「リルルとエヴァレー」
リルルがエヴァレーの震えない
「リ、ルル……
「うんっ……!」
生身の人形のようになったエヴァレーは、リルルの人工呼吸で吹き込まれた分の息を
「エヴァレー……起きて! 息を、息をするの……簡単なことでしょう! 眠っている間にもできることなんだから……!」
もう、百回に届きそうになる息の吹き込みをエヴァレーの
憎しみも嫌悪も、なにもない。吹き込み、押し、吹き込み、押す。生き返れ、とただそれだけを
もう、この少女は生きる意思を失ってしまったのか。それとももう、本当に死んでしまったのか――。
そんな思いがささやきとなって二人の心に生まれる前に、手応えは来た。
「かっ……は……ぁっ!」
「っ!」
突然に、エヴァレーの体が感電したように
「息が戻ったわ!」
「脈も打ち出した!」
エヴァレーの手首に指を当てたニコルが、汗まみれの顔で
その声に呼ばれたかのように居間の扉が開き、白衣を着た
「
「ノワール先生!」
自分の元かかりつけ医であり、
「先生、今の今まで
「
「はい!」
ニコルとリルルがエヴァレーから離れ、代わりに一抱えもあるカバンを側に置いたノワールがそこに
「――よし、息も脈も止まっていたにしては、いい対応だな」
「失礼します」
車輪付きのワゴンにもうもうと湯気を上げる大鍋を載せたフィルフィナが現れる。ノワールを呼びに行く前に火をかけていたのだろうか。
「おお、今頼もうと思っていたところだ。手際が良いな」
「当然です。わたしですから」
「弾丸の
「はい!」
「わしはこれから若いご婦人の胸をはだけるという、大変恐縮なことをする」
元気よく返事をした後の表情のまま、ニコルは、固まった。
「わしは医者だから仕方ないとしても、少年、お前はわしの肩越しに、
「すみません、すぐに出ていきます!」
一秒でニコルは居間から退出した。
「――やれやれ、あの
「ノワール先生、エヴァレーは助かりますか……?」
「わしは目の前の
「はい」
◇ ◇ ◇
弾丸の摘出と傷口の
皮膚一枚を
「綺麗な肌に少し傷が残るかも知れんが、
下着以外は全て脱がされたエヴァレーが、胸に包帯を巻かれた姿で寝かされる。ニコルは
「どれだけ出血があったかわからんが、
「またノワール先生に輸血の世話になるのね。この前してもらったばかりなのに……」
「リルル!」
老医師の
「お前さん、その若さでボケてないか? わしはお前さんの輸血の世話なんぞ今まで一度もしたことがないぞ!」
「あ……!」
ひやり、と冷たいものがリルルの心の底に
そうだ、二ヶ月弱ほど前、確かに自分はノワール医師に輸血――傷ついたコナスに血を与える作業に協力してもらったが、あの時の自分は、快傑令嬢リロットだった。
「しっかりせい」
「ご……ごめんなさい、先生」
「
一瞬だけ横目でリルルの顔をのぞき、ノワールは輸血の準備に取りかかった。
「ワシは世間話をしているんじゃぞ。だからお前も世間話として返せ」
「……コナス様と約束したらしいです。王都に快傑令嬢が求められている間は、戦ってほしいと」
「あの患者か。わしが命を救ってやったのに、すぐ死んでしまいおった。ああいうことをされるとやりきれん。立ち上がれん程度に
「……先生……」
「派手な墓に
あの後、墓に
「死者との約束か。それでは死んでも破るわけにはいかんな……。しかし、リルル、お前は快傑令嬢と知り合いらしいから、彼女にいってやってくれ。……なるべく早く、足を洗えと。彼女の危ない話を新聞で読むと、もう残り少ない寿命が
「……はい」
「まあいい、年寄りのぼやき程度に聞け。しかしな、命を
「……伝えました、先生」
「そうか、早いな。じゃあ、このお嬢さんをこの寝床に移す。ソファーの方はお前さんの場所ということだ。手伝ってくれ、リルル」
◇ ◇ ◇
居間の明かりは、薄暗く落とされた。
まだエヴァレーは目覚めてはいないが、その呼吸と脈拍が安定を見せてきたことに大丈夫だろうと判断し、ノワールは
時刻は、日付の変更を越えたところだろうか。ソファーに横たわり薄い毛布を一枚掛けられ、リルルはぼんやりと天井を見つめていた。
赤い管は床に立てられた伸縮棒の枝に引っかけられ、高低差を取るために床に寝かされたエヴァレーの、
幸い、
あと小一時間で、この輸血も終わる。エヴァレーの生命にも
「――真剣で命のやり取りをしていた
「エヴァレー?」
リルルが視線を横に向ける。毛布を掛けられていたエヴァレーが、その目を開いていた。
「いつから目が覚めていたの?」
「少し前から。……ニコルが
「そうよ。息も心臓も止まったあなたを、二人で必死になってなんとかしたんだから」
「……なんでそんなことするのよ……」
暗がりの中でその表情はつかみにくい。淡々と
「知ってる?
今度はリルルの心臓が止まりそうだった。
「
「……エヴァレー、私、あなたが憎くてあの時戦ったんじゃない。あなたを殺したかったわけでもない。あなたを止めたかったから、戦ったのよ」
「
リルルの息が、止まった。
「……なによ、
「…………」
「
少女の唇に熱がこもる。その動きが加速する。
「貴女も嫌い。下品な平民も嫌い。高慢ちきな貴族も嫌いなら、汚くて
――でもね、
耳を
そうしなければならないと思ったから、そうした。
「リルル、笑える話をしてあげるわ。
「…………!」
「嫌な名前をひとつ、思い出させてあげましょうか」
リルルの耳が震えた。それだけでその名前が予想できた。
「バリス・ヴィン・エルズナー侯爵
「……やめて」
リルルにとって、思い出したくもない名前が出てきてくれた。
「彼の
「やめて! お願いだから!」
「最近は派手にはしないけれど、かといって全く見えない所でもやらないのよ。首に
「聞きたくない!」
「そう。じゃあ勘弁してあげるわ。――悪人であっても命は奪わない快傑令嬢、ね。でも結局貴女は
「仕方ないじゃない! それ以外に方法がないんだもの!」
「そうね、方法がないわ。――
「…………」
「嫌でしょう、本当のことをいわれるのは。
ワゴンに並べられたまま放置されているメスを、リルルは頭の中で描いた。
「もっと腹の立つことをいってあげるわ。
リルルの脳の半分が
「あの子を誘惑して、一晩たっぷりと
「エヴァレー、わかりやすいウソはいわなくていいの」
「…………なんで、そんな簡単にウソってわかるのよ……」
エヴァレーの意志が
「そんなことはできないから、ニコルには」
「……でしょうね……もう少し上手い作り話をするべきだったわ……」
「エヴァレー。私を怒らせようとしても無駄よ。私はあなたを殺さない」
「じゃあ、
小さな
「貴女に
「エヴァレー……」
「
「……眠りなさい、今は」
「…………」
それ以上の声を上げるのも無駄と
ただ、静けさを取り戻した部屋の中に、小さな忍び泣きが響き続ける。
この手の平の中の
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