽金貨は大切に持っていてね」

「ねぇ、リロットちゃん、歳はいくつ? どこに住んでるの?」

「今、付き合っている男の人とかいる?」

「警備騎士が混じってるぞ!」


 明るい雰囲気ふんいきになっていたにぎやかさが、人だかりの真ん中から飛び出した声に吹き払われた。


「二人だ! 二人もいる! なにか隠し持ってるぞ!」

「ここに突き出せ!」

「やめて! 乱暴はしないであげて!」


 声を上げリルルが立ち上がった。しかしざわめきと興奮はそのリルルの声も通さない。群衆の中を割って出すかのように、二人の警備騎士らしい白い胸甲をつけた二人の人影が、屋台の前まで連れてこられた。

 二十歳を超えるか超えないかという若い騎士たちだ。男達に肩と腕をがっちりとつかまれている。


「こいつら、マントの下に隠してる! 出させろ!」

「拳銃と手錠てじょうだろ! 俺たちのリロットをつかまえに来やがったんだ!」

ちがいます、違います! 僕たちは――」


 騎士たちが持っていたものが取り上げられ、それが街灯の光の下にさらけ出された。

 色紙とペンだった。


「――は?」


 物騒ぶっそうなものが出てくるに違いない――その予想をものの見事に裏切ったそのふたつの物体に、興奮に熱していた群衆たちは冷や水をぶっかけられたようにしずまった。


「……なんだこれ」

「あ、あの、僕たち、警備騎士なんです」

「知ってるよ」

「返してください、お願いします」


 警備騎士団。王都の治安を守る警察組織のひとつ。


「――あの、リロットさん!」


 法的には王都の治安を乱している快傑令嬢とは敵対しているはずの彼等の口から、とんでもない台詞セリフが飛び出した。


「この色紙に署名サインをいただけませんか!」


 返ってきた二枚の色紙と二本のペン。それがそろってリルルの前に突き出された。


「ええ、いいわ」

「わあ!」


 明るく軽い調子でそれを受け取るリロット、上気した顔をますます赤くする二人の警備騎士という構図に、群衆はまぼろしでも見せられているかのような表情しか見せることができない。


「あの、いつも、あなたのお姿を現場で見てます!」

「覚えてらっしゃいませんか? 一週間前に僕たち、あなたのムチで頭を打ってもらったんです!」

「ああ、確か、あの三人の中の」


 そういわれると覚えがあることにリルルは気が付いた。ムチで打たれたそうにそわそわしていた警備騎士たちの中にこの二人がいたと思う。


「はい! ……かぶとの上から響く打撃、頭にはケガを負わせず、それでいて衝撃で気を失わせる優しさと配慮はいりょに満ちた一撃……僕たち、それを受けた瞬間に本当に参ってしまったんです!」

「病院を退院したその足で、『快傑令嬢リロット同好会』に入会しました!」

「僕は会員番号三〇〇番、こいつは三〇一番です!」

「あら、もうそんなに増えたんだ」


 永久名誉会員になっているリルルがさらっといった。


「おいおい、どうして警備騎士がそんなに快傑令嬢に甘いんだ。敵対してる仲じゃないのか」

「とんでもない!」


 本当にとんでもない発言が、当の警備騎士の口から飛び出した。


「あんまり大きな声ではいえませんが、最近じゃすっかりなあなあですよ!」

「リロットが好きな同僚どうりょうはたくさんいます! 新入りたちのほとんどは、リロットを間近で見たりムチで打たれたいと思って入ってくる奴等ばかりです!」


 ああ、そうか、とリルルは思い当たった。道理で、最近は警備騎士たちとの追いかけっこが楽なわけだ。


「ありがとう。二人ともお仕事がんばってね」


 れた手つきで色紙に『快傑令嬢リロット』と大書されて返された色紙を、二人の警備騎士は感動の面持おももちで受け取り、それをかき抱くようにした。


「はい! リロットさんもがんばってください!」

「また現場でお会いしましょう! これからもよろしくお願いします!」


 宝物をせしめた二人の警備騎士はご機嫌で去って行く。にわかには信じられない物を見た群衆はしばらく絶句していたが、次の瞬間には一気に熱に浮かされていた。


「じゃあ、私はこの服のすそに署名を!」

「あたしはハンカチに!」

「自分は……自分は、ああ、この腕に! 腕に跡がつくほど書いちゃってください!」

「はいはい」

「ほい! そばが上がったよ! 金払ったからには食ってもらうからな! めん一本、汁一滴も残すのは許さねぇからそのつもりで食ってくんな!」

「ここのそば、とても美味しいのよ。私も時々食べに来るから、みんな贔屓ひいきにして上げてね」


 リルルは差し出されるものに片っ端から署名し、最後にのれんにペンを走らせて『快傑令嬢リロット御用達店ごようたしてん』と大きく書いた。


「では、私はそろそろ失礼させていただきます。みなさん、これからも快傑令嬢リロットを応援してくださいね――」


 リルルは立ち上がり、スカートのすそをつまんで広げ、軽く膝を曲げて軽やかにカーテシーを披露した。


「えー、もう行っちゃうのか……」

「リロット、さようなら!」

「またここに来て! 絶対だよ!」


 別れをしむ人々にリルルは軽く手を振る。そんなリルルにいまださばき切れていないそばをで続ける店主がニヤリと笑って見せた。


「じゃあな、お嬢ちゃん。ありがとよ」

「がんばってね」


 黒い腕輪から取り出した魔法のかさを広げ、リルルはまっすぐに空に向かって浮かび上がった。その別れを惜しむ人々の声が足首にからみついたまま、リルルは南東の廃工場のアジトに針路を取った。



   ◇   ◇   ◇



「――お嬢様、遅かったですね?」

「ちょっとね」


 アジトの転移鏡から直接、自室の居間まで移動したリルルは快傑令嬢の衣装を全て脱ぎ捨て、待っていたフィルフィナの出迎えを受けた。


「お風呂に入ってすぐに寝るわ」

「お夜食は?」

らない。食べてきたから」

「――お嬢様、ご機嫌ですね?」

「ふふふ」


 鼻歌を歌いながらリルルは浴室に向かい、気が済むまでたっぷりのお湯にかって体を温めた後、寝間着を着て早々にとこについた。


「――がんばっていれば、いいことはあるものね」


 全ての明かりが落とされた寝室、寝台しんだいで布団にくるまった中、丸まった姿勢でそう思う。

 戦いの中でつらいことは数多あまたあれど、こんな小さな救いがあるからやっていくことができるのだ。


「明日は、今日より少しでもいい日であればいい――」


 リルルはそう祈り、目を閉じた。

 さほどの時間を置かず、眠りはゆるやかにやってきた。



『リルル、蕎麦をおごられる』終わり

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