「王城直下の大迷宮」

 王都エルカリナは地下迷宮ダンジョンの上に存在している。

 リルルとフィルフィナは以前、ラミアの女性・シーファと共にニコルを救い出すべく、下水道網げすいどうもうとなっている地下に突入した時そんな感想を抱いた。


 今は、その認識が改められていた。

 王都エルカリナは、地下迷宮の上に存在しているのではない。

 魔王の大迷宮・・・・・・の上に存在しているのだ。


「これは……また……もう……」


 フィルフィナが感心したように――いや、完全に感心して周囲を見回していた。寸法すんぽうが正確に計られたコンクリートの四角材ブロックで積み上げられ、構成された天井、壁、床。


 うすぼんやりとした光をほぼ永久的に放つ蛍光石けいこうせきが一定の間隔かんかくめ込まれており、視界の確保には困らない。


 人が三人ほど横に並べばもう隙間すきまがないような細い通路だ。大人数で押し寄せれば、さぞかし滑稽こっけいな結果になったであろうことは想像にかたくない。びきった隊列の指揮がれず、その部分部分を横合いから攻撃されて悲惨ひさんなことになっていただろう。


 ひっきりなしに出てくる無数の分岐ぶんき、無数のわな――人を迷わせ、おとしいれようという、悪意に満ち満ちた装置が次々にきばいている。


 侵入してくる外敵を内部に引きずり込み、消化するようにほろぼそうという、悪意の空間。無数の魔物がいないのが不思議なくらいのその迷宮を、延々、延々と彷徨さまよう。


 ――いや、彷徨っているというのは、正確な表現ではなかった。


「ふん、ふふん、ふふふん、ふふ――ん」


 前進を開始してからというもの、首をひねり続けているリルルとフィルフィナの前に立って歩くコナスは、気楽な調子で曲名のわからない鼻歌を歌っていた。

 なんの歌なのかとリルルが聞くと、「作曲している途中の、快傑令嬢の主題曲なのさ」という答えが帰ってきて、リルルはそれ以上聞くのをやめた。


「ここ、曲がるよ。あ、そこは罠の発動があるから気をつけて。壁際を歩くんだ。それから壁にも触れないようにね。そうそう、床しか刺激しちゃダメだからね」


 迷宮――巨大な迷路であるはずのその空間をコナスは、一切迷うことなく歩き続ける。まるで頭の中に迷宮の全ての情報が詰まっているかのように。途中、百回以上も細かい指示がその口から出るが、二時間歩き続けて足が止まることはなかった。


「……コナス様、まさか、この迷宮に一度……?」

「来たことなんてないよ」


 コナスが返す。振り向きはしなかったが、口元に――緊張きんちょうがないのが見えるようだった。


「ただまあ、僕にはわかるんだ。いや、える、といった方がいいかも知れないな」

「視、える……?」


 意味がわからない。なにが視えるというのだろうか。


「おっと、ここの角を曲がれば、階段が見えてくるはずだよ」


 直角に曲がった曲がり角を折れると、予言通りに傾斜のきつい階段が現れた。

 階段の先をリルルはのぞき込む。何十段、あるいは何百段あるかわからない、はるか下の先にあるのは……。


「あれは……」


 少女の心にゾクッとした悪寒が冷たく刺さる。あの闇の感じは、リルルが見た覚えのあるものだ。そう、『結節の空間』の闇の気配と同質の……。


「いよいよ目的地ということか。迷宮は抜けたわけだ――ちょっと待ってね」


 コナスの足が止まりその手が水平に払われ、初めての停止の指示を出した。あまりにも順調に進む探索行たんさくこうに、休憩きゅうけいのひとつも取っていなかったことに今頃いまごろリルルは気づいた。


「ここからは、階段を下りるだけだ。もう罠もなさそうだし……そろそろいいかな」


 背中を見せながらコナスが何かをいじくる気配を見せる。フィルフィナが自然に前に立って警戒けいかいし、リルルも呼吸を合わせるように背後に気を配った。襲撃しゅうげきは一度も受けなかったが、ここから先もあり得ないという保証もない――。


「よいしょ、と」


 コナスがふところから何かを取り出し、それを顔につけるのにリルルは気づく。太めのひもを、フィルフィナが爪先立つまさきだちをして頭の後ろで結びつけた。


「ありがとうね」

「……コナス様、右目の調子が……?」

「ああ」


 振り向いたコナスが右目にしていたものに、リルルはわずかに声をねさせた――眼帯がんたいだ。


「僕の右目はまあ、ずっと昔からおかしいんだ。気にすることないんだよ。それよりも……ああ、これは君に渡しておいた方がいいね」


 覆面ふくめんかないフィルフィナに、コナスは紫色の巾着きんちゃく袋を渡した。


「君もあの女王陛下のお身内なら、これがなにかはわかるだろう?」

「……はい、母から聞いております」


 フィルフィナの手がその袋を受け取り、決して落ちないように懐に入れられる。


「リロットを補佐してあげてね。ここからの僕は役立たずだから。この下に下りたら大変なことになるんだろうな……」


 コナスの目がリルルに向けられた。いつもの柔和にゅうわな笑みがその顔に乗っている。


「他に手がなかったとはいえ、君たちをこんな所に引っ張り出さなくてはならなくなった自分の不明ふめいを、僕はじるよ。こんなこと、因縁いんねんのある者同士だけで解決しなければならないというのに、僕たち大人のていたらくときたら、もう……」

「コナス様……?」


 その目が遠い。リルルを見ているようで、遙か遠くを見ているように見える――。


「君たちには命をけさせることになるね……本当に申し訳がないよ。僕に君の半分も力があったなら、決してこんなことはさせないのに……おっと」


 自分の語りの調子に気づいたのか、コナスが乾いた笑いを小さく上げて頭をいた。


辛気しんきくさい話になってしまったかな。さあ、そろそろ進まないとね。時間はあんまりないんだ。早く、ヴォルテール男爵の野望をはばまないと――」

『――ベクトラル伯爵』


 リルルとフィルフィナ、コナスの歩み出した足が、止まった。


『残念だが、君の旅路はここまでだ』


 胃の全体がなまりに変わるような、腹の底を硬くする悪寒おかんにリルルは顔色を変え、同時に、ヒヤッとした軽い墜落感を足下に覚えた。足が地面についているのに、そこから落ちていく感じ――。


「危ない!」


 コナスの手がリルルとフィルフィナを強い力で突き飛ばした。


「あうっ!?」


 二人の体が投げ出されるようにつんのめり、突き飛ばしたコナスの体がその場で一段、落ちた・・・


「う、わ――――!」


 コナスの体が、ひざの上まで床に沈んでいた。底なし沼のようにコナスを引き込んでいるのは、いつの間にか現れていた、直径一メルトほどの円形の魔法陣まほうじん


「僕にかまうな! 早く、先に、先に――」


 リルルが、腕をばす間もなかった。二秒とかからずにコナスの体は魔法陣に飲み込まれて消え失せ、魔法陣もその平面に大きな波紋を打つと、床にみこむようにして消滅しょうめつする。


「コナス様! コナス様!」


 呼びかけが飛ぶ。――が、返事があるわけがない。聞こえるはずがない。


「……あの魔法陣で、どこかに転移させられましたね……」

「双子の鈴で、だいたいの方向はわかるはずよ! 助けにいきましょう!」

「なりません!」


 フィルフィナがリルルの手首をつかみ、首を激しく左右に振った。


「……目的の場所は目の前です。コナス様をさらっていったのは陽動ようどうほかなりません」

「だからって、コナス様を放っていくわけにはいかないでしょ!」

我慢がまんするのです!」


 リルルの声を押さえ込むように、フイルフィナがさけんだ。


「わからないのですか! 敵はわたしたちの時間を空費くうひさせようとしているのです! 救出に向かえば、いったい何時間かかるか! おおよその場所はわかったとしても、そこにたどりつくにはこの入り組んだ迷宮を突破しないといけないのですよ!」

「フィルはエルフだから、相手が人間だからそんなことがいえるのよ! 私はコナス様を見捨てては――」


 いい切らない内に、その旋風せんぷうはうなりを上げた。

 甲高かんだかかわいた音がリルルのほおで跳ねる。熱い感触に左の頬を打たれ、その衝撃で右に平衡バランスくずしたリルルの反対の頬に再び、熱い衝撃が走った。


「ぅっ!」


 目に見えないほどの速度でリルルの両の頬を打った平手打ち――二発目を右のこうで打ったフィルフィナの姿が、リルルの視界の中でにじみ出す。


「な……なにをするの! フィル!」

「取り消しなさいっ!」


 張り裂けるような一喝いっかつが、リルルに浴びせられた。


「リルル!! ――今いったことを、今すぐ取り消しなさい!」


 右手の構えを解かないフィルフィナが、うなり声を上げる寸前の猫のような眼を見せて、リルルをにらみつけていた。


「フィ…………フィル…………」


 その切れ長の印象を思わせる目の端に、大きな涙の粒が浮かんでいることに、リルルののどまった。

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