「ゴーダム公爵家の人々」
王都エルカリナ北西部、貴族たちが住まう
有力公爵家のひとつとはいえ、その家の
公爵家の家族が住む
屋敷、というよりは
「うわあ…………」
自分の屋敷など吹けば飛ぶようなものだ――その正門の前に立ったリルルは、相当見上げなければ屋根も見えない
「――この夜分に、
居住区の窓にほとんど明かりはない。日付もあと一時間ほどで変わろうとしている時刻では、家臣のほとんども眠っているのだろうか。
閉ざされた門を警護している兵士は寝ずの番についているのか、ランプが灯されている側の詰所からすぐに二人が飛び出してくる。さすがにこの深夜の訪問者に驚いたのか、その手には槍が握られていた。
「
「――フォーチュネット?」
脇の通用門の窓だけが開く。そこから
「はい! どうか、ゴーダム公爵閣下にお取り次ぎを! ニコル・アーダディスに関することであるとお伝えいただければ!」
「――ニコルの!?」
女性騎士の声が
◇ ◇ ◇
取り次ぎがなされ、応答を待つ間、
「そうですか、
アリーシャと名乗ったその女性騎士は、ニコルが騎士見習いとして修行の日々を過ごしたゴーダム騎士団において、ニコルの直接の先輩であると自己紹介した。
「失礼をいたしました。私も初めて王都に
「いえ、お気になさらないでくださいませ。こんな非常識な時間に訪問しては、警戒されるのも当然です」
「ニコルの
リルルよりも頭ひとつ背の高い長身の女性。女性の騎士というものが
「ニコルからもらった手紙に、
「そ、そ、そうなのですか? ニ、ニコルのやつ、そんなことを……あ、はははは……」
「――――」
ニコルの名前を口にする
――この女性も、ニコルに特別な気があるなと。
この調子ではニコルがゴーダム公爵領に
「……本人に悪気はないとはいえ、罪作りな方ですね、ほとほと……」
「フィル、なにかいった?」
「なんでもございません」
やがて案内役の騎士が顔を見せ、こちらへ、とリルルとフィルフィナを
◇ ◇ ◇
応接間に通されたリルルとフィルフィナを
「――ニコルが
耳に突き刺さる声の甲高さにソファーに座ったリルルが顔をしかめ、特に聴力の高い耳を持つフィルフィナは平静さをその表情に保つので精一杯だった。高い耳鳴りが響く頭を押さえたくなる手を
「こ、これは、すぐに救出の兵を
「落ち着け、エメス。そういう話ではあるまい。ちゃんと聞いていたのか?」
夫であるゴーダム公は
「ニコルが自分が住む
「同じことではないですか! あの子はこの
「お母様、リルル様の前ではしたない。もう少しお声をお落としください」
応接間にはサフィーナまでも姿を見せていた。
ニコルの異変と聞いて、深夜にも関わらずこうして応対してくれるゴーダム公爵家の人々を見て、本当にニコルは家族同然の
「わ……私はとても冷静になることなどできません! あなた、当然、直ちにニコルを取り返す手立てを!」
「様子を見る」
「あなたぁぁ!」
「ザージャス家にねじ込むだけの根拠がない。ニコルに加えられた
「あの子が自分の意志で行くわけがないではないですか!」
「わかっている。
「私がいけないのです。ザージャス公爵家の一人娘、エヴァレー嬢と私は昔から折り合いがよくないのです。その私への嫌がらせとして、ニコルにこのような仕打ちが……」
「リルル様、あのエヴァレーを不機嫌な目に
「ともあれ、今この状況で我々が動くことは、ニコル自身が望むまい」
「そんな!」
「ニコルは
「あなた、ニコルを失うことが平気なのですか!」
「
ゴーダム公の口調は冷静だったが、その口元に、心境を表す苦みがにじんでいた。
「息子を
長テーブルの上には、ニコルが自ら外した五角形の台座の徽章があった。人に表立って
「…………」
エメス夫人の体が、ソファーに沈む。夫の口調は穏やかだったが、我を失いかけていた妻の心を冷やすだけの重みがその言葉にはあった。
「……申し訳ないわ、リルル嬢。私、どうしてもニコルのことになると興奮してしまって……ごめんなさいね……いけないとは思っているのですけれど……」
「いえ、奥様がニコルのことを、とてもとてもお気にかけていただいていること、
リルルは頭を下げるだけだった。
「奥様のことは、ニコルの手紙でよく存じております。とても優しいもう一人のお母様を持てて幸せだと、ニコルはよく書いておりました」
「そ、そう……あの子が、手紙でそんなことを……」
感情の熱が引いたのか、場の
「……私も馬鹿ではないのです。私の好意を一方的にあの子に押しつけて、迷惑がられてはいないかと心配もしているのです……いいえ、多分迷惑なのでしょうね」
「自覚があるならやめたらどうだ」
「それができたら苦労しません。私、あの子のことになると歯止めが
「仕方がないな」
ゴーダム公が
「園遊会のニコルを見ていればわかる。ニコルはお前に感謝こそすれ、嫌ってなどいない。お前もニコルという人間を見ていればわかるだろう?」
「それならいいのですけれど……」
「それに、だ。まずはこの事態をニコル自身がどう乗り越えようとするのか、それを見てからでも遅くはないだろう」
それぞれの前に並べられたお茶は、誰もそれを口につけようとしない。紅い液体はただ湯気だけをくゆらし、時間と共に冷めるだけの存在と化していた。
「転んで倒れた子供が自分で立ち上がろうとする前に、親がその体を抱えて起こしてやるようでは、経験にはならん。どうしても起き上がれない時には手を貸してやってもいい。が、今はその時ではない」
「では、我が家としては、なにも……」
「いや、見守ることだけはする」
ゴーダム公が手を二度
「ザージャス公爵邸の内情を探らせろ。誰か適当な者はいるか?」
「は……昨日ご報告いたしました『鳥』ならご期待に
「明日の朝一番に接触して、手配しろ」
「かしこまりました」
家臣は静かにまた一礼し、足音もなく下がっていった。
「リルル嬢。これは我がゴーダム公爵家の問題でもある。お
「ありがとうございます、公爵閣下……」
「リルル様、もう今夜は遅いですわ。私の部屋にいらっしゃってください。二人で一緒に寝ましょう」
「サフィーナ様、いくらなんでもそれは
「いいではないですか。私にも友達がいる幸せを
「リルル嬢がよろしいなら、是非
また明朝、共に食事でも、と笑ってゴーダム公は応接間を
「私の
「フィルも? でも……」
「お嬢様、よろしいではありませんか。一晩お世話になりましょう。色々お話もあるかも知れませんし」
「さすがフィル! 物分かりがよくて頼もしい! 寝間着もお貸ししますわ。お風呂は……入られたようですね。では、私の寝室まで案内いたします。さあ、さあ」
サフィーナに手を引かれ、フィルフィナに背中を押されてリルルは一方的に誘導された。まさか一泊することになるとは心の準備ができていなかったが、ニコルを共に取り戻す仲間としてサフィーナとの
「うふふ。今夜はお話で眠れなくなりそう。お友達と一緒に一晩枕を並べて語り明かす、一度やってみたかったことですの! リルル、お覚悟なさってくださいな!」
「そういうことです、お嬢様。お覚悟なさってください」
「あ、はは、ははは……」
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