「屋上の決着」

 両手でにぎったレイピアを大上段に構えるバズ。

 それに対し手刀だけで立ち向かうニコル。


「――――――――」


 たがいに地をり、真正面から全速力でけたふたつの影が交錯こうさくして――決着は、ついた。


「っ!」


 摩擦まさつで火花が散るかのような勢いで、肩をこすり合うようにしてすれちがった二人が、二十歩の間合いをけて、止まった。


「う…………」


 剣を大上段にかかげた姿勢を崩さぬまま・・・・・、体の平衡バランスを失い、受け身の一切もとれずに顔から床に倒れたのは、バズだった。


「な……どうして……」


 頸動脈けいどうみゃくに受けた、首がゆがむのではないかというほどの強烈な手刀の打撃に、目の色を半分失ったバズが、ニコルからうばった魔法のレイピアをこぼす。


「この剣……俺が、振り下ろすのを、拒否きょひしやがって……」

「こういうことだよ」


 ニコルの右手が手刀の構えを解いて、開いた。床に転がった魔法のレイピアが手招きに呼ばれたように軽快に飛び、そのがニコルの手に収まった。


「そんな……インチキが……」

「だから、返せといったんだ」


 ニコルの顔にほこらしがる気配はなかった。ただ、自分は卑怯ひきょうな手を使ってしまったという後ろめたさがあった。


手前テメェ……わざと俺の前で、それを、落として……」

「……きっと拾うと思っていた。拾わなければ、これをあなたの背中に飛ばすだけだった。そうならなくてよかったよ……その場合は、手加減ができないんだ」

「クソッ、タレ……」


 バズが意識を失う。全身鎧ぜんしんよろいを着込んだ体重、その全てを込めたすさまじい打撃を無防備の首に打ち込まれて、人間が耐えられるものではない。


 ニコルは動かなくなったバズの手首に手錠てじょうをかけ、机の太い脚にそれを固定した。


「――サフィネル!」


 魔法のレイピアの飛翔能力ひしょうのうりょくを借り、ニコルがぶ。屋上に飛び出したニコルは、女魔導士おんなまどうしマハの背中を至近にとらえていた。


「ええっ!?」


 マハが驚愕きょうがくの表情でニコルに振り向く。


「あ……あなた、あのバズを倒したの……!?」

「相棒に後で聞いてみるといいよ――サフィネル、大丈夫かい!」


 ニコルは叫ぶ。マハの向こう、五十歩は先の遠くに、紫陽花あじさい色のドレスを半分以上、雪と氷で白くおおわれたサフィネルが立っていた。


「ニ……コル……」


 その肌も半ばこおり付いたサフィネルが微笑ほほえんだ――顔ははっきり確認できなかったが、ニコルにはそう思えた。


「私は……大丈夫、ですわ……」


 ドレス姿の少女の体が、ゆらりと揺らいでその場に倒れ伏す。ニコルの姿を見たことで気力がきた――ニコルには、そんな風に見えた。


「――貴様!」

「待って! 降伏するわ!」


 ニコルがき上げる怒りの勢いに、マハはあっさりとつえをその場に投げ出した。


「あなた、バズを倒してきたんでしょ。あたしがかなうはずないわ! そ……その子だってまだ死んでない! 息はあるはずよ!」

「――動くな! 少しでも動いたらこの剣は君を容赦ようしゃなくつらぬく! その剣には自我じががあるんだ。少しでも変な真似をすれば、その剣が勘違かんちがいを起こして君を殺す!」


 うその言葉でおどしつけたニコルの手から放されたレイピアは鋭い動きで飛び、竜巻を起こすかのようにマハの周囲を何度も周回した。


「や、やめて! これを止めて!!」

「君が大人しくしていれば、傷ひとつつけはしない。警告にしたがうんだ!」


 ハチかなにかのように派手な風切かざきり音を発し高速で飛び回るレイピアに、マハはピクリとも動けなくなった。


「サフィネル……っ!」


 仰向あおむけに倒れて動かないサフィネルをニコルは抱き起こす。触った途端とたんに氷の冷たさが指先に伝わってきて、それは死者の冷たさではないかと思えた。


「……ニコル、大丈夫ですよ……」


 凍り付いて動かないと思えたまぶたが震え、動くような気配がした。紫色に染まったくちびるが開き、しんのある声が、ニコルの耳を打った。


「ああ、やっぱり来てくれた……約束通り……あなたを信じていてよかった……」

「……ありがとう、今までえてくれて……。体が冷え切っている、早くなんとかしないと」

「……このドレスには、こごえた体を温める能力があります。大丈夫、すぐに元に戻ります……ニコル、私のことより、しなければならないことを……」

「わかった。すぐ終わらせる」


 サフィネルの体をそっと横たえ、ニコルは立ち上がった。

 ニコルが手をしならせるように開くと、マハの体を何度もかすめるようにして飛び回っていたレイピアがこたえるようにその手に戻った。


「色々聞きたいことは山ほどあるが、逮捕たいほしてからだな。大人しくばくにつくんだ」

「待って! お願い、見逃して!」


 マハはその場にひざまずいた。


「逮捕だけは勘弁かんべんして! この国の法律で死刑にならなくても、外国に引き渡されればしばり首になるしかないのよ! もう二度と悪事はしないわ! 今回のことだって、首謀しゅぼうしたのは、全部下にいるバズなの! あたしは彼に渋々しぶしぶしたがっただけなのよ! 彼に聞けばわかることだわ!」

「そんなことを聞くわけにはいかない。観念かんねんしてほしい」

「心を入れ替えるわ! 本当よ! 抵抗ていこうだってしないんだから!」


 かぶっていた帽子ぼうしをマハが床に投げ、続いて体をおおっていたマントもぎ捨て――。

 ――そこからが、問題だった。


「――なんで脱ぎ出すんだ!」


 二本目の手錠がない以上、どうやって拘束こうそくするべきか――そう迷っていたニコルの理解の上を跳び越え、マハはまるで今から風呂でも入るかのように、マントの下のシャツとスカートを大胆に脱ぎ捨てて行く。彼女に近づこうとしたニコルの足が、結界にはばまれたようにその場でい止められた。


「だって、武器を隠し持ってないと貴方あなたを信用させないといけないでしょう? ほら、あたしは短剣一本持っていないわよ」

「うわあ」


 隠し武器どころか、隠さなければならないものも隠せるかどうか怪しいような下着姿になったマハが立ち上がる。顔を引きつらせたニコルが後退あとずさろうとするが、足をすべらせてその場で盛大に尻もちをついた。


「――ね。ただとはいわないわ。今だったら、貴方あなたのいうことをなんでも聞いてあげる。あたしになにをいいつけてもいいのよ」

「服を着てくれ! あと近づかないで!」

「ふふふふ」


 そのニコルの懇願こんがん艶然えんぜんとした笑みで無視し、腰を抜かして動けなくなったニコルにマハは迫る。

 立とうにも脚がいうことを聞いてくれない少年、その開いた脚の間にひざまずき、マハは大きな宝石が指輪がついた右手で、ニコルの真っ赤に染まったほおでた。


「や……やめて……」


 彼女の体を押しのけようとしても、ニコルには触れてはいけない部分しかない。文字通りに手の出しようがなかった。


「あら、可愛い。――ふふ、堅物かたぶつそうでも男だもの。ね、お礼はあたしの身と心でしてあげるから、ここは――」

「た、助け、助けて……」


 ニコルの両の首筋を、マハのき出しの腕が滑っていく。二人の顔は、鼻と鼻の先が触れあうくらいにまで近づいていた。


「さあ、あたしに全てゆだねなさいな」


 ニコルの首の後ろに回ったマハの手が、右手の指輪の宝石を外した。石の下から現れた、睫毛まつげほどの長さをした細い針が、その鋭利な先端を輝かせた。


「今、天にものぼ心地ここちにさせてあげるわ――」


 ニコルの首の後ろ、一番上の頸椎けいついねらうために手の甲が裏返され、勢いをつけようと一度大きくそれが離され――。


 ――離された手首を、横からびてきた白い手袋がつかんでいた。


「もしもし?」

「――――え」


 手袋の主にマハの視線が向いた時には、マハの顔面に拳鍔メリケンサックめた右の拳が、粘土をつぶすかのようにめり込んでいた。

 鼻柱を砕いた打撃に彼女の意識が吹き飛び、続いて半裸の体も吹き飛ぶ。


 女魔法使いのあられもない姿が数メルトの距離を飛び、コンクリートの床に叩きつけられる様を、ニコルが息を飲んだまま見守っていた。


「――ニコル!」

「はい!」


 振り抜いた拳を納めたサフィネルの声に、尻もちをついたままのニコルが背筋をねさせた。


「なんですかあなたは! あんなわかりやすい色仕掛いろじかけに動けなくなるなどと! 本当は、喜んで鼻の下を伸ばしていたのではないのですか! はじを知りなさい恥を!」

「そ、そんなことはありません! ただびっくりして!」

うたがわしい! 騎士なら騎士らしく、もっとおのれりっしてしゃんとしなさい! しゃんと!! わかったのですか!? 返事は!!」

「わ、わかりました!」


 何故自分は敬語を使っているのかニコルにはわからなかったが、そうしなければ許してもらえないというあつを感じたことは確かだった。


「まったく……ううっ」


 その場で両膝をついたサフィネルが、大きく体を震わせる。魔法のドレスを覆っていたしもは払われ、表面はとっくに乾いているように見える。凍り付いていたような素肌を見せていた腕にも血が通う気配があったが、それでもまだ芯に残る凍えはあるのか。


「だ、大丈夫かい?」

「……このドレスは体を温めてくれますが、ひとつだけ効果が及ばないところがあるのです。さ、寒い……」

「どうしたらいい? 僕にできることなら、なんでもいってほしい」


 ニコルが顔を寄せる。実に情けない状況だったが命を救ってもらったのだ。なんでもするつもりだった。


「ええ……実は、凍えているというのは」


 認識阻害そがいの魔法の中ではっきり見えないはずのサフィネルの顔の中で、ニコルは、彼女の唇の形だけははっきりと見ていた。


「ここなのです」


 ニコルの唇に軽く、ぴと、とサフィネルの唇が乗った。


「――――」


 乗ってから数秒間その意味を理解せず、確かに少女の凍えて冷たい唇の感触と、その唇の感触を自分の唇が感じているというというのはどういうことなのかをニコルが理解し、


「――うわあぁぁっ!?」


 少年の体がるまでは正確に、十秒の時間をようした。


「うふふふ! 実にあったまりました! 身も心も回復です!」


 晴れやかな笑顔を振りまき、サフィネルがすっくと立ち上がった。

 さっきまで凍えて倒れていたのが冗談かなにかのように、軽やかにその場で一回転し、いつの間にか取り出していた円筒状えんとうじょうの物体で足元に線を引き始めた。


「なんてことをするんだ、君はぁっ!」

「あら? リロットはいっていましたよ? 快傑令嬢になればあなたの唇を奪える特権が得られると」

「嘘だ!!」

「――ニコル。女はこわいのです。信用も油断もしてはなりませんからね――では私はいそがしいので、ごきげんよう」


 人ひとりが飛び込める大きさの長方形をサフィネルが描ききったかと思うと、それが突然に光り輝いて一枚の鏡を作る。もう一度微笑したサフィネルはニコルにカーテシーで挨拶あいさつをすると、小さく跳ねてその真ん中に飛び込んだ。


「ま、待って――」


 ニコルが腕を伸ばすのも無視し、まるでそれが水面であるかのように鏡は紫陽花色の快傑令嬢の体を飲み込み、ほどなくして綺麗きれい消滅しょうめつした。


「……なんでこう、快傑令嬢は僕の唇を狙うんだ……偽者もふくめたら、三人とキスしちゃったじゃないか……」


 うなだれたニコルは今日最大の難問に直面した。

 これをどうリルルに報告したらいいものか――。リルルに報告しないという選択肢せんたくしは、自分にはないのだ。

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