「葬列・その四」

 コナスのひつぎを先頭にいただく葬列は続く。

 共同墓地――といっても、全ての死者が同じ墓地に葬られるわけではない。

 王都の人間たちに身分差があるように、墓地も階層によって分けられていた。


 王族のみが眠ることを許される、りょう

 貴族がほうむられる、貴族用の共同墓地。

 平民が葬られることを許された共同墓地。


 建前としてはこの三つのはずだったが、より正確には、後者はさらに二つに分けられる。

 裕福な平民が葬られる墓地と、そうでない者のための墓地。

 そして、葬られることも表にはばかられる者のための墓地もまた――存在する。


 ベクトラル伯爵の亡骸なきがらを運ぶ馬車が目指したのは、貴族のための墓地ではなかった。

 裕福な平民が眠ることを許された高級墓地に、その馬首は巡らされた。



   ◇   ◇   ◇



「――よし、間に合ってた・・・・・・な!」


 その墓標を目にした瞬間、『葬儀屋』が歓喜の声を上げていた。この葬儀の主催しゅさいとでもいうべき彼がそれを目にして、一番興奮していたかも知れない。

 台車にせられたひつぎを押してきた参列者の一同も、その大きな墓標を前にし、おどろきのあまりにその目を丸くしていた。


「いやあ、こいつが間に合っていたかどうか心配だったんだ! 半日で設計デザインして、突貫とっかんで作らせたからな! 他の仕事後回しにさせるのに札束で引っぱたかないといけなかったんだよ――伯爵のやつ、死ぬんだったらもう少し前にいってくれっていうんだ。苦労したぜ」


 それは、巨大な薔薇バラかたどった墓標だった。

 いや、薔薇の姿そのものではない。薔薇を象った帽子、というのがより正しい表現だった。

 ――それは、つまり。


「リロットの帽子ぼうし……!?」


 リルルが口から飛び出しそうになったその言葉を辛うじて飲み込んだ。

 いや、出してしまっても許されないものではなかったが、それでも気恥ずかしさというか、気まずいものがあるのも確かだった。なにより――自分からいちばん離れた所にいるニコルに、それは聞かれたくなかった。


「あんたが眠る墓の石はどんな形がいいか、まあ、リロットをそのまんまってもらおうともチラッとは考えたんだけれど、それは場をわきまえてだな――リロット、というかリルルちゃんの像をここに置くのもあれだしな」


 その判断については、リルルは本当に胸をで下ろした。

 快傑令嬢のドレス姿にふんした自分の像がこんなところに墓標として建てられれば、明日からどんな顔をして生きていけばいいのか。


「よってこれを採用としたんだ。どうだおい、一目でどういうのかわかんだろ。いいよなぁ、俺も死んだらこの墓に入れてもらおうかなぁ。俺は火葬かそうで、骨だけでもいいからさぁ。実際かなり赤字なんだが、ま、それは俺からの友情ってことで、な」


 直径二メルト弱の円形に近い墓標。さすがに真っ赤には塗られてはいなかったが、どこから見つけてきたのか赤い大理石を使っており、『リロットの帽子』にそれは色もかなり似せている。

 この墓地に足を踏み入れた瞬間、すぐに目で見つけられるような異様いよう――威容いようをそれはほこっていた。


墓碑ぼひいきじゃねぇか。『快傑令嬢リロット同好会初代会長・伯爵、ここに眠る』――ってか。……あんた、心底この会に入れ込んでくれてたんだな」


 それも遺書に書かれていたのだろうか。だが、確かめなくともリルルにはわかる。コナスなら、ベクトラル伯としてほうむられるよりも、そちらを選ぶだろうと。


「――それじゃ、始めるか」


 棺よりもひとまわり大きく、深い長方形の穴――墓の前に掘られたその穴の前に、棺は降ろされた。棺を穴に収め、土をかぶせて全て埋めてしまうことで、この葬儀そうぎは完結する。

 その棺の窓、頭がのぞける扉が開かれた。相変わらず、その満足とした表情をゆるめもしないコナスの顔がそこにあった。


 暗い空がぐずつき出している。雨の気配が空気を湿しめらせている。降り出すまでに、時間はさほどないようだった。それを察した参列者たちが列を作り、棺の中の故人に、最後の挨拶あいさつを告げていった。


旦那様だんなさま、大変お世話になりました。私たちメイド一同、そちらに参りましたら、今度こそ最後までお仕えしたいと存じます――お呼びいただけることを、心待ちにしております……」


 肩を並べたメイドたち五人が、それぞれそっとコナスの顔に手を触れ、離す。

 それと入れ替わるように側に立ったニコルは顔を伏せ、なにかをいのっているようには見えたが、特になにも口にしなかった。

 コナスの顔に手を触れ、無言をつらぬき、そのまま離れていった。


 リルルが名前も覚えていない数人の参列者がそれに続き、同好会の三人がひとまとまりになって棺の前に立った。


「あばよ、伯爵」

「さらばでござる」

「伯爵、向こうでは少しはせるなりよ」


 リルルとフィルフィナは、最後だった。

 リルルは喪服もふくの黒い手袋ごしにコナスの頬をそっとでた。運命の歯車のみ具合次第では、自分の夫となるはずだった男性の顔をリルルは触感で確かめる――冷たい。


 それでも、その笑みにいろどられた死に顔は、あたたかだった。今にも目が開いて語り出してきたもおかしくない、そんな感じしかしなかった。


「コナス様、さようなら……」

「貴方様のご献身けんしん、このフィルの胸にきざませていただきました。お安らかに……」


 二人が離れたのを確認し、『葬儀屋』が棺の窓を閉めた。ふたの合わせ目を粘着紙で厳重に密閉みっぺいし、その上蓋の周囲をくぎで打ち付けて固定していく。

 十分ほどの作業を、参列者たちは無言で見守っていた。


「――それではみなさん、お手数ですが、棺を下ろすのにご助力をお願いいたします」


 進行役らしく発せられた『葬儀屋』の言葉に従い、棺の下に通された数本のつなの端を参列者が手にする。男手がそれを担当するのが常だったが、コナスのメイドたちは率先そっせんしてそれに加わった。


「これが、現世において最後に旦那様のためにさせていただける仕事でございます。是非ぜひとも……


 フィルフィナもそれに加わる。その小さな体格を気にするような視線に「わたしは意外に力持ちですから」と小さくいって綱の端を持つ。フィルフィナの背中についたリルルも申し訳程度にその端をにぎった。


「――――」


 リルルが握る綱の反対側の端を持っているのは、ニコルだった。

 リルルがかぶる黒い帽子の広いつば、前かららされたヴェールで、向こうにいるニコルの顔はよく見えなかった。ニコル自身も、つとめて顔をせるようにしていた。

 目線を合わせるまい、という意思だけがうかがえた。


 今のリルルの心に、そんなことを悲しんでいる隙間すきまは、なかった。


「――それでは」


 一斉に綱が引っ張られる。それに支えられた、棺がわずかに浮いた。


「やっぱり重いな……死ぬ前にちょっと痩せて欲しかったな」

「棺にいろいろ入れるからなりよ」


 穴の上に運ばれた棺が慎重しんちょうに下ろされる。参列者の肌に汗が浮き始めたころ、深さ一メルト弱の穴に棺はなんとか安置された。

 綱が引かれ、抜かれた。


「みなさん、これで棺に土をかけてください。それで葬儀は終了でございます。本日は、おいそがしいところを、まことにありがとうございました」


 申し訳程度に少しの土が入れられた小さなますが『葬儀屋』の手により、参列者に手渡される。それが一人一人順番に穴の中にかれると、棺の蓋がわずかに汚れていった。


 リルルもフィルフィナもそれにならう。それがコナスに直接してやれる最後のことだと思うと、心に寒風が吹き込む想いだった。


「三人で、ゆっくりお茶などしたかったですね……」


 フィルフィナのつぶやきにリルルは答えられなかった。

 自分たちには、そんな機会さえなかった。

 たったそれだけのこともできなかった。


 それもまた人のえんなのか、と思うと、心の中心に亀裂が走るような痛みを覚える。――痛すぎて、涙も出ない。


 参列者が離れていく中、元メイドたちの五人、そしてリルルとフィルフィナ、そして――遠くにニコルが残る。

 同好会の三人も残り、穴の側にうずたかく積まれた土を穴の中に戻すべく、大ぶりのシャベルを握ってそこにいた。


 全員が、棺が完全にめられるまでは帰らない覚悟だった。


「――んじゃ、埋めるぞ」


 土の山に突き立てられたシャベルが、土をすくって穴の中に戻し始める。シャベルを握る三人は、なにも言葉を発さない。その顔から表情を隠し、もくして腕だけを動かす。


 土がかれる音が鳴る度に、なにかが張り詰めていく――少しずつ、少しずつだが、確実に。


 まるで、宙づりになった自分を支えている命綱が、ゆっくりと切れそうになっていくのを目の当たりにしているような、奇妙な緊張の高まりが。


 土が投げ入れられる度に、棺が姿を隠していく。まだ蓋の色が見えている――それも、もうすぐ見えなくなるだろう。ただ、土を戻し続ける三人は、自分たちでも気づいていなかったかも知れない。


 敢えて、棺の蓋に土をかけないようにしていることを。


 だが、そんなことにも限界はある。徐々に、少しずつ、棺の色が見えなくなっていく。

 だから、臨界りんかいは、遠からず来た。

 最初に耐えきれなくなったのは、この場で最も冷静さを保とうとしていた、『葬儀屋』だった。


「……やめろ!!」


 その突然の怒声どせいに、『探し物屋』と『本屋』の二人が、おびえたように顔を上げて手を止めた。

 一同の驚いた視線の集中を受ける中、シャベルを投げ捨てた『葬儀屋』が、穴の中に飛び込んだ。

 穴と棺の間にあるわずかな隙間すきまに体を投げ入れ、棺にかかった土を、素手で猛然もうぜんと払い始めた。


「いい加減にしろよ、この野郎!」


 ののしるように叫び、自分の喪服が土に汚れるのもいとわず、くるったように手を動かして棺をぬぐい続ける。その『探し物屋』の鬼気迫ききせまる表情に、リルルは息をするのも忘れた。


『葬儀屋』が怒鳴どなりつけている相手は、誰でもない――『棺』だった。


手前てめェ、いつまで冗談やってるんだ! わかってるんだよ! 本当は、死んでなんかないんだろ! 手前ェみたいな分厚いデブが、刺されたくらいで死ぬわけないだろうが! いつまで死んだフリしてやがるんだ! 本当に埋めちまうぞ!!」


 顔を見合わせていた『探し物屋』と『本屋』もそれぞれにシャベルを捨て、穴の中に飛び込んだ。

 リルルたちが言葉を失って見守る中、三人は、自分たちの服を布代わりにして棺の蓋にかぶせられた土を拭い続けた。


「僕たちはいつまでも仲間だ、なんていってたじゃねぇか! こんなに早く死ぬとわかってたらなぁ、仲間になんかしなかったんだよ! ……なんでこんなに早く死ぬんだよ! 話がちがうだろうが!!」


 喪服を土まみれにした『葬儀屋』が棺に覆い被さり、すがりついて泣き始める。それに涙のつつみを突きくずされたのか、残りの二人も体裁ていさいもなにもかも投げ捨てたように、あらん限りの感情をしぼるようにして、泣き声を上げ始めた。


「伯爵、さびしいなりよ……! どうして死んでしまったりするなりか…………!!」

「今すぐ生き返ってほしいでござるよ…………!!」


 五人のメイドたちがすすり泣く声がその慟哭どうこくに混じり、フィルフィナさえもその目にハンカチを当てた。ニコルは無言のまま背を向け、無限に続く悲痛な声の連なりにリルルは、心臓を鉄線で絞め上げられるような息苦しさに、両手で胸を押さえた。


「うう……!」


 それ以上、その場にいられるはずもなかった。息もできないような苦しさからのがれるため、リルルは走った。


 墓の間をうように走り、泣き声が届かない場所にまで出る。広い池の側に設置された長椅子に手をつき、口を開くと、ようやくまともに息ができた。


「はぁ……はあっ、はあっ、はああ……!」


 涙が出ないのが不思議だった。泣きたいのに涙が湧いてこない。

 力なく長椅子に座り込む。一度それに体重を預けてしまうと、もう二度と動けなくなってしまったような錯覚にとらわれた。


 頭の中を本当に空白にし、その長椅子に座ったまま、時が過ぎるに任せる。

 時間の経過さえも感じられなくなったリルルの思考を動かしたのは、かけられた一つの声だった。


「――リルル」


 機械仕掛けのように視線を上げて――リルルは、この時、初めて気が付いていた。

 この場にいても当然のその人物が、今の今までいなかったことに。

 その人物を視界の中心に収めて、リルルは、奇妙な音にのどを鳴らした。


「あは…………」


 今まで存在さえも頭から抜け落ちていたことが、リルルを微かに笑わせた。おかしかった。


「探したぞ。よもやと思ったが、まさか・・・、こんな所にいるとは」


 少女の目の前に立っている、喪服も着ていないその人物。

 リルルの父親――ログト・ヴィン・フォーチュネット伯爵が、そこにいた。

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