「太陽よりも眩しい瞳」

『三つ子か…………』


 王妃の出産の報告を受けたエルカリナ国王の声に、喜びはなかった。

 待望たいぼうの男子の誕生。血筋を残すのが王国をべる主君の、第一のつとめ――。

 だが、王国が今までに直面したことのない事実が、国王の心を揺り動かしていた。


 王国の継承けいしょうを、未来をになう王子が、三人生まれた。それはまさに喜びそのものであるにちがいない。

 だが、重大な問題があった。


『陛下、この三人の王子のどなたをご嫡男ちゃくなんとされるか、ですが』

『――――』


 国王は即答そくとうできなかった。

 今までに前例がなかったからだ。

 双子の場合ならば、前例があった。先に母体から取り出された方が弟で、後から取り出された方が兄。『先に入ったのだから、後から出てくる方が先に生まれた方である』というのがその理屈だ。


 その風習は、庶民しょみんでも貴族でも、王族でも同じだった。不文律ふぶんりつのようなものだった。

 だが、三つ子という事態は――。


「どうするべきか」


 次男はすぐに決定した。二番目に取り出された王子が次男と定められ、成人したあかつきには、『ベクトラル』の名をかんする大公家が創設そうせつされることが決められた。


『問題は――』


 残り二人のうち、長兄が誰か、末弟が誰か。


『簡単なことだ。双子の際にも、後に出て来た赤子が兄となる。三つ子の場合も同じ理屈だ。最初に出て来た赤子が三男、最後に出て来た赤子が長男――これで問題はあるまい』


 重臣たちの討議では、そんな意見が多く出た。だが、公正を示そうと討議の場、時間をもうけたのがいけなかった。王子たちの序列じょれつを決める前に、その王子たちを教育するやくの貴族たちが任命されたのだ。


 重ね重ねも、悪手あくしゅだった。多くの者たちが、この先走りを後にやんだ。


 最初に生まれた王子の守り役となった貴族は、全力でとなえた。


『いや、それは双子の場合であるに過ぎない。我が国でも『三』という数字は幸運とされている数字である。それはこの王国に栄光あれという、まさに天意である。これは、腰をえて議論を深めなければならない。そもそも、開祖かいそ・ヴェルザラード公がご誕生たんじょうあそばされた、東の国では――――』


 近年、勢力の伸張しんちょうが目にあまるものとなった貴族、その発言力を弱めるため、第三王子になる公算が高い王子の守り役に任命したのが決定的にまずかった。様々な故事こじ逸話いつわ、果ては神話のたぐいまでを持ち出し、三つ子の最初に生まれ出たものを長兄にするのが如何いか賢明けんめいな選択であるのかをうったえたのだ。


 誰もその主張を論破ろんぱすることができず、議論が百日に届こうとする中、最終的な解決の方法が提案された。


『ここは、国王陛下の祖母であらせられる、太王太后たいこうたいごう陛下のご決裁けっさいあおぐことにしよう』


 当時、王都から遠く離れた地でやまいの身を休めていた太王太后の元に、使者が飛んだ。王族の中でも最長老である彼女の決裁なら、異論を唱えるものはいない――十日の日を置いて、回答の書面を持った使者が帰還した。


『最初に取り出された王子を、長兄とする』


 意外な決定に、重臣の多くたちはどよめいた。最後に取り出された王子が長兄であるという判断が下されるだろう、という予想がほとんどだったからだ。

 確認のための使者が派遣されたが、その使者がたどりつく前に太王太后はくなり、その意を確かめることは永遠にできなくなった。


 最後に取り出された王子には、『ヴォルテール』の名をかんする大公家の開祖となることが定められた。

 かくして、意外な逆転劇をて、現在のエルカリナ王族の血統が定められたのだ。

 しかし――。



   ◇   ◇   ◇



「全ていつわりだった!」


 玉座に座するカデルがさけんだ。

 冷静な印象を持つはずの少年がその白い顔に朱の色を垂らし、興奮の口調でいい放っていた。


「使者はその貴族に買収され、太王太后はすみやかに暗殺されたのだ! 太王太后は、我がヴォルテールの開祖を長兄と定めると周囲にらしていた! ……本来、エルカリナ王国をべるべきものが傍流ぼうりゅうに追いやられ、家臣の一人とされた……陰謀により、王の座は盗まれたのだ!」


 言葉が火炎の熱を帯びてき出される。二百年の間に積もりに積もった屈辱くつじょくが、それを生んでいた。


「娘、お前にはそれがわかるだろう。私がうそのひとつもついていないということを。我がヴォルテールの家こそが、このエルカリナ王国に君臨すべき、正統な血筋であると。お前たちがいただいている王が、偽り以外の何物でもないと」


 言葉の炎にあぶられるリルルはうつむいたまま、答えない。顔をせて肩を震わせているリルルを前にし、吐き出した言葉の量に少しの爽快そうかいを覚えたカデルは、笑みを浮かべる余裕さえあった。


「――理解をしたならば、私に従うのだ。賢明なお前ならばわかる話だ。どうせ、愚民ぐみんどもには伝わらんだろうが……」


 事実は語られた。自分こそが正統であることは示された。

 目の前の娘もそれを理解し、自分を真実の王としてその威光いこうの前にひれ伏し、従うだろう。


 自分は王なのだ。この国を、この世界の頂点に君臨し、全てのものを遠き高みから睥睨へいげいするに相応ふさわしい存在なのだ。


 そして、自分は、この娘と――。


「――――はは」


 少女のねるような息づかいに、カデルの注意が向いた。明確な違和感いわかんがあった。


「――あは、あはは……」

「娘……?」


 カデルの胸に、飲むべき清水にどろを混ぜられたような不快感――いや、絶望にも似た予感がうずを巻いた。


「あはは、あははは……」


 違和感が確信に変わる。その肩は恐れのために震えているのではない――笑って・・・いるのだ。


「あははは、あはは、あはははははははは――――!」


 少女の笑いが嵐のようにふくれ上がる。くるったか、と本気でカデルが目を見張り、その場で腹を抱えるようにして全身を震わせ、声を上げ続ける少女を前にして、完全にされていた。


「はははは、はは、はははははは…………」


 荒れ狂った波が最高潮さいこうちょうを超え、静まっていく。が、少女の肩の震えは止まらない、続いている。


「はは、は、は――――」


 笑い声が途絶とだえる。静かな間が横たわる。その沈黙ちんもくの間、カデルの胸には、表と裏から巨大な万力まんりき圧迫あっぱくされているような、強烈な不安感しかなかった。


「――それで……」


 音にもならない小さなふくみ笑いが、口の中で何分間、続いただろうか。

 ――そして、少女の笑みに彩られたくちびるが、動いた。


「――それだけ・・・・?」


 カデルの心に、天が地にちてきたような衝撃があった。


「な……に……」

「――――たった、それだけ・・・・・・・・のことなの?」


 カデルがおびえた。

 玉座に座していなければ、その場から後ずさっていたかも知れなかった。


「――たった……たった……」


 リルルの顔がわずかに上がる。

 のぞいた上目遣うわめづかいの目が、闇を切り裂くほどのすさまじい光を放っていた。


「――たったそれだけ・・・・・・・の下らない・・・・・ことで、コナス様は死ななければならなかったの!?」


 少女が、気炎きえんを吐きながら顔を上げた。愛らしいはずの顔が怒りに強張こわばりきり、そのアイスブルーの瞳の中に、これ以上燃えようがないほどの青白い業火ごうかが宿っていた。


「――そんな、二百年も前のカビが生えたような話のために、こんなに大勢の人たちが傷つかなければならなかったの!?」


 青い光に輝くレイピアが振られる。まばゆすぎる強烈な閃光が残光をいて、おうぎの形を目にきざんだ。


「――――冗談じゃないわ!!」


 顔を上げる力さえ残っていなかったはずの少女が、自分の脚だけで立ち上がる。自らの闘志の炎で全身を燃え上がらせ、命のたけりの余波を、目に見えるのではないかという勢いで放出していた。


「私に、私たちに、なんの関係のない話じゃない!! ――今を生きる私たちには、国王が正統かどうかなんて、問題じゃない! 今が平和なら、それでいい! そんなことはね、関わりのある人だけで解決すればいい話なのよ!」


 誰にも説明をつけられない力に支えられて、リルルがその場に立つ。

 それは借り物の力でもなんでもない。少女のたましいの力、そのものの顕現けんげんだった。


「……コナス様は、王の座なんて全然欲していなかった! あの人は、自分らしく生きたいと思っていただけなのよ! それをみんな、みんな、あなたたちが台無しにした! 許せない――許さないわ! 私は絶対に許さない! 許してなるものですかぁっ!!」

「――――」


 カデルが口を開くが、リルルが発する怒りの暴風の前にそれは吹き飛ばされた。絶句する孤独こどくな王がそこにいるだけだった。


「私は頭がよくないから、難しい話はわからないわ――でも、わかることが、たったひとつだけある! それはね……あなたが、王の座にはいちばん相応ふさわしくないということだけよ!!」


 言葉のムチがカデルを打ちえ、叩きのめす。脳天を打った無形の打撃に、カデルが奥歯をみしめ、目をいた。言葉を探すが見つからない。思考が空転していた。


「む……娘、いうに、事欠ことかいて……」

「謝りなさい! コナス様に、あなたたちが傷つけた全ての人に、心から謝るのよ!! そしてこの竜を停止させなさい! 『赤い瞳』を持っているのでしょう!」


 カデルが反射的に左腕を動かし、リルルの目はそれを見逃さなかった。カデルが隠すように腕を乗せた玉座の肘掛ひじかけ、そこに眼球ほどの大きさをした二つの宝玉がはまっていた。

 ひとつは赤い色、もうひとつは、闇を煮詰につめたような黒くにごった色を渦巻かせる色――。


「赤い方は本物、黒い方は偽物にせものね……そこを退くのよ! 嫌だといっても、押し通すわ!」

「……じ……自分が優位に立っていると思い込んでいるようだが、私とお前、その実力差がどれだけ開いているのか、よく理解していないようだな……」

「力の差がどうだろうと、あなたが勝つなんていうことは絶対にない! 私が正しいからじゃない――あなたはね、あなた自身のあやまちによって、自らほろびるのよ!」


 リルルが、腰のさやに剣を納めた。その瞳の輝きの力は変わらない。ただ、全ての決着を着ける前にやっておかねばならないことがあった。


「――失礼いたしました。まだご挨拶あいさつが終わっていなかったと思うわ……。遅ればせながらですけれど、ここでさせていただきます。この機をのがせば、もう機会はないと思いますので!」


 すっと片足を引き、リルルは膝を軽く曲げた。上体が傾き、すり切れ、切り裂かれてざんばらに乱れるようになったすその端が、少女の手によってつままれる。


「お見知りおきを願います――私の名は、王都の風に聞こえる快傑令嬢リロット! そして!」


 両の腕が、鳥の翼のように広げられる。血と汗に汚れた薄桃色のドレスでも、豊かに広げられたそれには美しさしかなかった。少女の心が、信念が、魂が発する美が、架空かくうの玉座の間に、燦然さんぜんと輝きを放っていた。


「その真の名は、フォーチュネット伯爵が一人娘、リルル・ヴィン・フォーチュネットでございます!

 ――ヴォルテール男爵様! あなたのたくらみを、今、ここに! リルルとリロットのふたつの名において! ――成敗させていただきます!」


 あざやかなカーテシーを披露ひろうした傷だらけの少女が、上目遣いのその瞳を太陽よりも強く燃やしている。それは、全ての偽りを消し去るに十分な光をたたえていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る