「ゴーダム公爵家の人々」

 王都エルカリナ北西部、貴族たちが住まう邸宅ていたくが王城を囲むように集められた区画のほぼ外れに、ゴーダム公爵の屋敷はあった。


 有力公爵家のひとつとはいえ、その家のして、屋敷にそれほどの華麗かれいさはない。庭に植えている草花にも趣向しゅこうらしている気配はなく、建物の様式にも装飾そうしょくなどに気を配っている様子はほとんどなかった。最低限の体裁ていさいさえ整っていればいいという、持ち主の質実剛健しつじつごうけんさがうかがえた。


 公爵家の家族が住む母屋おもやは小さくまとめられ、公爵家の人々の生活に必要な設備、そして来客をもてなす広い応接間が加えられているだけのものだ。が、その母屋を囲んでいる家臣たちのための住居の規模が巨大だった。


 屋敷、というよりは要塞ようさいというおもむきがあったかも知れない。実際、自領から引き連れてきた三百人の騎士とその従者たち――総勢すれば千名にも届く人間を住まわせる高層居住区は四階にも届く規模で、それが屋敷の塀そのものとなって屋敷をぐるりと囲んでいた。


「うわあ…………」


 自分の屋敷など吹けば飛ぶようなものだ――その正門の前に立ったリルルは、相当見上げなければ屋根も見えない威容いようの建物に心をうばわれていたが、隣に立つフィルフィナのひじを受けて我に返った。


「――この夜分に、まことに失礼をいたします!」


 居住区の窓にほとんど明かりはない。日付もあと一時間ほどで変わろうとしている時刻では、家臣のほとんども眠っているのだろうか。寝床ねどこに入っているのはゴーダム公爵家の方々も変わらないはず。そんな深夜に訪問をする恐ろしさを覚えつつ、リルルは勇気をふるい、門の前でうったえた。


 閉ざされた門を警護している兵士は寝ずの番についているのか、ランプが灯されている側の詰所からすぐに二人が飛び出してくる。さすがにこの深夜の訪問者に驚いたのか、その手には槍が握られていた。


わたくし、リルル・ヴィン・フォーチュネットと申す者でございます! このような時間に大変恐縮ではありますが、火急かきゅうの用件ゆえ、なにとぞご容赦ようしゃ願います!」

「――フォーチュネット?」


 脇の通用門の窓だけが開く。そこから甲冑かっちゅうに身を包んだ兵士――装備からして騎士の身分なのだろう、まだ若い女性のようだが、聞きれないという感じに首をひねる様子を見せた。


「はい! どうか、ゴーダム公爵閣下にお取り次ぎを! ニコル・アーダディスに関することであるとお伝えいただければ!」

「――ニコルの!?」


 女性騎士の声がね上がった。その声の勢いにむしろ、リルルの方が気圧けおされた。



   ◇   ◇   ◇



 取り次ぎがなされ、応答を待つ間、詰所つめしょ簡易かんいな待合室に通されたリルルたちは、十分ほどの時間をそこで待たされた。


「そうですか、貴女あなたがニコルの……」


 アリーシャと名乗ったその女性騎士は、ニコルが騎士見習いとして修行の日々を過ごしたゴーダム騎士団において、ニコルの直接の先輩であると自己紹介した。


「失礼をいたしました。私も初めて王都に赴任ふにんしてれないことばかりで……。貴族の方々のお名前にもうとい田舎者でありまして、どうかご容赦ようしゃいただければ」

「いえ、お気になさらないでくださいませ。こんな非常識な時間に訪問しては、警戒されるのも当然です」

「ニコルのうわさは我が地元にも伝わっていますよ。自分もひまが得られれば、ニコルと会いたいと思っておりました」


 リルルよりも頭ひとつ背の高い長身の女性。女性の騎士というものがめずしいリルルは、待たされている時間の長さも忘れ、応対してくれているアリーシャの話に耳をかたむけていた。


「ニコルからもらった手紙に、貴女あなた様の御名前おなまえ幾度いくどとなく書かれておりました。大変親切で優しい先輩に恵まれて嬉しい、と……アリーシャ殿」

「そ、そ、そうなのですか? ニ、ニコルのやつ、そんなことを……あ、はははは……」

「――――」


 ニコルの名前を口にするたび、どこか遠い目をする女性騎士を、リルルの後方でひかえ顔をうつむかせながら細目で観察するフィルフィナは、ひとつの確信を得ていた。

 ――この女性も、ニコルに特別な気があるなと。


 この調子ではニコルがゴーダム公爵領にのこしてきた遺産・・莫大ばくだいなものだと思えた。いや、負債ふさいというべきものなのだろうか、それは。


「……本人に悪気はないとはいえ、罪作りな方ですね、ほとほと……」

「フィル、なにかいった?」

「なんでもございません」


 やがて案内役の騎士が顔を見せ、こちらへ、とリルルとフィルフィナをうながした。リルルたちは詰所を出、石畳いしだたみ舗装ほそうされた道を歩いて母屋に向かう。正門を通された時には明かりが落ちていた母屋おもやには今、青白いランプのあかりが煌々こうこうともっていた。



   ◇   ◇   ◇



 応接間に通されたリルルとフィルフィナをおそったのは、エメス夫人の雷轟らいごうのような悲鳴だった。


「――ニコルが誘拐ゆうかいされたというのですか!?」


 耳に突き刺さる声の甲高さにソファーに座ったリルルが顔をしかめ、特に聴力の高い耳を持つフィルフィナは平静さをその表情に保つので精一杯だった。高い耳鳴りが響く頭を押さえたくなる手をかろうじて押さえ込む。


「こ、これは、すぐに救出の兵をげないと! あなた! どうしてそう平気な顔でいるのです! わ……わたくしの、私のニコルが、ニコルが」

「落ち着け、エメス。そういう話ではあるまい。ちゃんと聞いていたのか?」


 夫であるゴーダム公はれたものなのか、片手を上げて妻を制した。


「ニコルが自分が住む界隈かいわい脅迫きょうはくされて、ザージャス公爵家の騎士団に無理矢理編入させられようとしている、そういう話だ」

「同じことではないですか! あの子はこの徽章きしょうを自分の胸につけられるのをほこりとしていてくれていたのに! それを、あろうことか恫喝どうかつを加えて外させるなんて! こ――これは、我がゴーダム家に対する宣戦布告も同じです!! すぐに兵を!!」

「お母様、リルル様の前ではしたない。もう少しお声をお落としください」


 応接間にはサフィーナまでも姿を見せていた。先刻せんこくまで寝台に入っていたのか、寝間着らしい服にたけの長いガウンを羽織はおっている。床に入っていたのを起こされて迷惑そうにしている雰囲気ふんいき微塵みじんもなかった。知らせてくれてありがとう、と頭を下げてリルルに礼をべたほどだ。


 ニコルの異変と聞いて、深夜にも関わらずこうして応対してくれるゴーダム公爵家の人々を見て、本当にニコルは家族同然のつながりを持てているのだとリルルにはわかった。


「わ……私はとても冷静になることなどできません! あなた、当然、直ちにニコルを取り返す手立てを!」

「様子を見る」

「あなたぁぁ!」


 きしむようなエメス夫人の声が飛んだ。


「ザージャス家にねじ込むだけの根拠がない。ニコルに加えられた恫喝どうかつとザージャスのつながりが証明できなければ、不当な威圧いあつ行為になるだけだ。話を聞く限りでは、表向きは、ニコルは自分の意志でザージャス家に加わることになる」

「あの子が自分の意志で行くわけがないではないですか!」

「わかっている。動機どうきは今ひとつつかめんが、少し周到しゅうとうな手段がとられているようだな」

「私がいけないのです。ザージャス公爵家の一人娘、エヴァレー嬢と私は昔から折り合いがよくないのです。その私への嫌がらせとして、ニコルにこのような仕打ちが……」

「リルル様、あのエヴァレーを不機嫌な目にわせたのはサフィーナも同じです。これは私たち二人への意趣返し仕返しと見るべきですわ」

「ともあれ、今この状況で我々が動くことは、ニコル自身が望むまい」

「そんな!」

「ニコルは思慮深しりょぶかい男だ。自分が元で家と家が争うことを望むまい。それも合わせて、ニコルは今回の決断をしたのだ」

「あなた、ニコルを失うことが平気なのですか!」

口惜くやしいのは私もお前と同じなのだぞ、エメス」


 ゴーダム公の口調は冷静だったが、その口元に、心境を表す苦みがにじんでいた。


「息子をうばわれた父親である私の心境も、少しは察してくれ」


 長テーブルの上には、ニコルが自ら外した五角形の台座の徽章があった。人に表立ってほこることをしないニコルが、そのえりで大事に抱えていたものがそこにある。それを自らの手で与え、片時も外すなと命じた本人であるゴーダム公自身が、そのさびしさを最も味わっていた。


「…………」


 エメス夫人の体が、ソファーに沈む。夫の口調は穏やかだったが、我を失いかけていた妻の心を冷やすだけの重みがその言葉にはあった。


「……申し訳ないわ、リルル嬢。私、どうしてもニコルのことになると興奮してしまって……ごめんなさいね……いけないとは思っているのですけれど……」

「いえ、奥様がニコルのことを、とてもとてもお気にかけていただいていること、乳兄弟ちきょうだいとして、幼なじみとして、大変嬉しく思います」


 リルルは頭を下げるだけだった。夜半やはんにも関わらず、嫌な顔ひとつ見せずこうしてつどってくれるだけで、どれだけニコルを愛してくれているかがわかった。


「奥様のことは、ニコルの手紙でよく存じております。とても優しいもう一人のお母様を持てて幸せだと、ニコルはよく書いておりました」

「そ、そう……あの子が、手紙でそんなことを……」


 感情の熱が引いたのか、場の喧騒けんそうを一人で引き受けていたエメスが小さく縮こまる。


「……私も馬鹿ではないのです。私の好意を一方的にあの子に押しつけて、迷惑がられてはいないかと心配もしているのです……いいえ、多分迷惑なのでしょうね」

「自覚があるならやめたらどうだ」

「それができたら苦労しません。私、あの子のことになると歯止めがかなくて……」

「仕方がないな」


 ゴーダム公が微笑ほほえんだ。


「園遊会のニコルを見ていればわかる。ニコルはお前に感謝こそすれ、嫌ってなどいない。お前もニコルという人間を見ていればわかるだろう?」

「それならいいのですけれど……」

「それに、だ。まずはこの事態をニコル自身がどう乗り越えようとするのか、それを見てからでも遅くはないだろう」


 それぞれの前に並べられたお茶は、誰もそれを口につけようとしない。紅い液体はただ湯気だけをくゆらし、時間と共に冷めるだけの存在と化していた。


「転んで倒れた子供が自分で立ち上がろうとする前に、親がその体を抱えて起こしてやるようでは、経験にはならん。どうしても起き上がれない時には手を貸してやってもいい。が、今はその時ではない」

「では、我が家としては、なにも……」

「いや、見守ることだけはする」


 ゴーダム公が手を二度たたく。扉が開き、応接間の外にひかえていた家臣が一礼して入ってきた。


「ザージャス公爵邸の内情を探らせろ。誰か適当な者はいるか?」

「は……昨日ご報告いたしました『鳥』ならご期待にえるかと思います」

「明日の朝一番に接触して、手配しろ」

「かしこまりました」


 家臣は静かにまた一礼し、足音もなく下がっていった。


「リルル嬢。これは我がゴーダム公爵家の問題でもある。お力添ちからぞえは十二分にさせていただこう。ご連絡いただけたこと、大変感謝する」

「ありがとうございます、公爵閣下……」

「リルル様、もう今夜は遅いですわ。私の部屋にいらっしゃってください。二人で一緒に寝ましょう」

「サフィーナ様、いくらなんでもそれはおそれ多く」

「いいではないですか。私にも友達がいる幸せをみしめさせてくださいな――お父様、かまわないでしょう?」

「リルル嬢がよろしいなら、是非まっていってほしい」


 また明朝、共に食事でも、と笑ってゴーダム公は応接間をした。エメス夫人もそれに続く。


「私の寝台ベッドは広いのです。少し詰めればリルルとフィルくらい、一緒に寝られますわ」

「フィルも? でも……」

「お嬢様、よろしいではありませんか。一晩お世話になりましょう。色々お話もあるかも知れませんし」

「さすがフィル! 物分かりがよくて頼もしい! 寝間着もお貸ししますわ。お風呂は……入られたようですね。では、私の寝室まで案内いたします。さあ、さあ」


 サフィーナに手を引かれ、フィルフィナに背中を押されてリルルは一方的に誘導された。まさか一泊することになるとは心の準備ができていなかったが、ニコルを共に取り戻す仲間としてサフィーナとの気脈きみゃくを通じておくのもいいものだとも思う。


「うふふ。今夜はお話で眠れなくなりそう。お友達と一緒に一晩枕を並べて語り明かす、一度やってみたかったことですの! リルル、お覚悟なさってくださいな!」

「そういうことです、お嬢様。お覚悟なさってください」

「あ、はは、ははは……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る