「園遊会・その一」

 エルカリナ城を囲む、広大な薔薇バラ園――『朱紅あか回廊かいろう』は、雲ひとつにもさえぎられない春の陽光に、たくさんの薔薇の色彩しきさいえさせていた。


 前の『竜の襲撃』の過程で起こった、エルカリナ城への直接の攻撃。

 城をその腕で一抱えできるようほどに巨大な鎧騎士は、当然のことながらそのあまりもの巨大さゆえに、王都に住むものなら全員がその姿を目撃していた。


 攻撃によって損壊そんかいした王城、み荒らされた庭園――その修復のため、実に一ヶ月の工期を必要とし、ようやくそれが完了したのだ。

 春と秋に定例ていれいで行われる王国主催しゅさい園遊会えんゆうかい。延期に延期を重ねていたそれがこの日、開催かいさいされた。



   ◇   ◇   ◇



 薄いグリーンが目にも鮮やかな正礼装せいれいそうのドレスに身を包んだリルルは、会場に到着した途端とたん、その違和感いわかんぬぐえないさまにぎわいに、顔をしかめた。


「なんか……話に聞いていたほど、はなやかな感じじゃないような……」


 まん十六歳をむかえ、成人した貴族の子女しじょが貴族界に初参加デビューする公式の場でもある園遊会。ひとりひとりが国王に謁見えっけんし、祝辞しゅくじを受けることができるとても名誉めいよな場だ。リルルも立ち合ったことはないが、噂話うわさばなしではいくらでも聞いていた――。従者じゅうしゃも加えれば、三千人はくだらないという盛況せいきょうもよおし――の、はずだった。


 リルルがいだいた率直そっちょくな感想は、『話の半分くらい』というものだった。


色々な事件・・・・・で多くの貴族の家が没落ぼつらく、お取りつぶしのき目にいましたから。半分くらいは整理されてしまったのではないでしょうか」


 従者わくということで、準礼装じゅんれいそうのドレスを身につけているフィルフィナがちらりとリルルの方を見る。リルルにはその目が『あなたのせいです』といっているように見えた――実際、そうだった。


 会は正式にはまだ開始の時間をむかえていないが、自由に交流ができる直前の、この時間帯も重要だった。特に、初めて公式の舞台に立つ若き子女などは、この時間の内に多くの知己コネを得、将来の人脈の獲得かくとくつなげなくてはならない。


「あああ、無駄話などするでない」


 その生地の全部が刺繍ししゅうくされたコートに着られているログトが、ひたいの汗をいている。


「お前たちはだまって、ニコニコと笑っていればいいのだ。私が全部引き回すから――ニコル、お前も挨拶あいさつはしっかりな」

「承知いたしました、旦那様だんなさま


 白い胸甲きょうこうに金モール入りのマントを羽織はおったニコルが、微笑ほほえみながら頭を下げる。そのえりには、ふたつの徽章きしょうほこらしげに輝いていた。彼が知遇ちぐうを得ているゴーダム家、そのゆかりの人物であることを示すものと、フォーチュネット騎士団所属の印であるもの。


 ふたつとも、ニコルが命よりも大切とするものだった。


 薔薇園への立ち入りの前に簡単な検査けんさを受け、ログトを先頭としてリルル、フィルフィナ、ニコルの順に会場に進む。

 南方の海から吹き付けてくる緩やかな風に、薔薇の香りが流され――それがほのかに、鼻孔びこうをくすぐった。


「……あの事件の発端ほったんも、ここのようなものだったわ……」


 リルルの脳裏のうりに、一ヶ月半前の嫌な事件が想起そうきされる。


 そんな回想も、ログトたちの一行が会場に足をみ入れた瞬間、霧散むさんした。


「まぁ!」


 各々おのおの着飾きかざった、今日こんにちに至るまでの様々な苦難くなん困難こんなん回避かいひして本日のこの日をむかえることのできた貴族たちが、ログトたちを視界に入れた途端、その声をねさせたのだ。


「あらあら、今回の主役のお出ましですわ!」

「ほう、これがうわさの!」


 そんな声が飛ぶたび、今まで弾んでいた会話が中断され、喜色きしょくまった笑みが波のように伝わっていく。

 一斉に向けられた視線を受け、リルルの心臓が文字通りに一度、上下左右に揺れた。


「え、え、ええ?」


 津波のように笑顔の群衆が押し寄せてくる。まさか背を向けて逃げ出すこともできず、リルルはその場に踏みとどまりながらも、体は後ろにかたむいていた。


「いやあ、お目にかかるのを楽しみにしていたよ!」

「まあ――本当にお可愛かわいらしい! 評判の通りですわ!」

「あ――わ、わわわ、わたくし――――」


 それでもなけなしの勇気を振りしぼり、姿勢を前にかたむけ直したリルルは、片足を引いてスカートのすそをつまんだ。


「み、皆々様みなみなさま、お初にお目にかかります。わたくし、リルル・ヴィン・フォーチュネットと――」

「君の活躍かつやくは噂に聞いているよ――ニコル君・・・・!」


 一世一代のカーテシーを披露したリルルの脇を、鉄砲水のようになった人々の流れは通り過ぎていき、その直撃をニコルが受けた。

 スカートを広げて身をかがめ、顔に笑みを貼り付けたまま、リルルはこおり付いた。それ以外になにもできなかった。


「あ、あの、じ、自分は――」

「ニコル・アーダディス君!」


 抵抗のすべなく、薔薇が咲き誇る壁に押しやられたニコルを、数百人――それ以上が包囲していた。誰に挨拶をしていいのか少年の頭は混乱するだけだったが、どうやら挨拶をする必要すらないようだった。


「今まで皆が皆、君の話をしていたのだ! 『竜』についての顛末てんまつは聞いている! 君のような勇敢な騎士の顔をじかおがめるとは、これは、光栄のいたりだ!」

「どことなく女の子のような、たおやかささがあるお顔なのに、とても勇気があるのですねぇ。私たち、顔を合わせる度に、貴方あなたのことで話題が持ちきりなのですよ」

すさまじい働きをしたのに、まるでそれに拘泥こうでいせず、他の人間にも手柄てがらを分けてやれるという心の広さ、感服したものだ。いや、我々もわかっている。君の功績が、公式に記録できるようなものではないということが」

「だからこそ、語り甲斐がいがあるというものなのだよ。君はすでに生ける伝説――金色の風の騎士として記憶されているからね。さあ、こちらで君をたたえさせてくれたまえ。我々はこの日が楽しみで楽しみで仕方なくてねぇ……」

「あ、あの、その、じ、自分は――――」


 公爵から男爵まで、それぞれの人物の爵位など確認するひまもなく、誰に反論したらいいのかもわからない混乱の極地きょくちにあるニコルはそのまま、人の波に押し流されていった。


「――お嬢様、そろそろやめてもいいですよ」

「…………」


 津波の来襲から取り残されたリルルは、のろいから解放されるように姿勢を正した。とらわれのニコルの姿はすではるか遠くにあり、満面の笑顔で彼を取り囲んだ貴族たちの主菜メインディッシュとしてささげられているような姿が、うっすらと観測された。


 一時間ったとしても、解放される気配はなさそうだった。


「――ど……どうせ、私なんて、私なんて、所詮しょせん『おさかな令嬢』なのよ。ふん、私この呼び名、気に入ってるもの、可愛くて」


 所々にしつらえられた円卓えんたくに歩み寄り、軽食とグラスが所狭ところせましと並べられる中にリルルは手を突っ込む。グラスのひとつを取ってそれを一気にあおり、のどを焼いていくような痛みに顔をしかめた。


 初めての飲酒だった。


「お嬢様!」

「なによ! 私は飲むわよ! 成人なんだしこの園遊会の費用の大半はお父様が出しているもの! 私には、飲む義務と、飲む資格と、飲む権利があるのよ!」

「わたしにもください」

「ん」


 フィルフィナもリルルの隣に並び、うす琥珀こはく色の液体を一口で飲みした。


「リ、リルル、私はニコルを取り返してくる。このままじゃ体裁ていさいがつかん」

「無駄だと思うけれど。いってらっしゃい」


 娘に冷たくいい放たれ、海神かいじんに無理矢理ささげさせられた生贄いけにえを取り戻そうとする無謀むぼう漁師りょうしのように、ログトがけ出していった。


「――そもそも私、こんな園遊会なんか興味ないもの。私も貴族だけど、本当は貴族なんか嫌いだもの」


 三つ目のグラスを取る。少しばかりの量しか入ってはいないが、またもリルルはそれを一口でけた。周囲に人っ子一人いないからできる蛮行ばんこうだった。


「どいつもこいつも、気位きぐらいばっかり高くて、人のこと見下みくだしてくれて、嫌い嫌い嫌いよ。特に公爵令嬢なんか最悪だもの。学校に通ってた間、どれだけいじめられたか――」

「――あら、では、私のこともお嫌いなのですか?」

「は?」


 背中にかけられた少女の声に、早くも微かに酔いが回ってきた顔でリルルは振り向いた。

 亜麻色あまいろの髪を背中へとまっすぐに流した少女が、微笑ほほえみを浮かべてそこに立っていた。

 光沢をたたえた薄い水色のワンピースドレスは簡素な意匠デザインだが、少女自身が持つ美しさを邪魔していない。


 どなた? と反射的にリルルはいいかけたが、忍び寄るように傍らについたフィルフィナが、リルルの腰の一点ツボを後ろから親指で押した。押された反射運動で、リルルの頭が強制的に前に倒れる。


「初めまして、リルル・ヴィン・フォーチュネット様」


 型もなにもあったものではないリルルの礼に、その少女は好意しか伝わらない笑みをさらにひとつくずし、優雅ゆうがとしか形容できない華やかな所作しょさで、片足を引いてスカートのすそを広げた。


 体をかがめた彼女の肩口の少し下に、リルルはひとつの徽章きしょうを認め――


「――――あ!」


 認めた途端に、その酔いの気配が吹き飛んだ。


 五角形の台座。

 左を向いている有翼ゆうよく獅子ししの紋章。

 ――今しがた連れさらわれたニコル、彼のえりに輝いていたのと、全く同じもの。


わたくし、父たるゴーダム公爵の一子、サフィーナ・ヴィン・ゴーダムと申します。――そして」


 少女の姿勢が元に戻る。その小首がわずかにかしげられ、必殺の台詞せりふが勝利の微笑みと共にり出された。


「ニコルの元婚約者の、公爵令嬢ですの」

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