「轟声」

 しおの香りをまとった緩やかな浜風に吹かれる少女、フィルフィナが静かにのぞむ海は、穏やかにいでいた。

 数分後には沸騰ふっとうする運命も知らないように、いつもの波頭なみがしらも立たない静かな海が、エルフの少女の目の前にあった。


 ただ、その埋立地うめたてちに立つ数百人のものたちの中で、そのエルフの少女だけが全てをっていた。

 南の沖合、数カロメルト、海の真ん中にぽっかりといている、『穴』。

 海に穴が開き続けている――そんなあり得ない現象が目の前にあるわけだが、今は、そんなことを問題にしているひまはなかった。


「――お嬢様は、竜を停止できなかった、か……。……ですが、お嬢様、よくがんばられました。フィルにはわかります。お嬢様がフィルにつなげてくださったこと。あとは、フィルをご信頼下さい」


 海と同じくらい、埋立地も静かだった。革鎧を着た数百人の兵士たちがそれぞれの持ち場に着き、突堤の先端に立ってその白いエプロンを緑の髪を、穏やかに吹いてくる風になびかせている少女を、不安げな目で見守っていた。


 フィルフィナは、自分の両の手ににぎられているふたつのものを、もう一度確認した。

 持ち手は短く、しかし広い四角の旗。


 右手には赤、左手には黄色の二枚。


 遠目にも色と形がはっきりとわかるくらいに、それは大きい。空と海の青さには決して溶け込まないだろう。


 それが、フィルフィナの――いや、フィルフィナとリルルが手に持てる、最後にして・・・・・究極の武器・・・・・だった。


「――フィルはお嬢様を信じ、お嬢様に信じられます。いつも、ふたりで信じ合います。――お任せを」


 風の中、フィルフィナは静かに目を閉じた。

 そちらの方が、よく見えるからだ。



   ◇   ◇   ◇



「ふ……ふふ……」


 玉座の肘掛ひじかけにしがみつくようにして座るカデルの腹の傷は、徐々じょじょにではあるが、ふさがりつつあった。魔の眷属けんぞくの力を得た体だ。純粋な魔の者には及ばないかも知れないが、それでも人間とは比較ひかくにならない力を持つ。


 リルルを放り出し、閉じた窓――城塞竜の目の位置にある大きな窓は、その内側に竜が視認する光景を映し出していた。外の世界からの光、明るい陽光が玉座の間にうっすらと差し込んできている。秒を重ねるにつれて、それはますます明るさを増していく。


「陽の……光か……」


 カデルは懐かしいものを見るように――いや、懐かしいものとしてそれを肌に感じていた。

 三十余年前、ヴォルテール家の全てが暗い森の中に閉じ込められて以来、まともにそれを浴びたことはなかった。いつも薄暗うすぐらい闇の中に自分はいた。


 それが今、本来の明るい世界に飛び出せるのだ。喜びしかない。


「――私から光をうばってきた者たちには、まぶしい光をくれてやる。私から奪ってきた分の、三十余年分の……いいや、それ以上の、熱く強烈な光を……」


 脂汗あぶらあせを額ににじませながら、カデルは笑った。その少年の意思が伝わって、竜がそのあごを半ばまで開ける。喉の奥が真っ白な光をはらみ、エネルギーの粒子が渦を巻くように踊った。


「この竜の威容をじっくり見せつけたいところだが、私も忙しい……その恐怖をゆっくり眺めている時間も惜しい。だから苦しまずに掃除してやろう」


 この竜の力を全開放して『光』を放出すれば、十二カロメルト四方、人口百六十万をようする王都を、一撃で更地さらちにするのは簡単だ。自分が死ぬこと、死んだことに気づかない市民たちも大勢いるだろう。


 幸運なことだ、と思う。


「……あの娘を、なぐさめる時間がほしいからな」


 地上と闇の世界をへだてる境界を突破するのに、もう二十秒とない。

 血と汗と傷にまみれてもなお美しい少女の姿を胸の中に想起させて、カデルは微笑びしょうした。この想いはいったいなんなのだろうと、そんな迷いさえも楽しく、口の中で小さく笑った。



   ◇   ◇   ◇



 少し強い風が、フィルフィナの額をでるようにその前髪を揺らした。それは天がくれた気付きと思えて、フィルフィナはその目を開いた。


「――来ますね」


 時がつながったのを確信して、少女は手に持つ旗を握りしめた。

 両方の旗を、両の腕を開くように勢いよく、真横に振った。


「五」


 次には、目の前で腕を交差させる。

 旗が風を叩き、音を立てる。


「――四」


 両腕を高々とげる。

 鮮やかな旗が風に大きくなびく。


「――さん」


 もう一度横まっすぐに腕を開く。

 赤と黄の色が鋭く舞う。


「――に」


 再び腕を交差した。

 数が減る度カウントダウンに、埋立地の緊張が張り詰めていく。

 もうすぐだった。


「――いち」


 両の腕が振り上げられた。その場にいる全員の心の引き金トリガーに、指がかかる。機が満ちる。次の旗の動きアクションを、固唾かたずを飲んで、待った。

 この街に住む全ての者たちの運命が、その旗に宿っていたからだ。


「――――――――」


 そんな、今のこの瞬間、最も重い意味を持つ旗を。

 ――フィルフィナは、全力で打ち下ろした。


ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――!!」


 すさまじいさけびと同時に、雷神らいじんさえも召喚しょうかんさせてしまえるような轟声ごうせいが、その場に存在する全てのものを震わせ、揺り動かし、そのしんを真ん中から突き動かした。


 埋立地を囲むように敷設ふせつされた軌道レール、それぞれの地点に配置された三門の列車砲・・・が、天をも砕かんとする雷鳴をとどろかせ、轟然ごうぜんえた。


 口径二十八セッチメルト、砲身長は二十一メルト。総重量二百二十トル、砲身重量八十五トルの、筒型をした文字通りの怪物。それがエルフのメイドの旗にしたがい、青白い発射閃光マズルフラッシュと真っ赤な火炎をき出し、二百五十五カロクラムという超重量の砲弾を吐き出したのだ。


 城塞竜が海に開いた穴から地上に飛び出したのは、確かに、砲声よりも、後だった・・・・


「なにぃ――――」


 カデルは見た。

 空のあおと海のあお――そして、竜の目が映す三つの砲弾を。

 その三つの漆黒しっこくの巨大な矢は、高速度で浮上する竜を待っていた・・・・・ようにして、そこにあった。


 カデルが、腰を浮かす間もなかった。

 この現在、世界で最も大きい砲弾が三発たばねられるようにして同時に、巨竜の頭部に食い込んだ。


 破滅はめつ的な破壊の嵐が吹き荒れ、吹きくるった。


 巨竜の頭が巨砲の直撃を、文字通りの真っ正面から浴び、爆発と火炎の狂乱きょうらんが幕を開けた。広大な玉座の間が一瞬にしてその半分を吹き飛ばされ、豪奢ごうしゃな調度の数々が薄菓子ウェハースのようにくだけ散る。


「ぐあぁぁっ!」


 世界が飛び上がったかのような振動に、固くえられた玉座の上でカデルの体が跳ねた。殴りつけるような勢いの爆風と無数の破片がその体を激しく打ったが、起爆に対し、太い柱の陰になっていたのが幸いした。厚い服が熱と飛来物の暴風を受けてズタズタに切り裂かれるが、即死そくしに至るほどのものはない。


 それでも、数え切れない破砕物はさいぶつに白い肌を切り刻まれ、数個は弾丸のようにカデルの体を深々と穿うがった。目の前で散弾を撃ち放たれたに等しい重傷だった。


 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォ――。


 列車砲の狙撃・・を浴びた竜がその頭の四分の一を吹き飛ばされ、苦痛にもだえるようにその身をよじり、える。天高く舞い上がるかという勢いが完全に死に、その巨体が揺らいだ。無機物の肉片をまき散らしながら巨竜が、自分が上がってきた穴の中に沈んで行く。


「く、ううう、ううう…………!」


 顔の半分を血にらしながら、カデルは床をって玉座にすがりついた。そのまま立とうとひざを上げようとするが、力が入らない。まるで子供が母親にしがみつくように玉座をつかむ、


「な……何故だ……。まるで、この竜が出てくる瞬間タイミングが、完全にわかっていたようだ……」


 大口径だいこうけいの列車砲の威力いりょくは確かに脅威きょういだ。しかし、山ほどの大きさもあるこの竜の胴体に食らっても、致命傷などにはなり得ないはず――全ての生物に共通して弱点である頭にならば、全く別の話になるが。


「なのに、頭に、私がここにいることを知っていたように、正確に当ててきた…………あんな大砲が、あの速度で動いている標的に、そう簡単に当てられるはずが……」


 ようやく体を引き上げ、全ての柱がぎ倒された今、その部屋において唯一立っているような玉座に座ろうとして――カデルは、気づいた。


「これは……」


 背もたれのクッションに、ほとんどもれるようにして突き刺さっているものに。


「……これは、あのリルルが、最後に投げた……!」


 外に放り出されて排除される直前、リルルが苦しまぎれに投げつけたカード。その端に穴が開けられ、穴に通された輪っかで、鈴が取り付けられていた。

 ――一つの輪で結びつけられている、金色と銀色に輝く二つの小さな鈴。


 カデルにはそれがなにかわかった。これは、鈴同士で相手の位置を把握はあくする、魔法の鈴だ!


「あ……あのリルルは、これを、私に向かって投げたのではなかったのか。私が執着しゅうちゃくする、この玉座に向かってこれを投げたのか……!」


 カデルはようやく悟った。自分がまだリルルをあなどっていたことを。彼女の最後の底力を。

 半分が破壊され、天井も壁も床も瓦礫がれきと化した玉座の間はすでに、外の様子は見通せない。が、この落下の感覚から竜が飛ぶ力を失って落下し、そして再び舞い上がることがないのが理解できた。


「……ふ、ふ……」


 少年の体が音を立てて玉座に落ちる。その色のない瞳が、打ちくだかれた玉座の間と、自らの野望の残骸ざんがいを見つめていた。


「ふ……ふ、ふ、ふふ、ふ…………」


 全ての運命の行き先は、もう、はっきりしていた。

 だからカデルはうつむいて、その肩を震わせた。


「ふ……ふふ、ふふ、はは、ははは、はははは……」


 声の震えが、弾けが上がって行く。半面を赤く汚した少年の顔が愉快ゆかいそうに、美しい造型ぞうけいくずした。


「ははは、はははは、はは、はははは、ははははははは…………!」


 なげきよりも絶望よりも先に、笑いがあった。笑うしかなかった。

 自分のたくらみは、成敗せいばいされたのだ。

 あのいつわりの王座を継承けいしょうし続けるおろかな王族どもに、ではない。

 たったひとりの、無力なはずの小娘の前に、完膚かんぷなきまでに、粉々こなこなに打ちくだかれたのだ。

 これが、笑わずにいられようか。


「ふははははは、ははははははは、ははははははははははは…………!!」


 カデルは笑い続けた。傷の痛みなどもう問題ではない。できれば、この愉快ゆかいさのまま死んでいきたいとさえ思った。



   ◇   ◇   ◇



「フィル……よくやってくれたわ!」


 地上に飛び出したはずの竜が、苦しみと痛みにその身をねじり悶絶もんぜつしながら落ちてくる様を、魔法のかさで空中にとどままり続けるリルルは見ていた。竜の頭はかなりの部分が吹き飛ばされてなくなっているのもわかった。


 その傷が致命傷であるかどうかはわからない。ただ、確認しておかなければならないことが二つあった。

 エルカリナ王族に伝えられ、あの竜を起動させた宝玉の一つである、『赤い瞳』の無事。

 そして、ここからはわからない、カデルの生死――。


 コナスの亡骸なきがらから外させてもらい、カデルの玉座に向かって投げつけた『双子の鈴』は、まだ反応を示している。玉座ごとそれが吹き飛んだ、ということでないのだとすれば、カデルもまた生きていると考えるのが自然だろう。


 確かめる。


「確かめないと、いけないの」


 リルルは思念しねんかさあやつる。翼を広げた姿勢のままゆっくりと落ちていく巨竜に、その針路を向けた。

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