「そして、戦いの場へ」

「あら」


 扉を開けて姿を現したニコルにリルルが反応して腰を浮か――す前に、ウィルウィナが俊敏しゅんびんに立ち上がっていた。

 かぶとを脇に抱えて立つニコルに歩み寄り、その周囲をぐるぐると歩き回る。


「あら、あらあらあら」

「は、はい……?」


 全周三百六十度からじろじろと検分され、その居心地の悪さにニコルの爪先つまさきが伸びそうになる。


「あなた、ラミア列車の坊やじゃない。奇遇きぐうねぇ、こんにちは」

「あなたは、確か……朝と夕方、何回か列車で隣の席になった……」

「覚えていてくれたのね。光栄だわ」

「え――ええ。それはもう……いえ、なんでもありません。こんにちは」

「そうそう。すごい偶然ぐうぜんなのね。偶然が続きすぎて、まるで私があなたをつけ回しているみたいじゃない。他の人に知れたら誤解されちゃうわ」

「――――」


 静かな殺気を放ちながらフィルフィナが席を立ちかけたのを、リルルは反射的に手で押さえ込んだ。


「すみません、何度もお茶におさそいいただいたのに、いそがしくて機会がなく」

「いいのよ、いいの。今度時間ができたら、お姉さんとゆっくりお茶を付き合ってくださるかしら?」

「はい、その時には、是非」

「……誰がお姉さんですか、このオバンが」

「なにかいったかしら?」

「いえ、なにも」


 表情のない顔でフィルフィナが答える。そんな一連のやり取りを眺めていたコナスが、左手で自分のあごでながらいった。


「アーダディス准騎士とウィルウィナ女王陛下は、面識があるらしいな」

「はい、何度か、通勤時の車内でお顔を…………女王陛下?」


 ニコルの目が見開かれて、ウィルウィナを見返す。肩書きの響きと親しげに話しかけてくる人柄の差違ギャップに、目がまばたいていた。


「そう。女王陛下様なのよ、私は。ウィルウィナと申します。よろしくね?」

「……ニコル様」


 ウィルウィナの後ろからフィルフィナが顔を出す。黒ずくめ、目と耳しか見えていない装束しょうぞくでも、ニコルには中身がわかった。


「フィル、君もここに?」

「え? フィルちゃんとこの坊や、お知り合いなわけ? どういうご縁なの? 私は混ぜてもらえないの?」

「部外者はだまっていてもらえませんか」


 にらみ倒そうと視線のあつをかけるフィルフィナと、それをぬるぬるしたへびのようにすり抜ける、ウィルウィナの笑っている視線。自分に関心が向けられなくなったニコルがリルルの――快傑令嬢リロットの姿に気づいたのは、そんな頃合ころあいだった。


「――あ」


 すでにに立ち上がっている薄桃色のドレス姿に、ニコルの背が反射的にびる。深い水色に光るニコルの瞳の中で、快傑令嬢リロット――リルルの姿が揺らいだ。


「――リロット」

「ニコル……」


 無意識のうちにリルルが自分の胸に拳を置き、少年の呼びかけを受け止める。少年の瞳に映る自分を探すように、リルルはニコルの顔を静かに正視した。


「あら」


 二人が見つめ合う視線のぶつかり合い、触れ合い、絡み合いを見て、エルフの女王のほおよろこびの色が浮かんだ。


「あら、あら、あらあらあらあら、あら」


 二人の表情をのぞき込もうと動き回ろうとする母親の服の端を、フィルフィナがつかむ。それでも、無言で十数秒間を真剣な眼差まなざしで見つめ合った二人に、ウィルウィナはその年の功・・・で様々なことをさとったようだった。


「うふふふ……なるほどね、うふふ」

「なにをはしゃいでいるんですか……」


 みっともないから座りなさい、と娘に手を引っ張られてウィルウィナが席に着く中、リルルを無言で見つめていたニコルが言葉をつむいだ。


「リロット、君がここにいるということは……」

「アーダディス准騎士、彼女は今現在、余がまねいた客人である」


 続く言葉を断ち切るように、コナスが声をはさんだ。


「彼女には指名手配が下ってはいるが、それはしばらくの間効力を停止する。彼女はこの事態において協力の意を示してくれている。君が任務を遂行すいこうする必要は、ない」

「は……。大変失礼ですが、貴方様は……」

「余は本日、臨時国王代理に就任しゅうにんした、コナス・ヴィン・ベクトラル大公である。アーダディス准騎士、そなたの活躍は耳にしている。まことに大儀たいぎである」

「はっ!」

「准騎士からあやつられていた間のことを質問しようと思っていたのですが、予備質問では有益ゆうえきな情報は得られませんでした」


 今や、実務の全てを取り仕切る立場のシェルナ侯が発言した。


「ここで本人から聞いても時間の無駄でありましょう。それよりも、討伐とうばつ部隊の編成を早く……」

「そのことで、お願いの儀がございます!」


 ニコルが床を抜かんばかりの勢いで片膝をつく。いさぎよさしか伝わってこない動作に周囲の人間の心がひとつ、大きく揺れた。


「その討伐部隊に是非! 自分をお加えください! お願いいたします!」


 少年の頭が深くれられ、三倍は歳を取っているはずのシェルナ侯は若さを武器にしてぶつかってくる少年を前に、半ばたじたじになっていた。


「……アーダディス准騎士、貴公が優れた准騎士であることは聞いている。しかし今回は、国王直属の正規軍、正騎士から隊員を選抜する方針である。貴公は、王都の治安を維持いじする警備騎士団団員であり、身分も准騎士に過ぎない。こころざしは受け取るが、そなたの希望は……」

「そこを曲げて、どうかお願いいたします!」


 床をむ自分の爪先を視線でつらぬくような眼で、ニコルはこたえた。


「……自分が意識を失っていた間のことは、仲間から聞きました。仲間を、陛下につかえられる親衛隊の騎士殿を傷つけた責任は、全て、この身にあります!」

「その件で、貴公を非難する者などひとりもおらん。実際に傷を負った者たちからは、そなたの責任を追求しないでほしいという嘆願たんがんさえあった。そなたが気にむ必要などないのだ。だから……」

「自分の罪を決して許さない人間が、少なくとも一人、おります――それは、自分自身です!」


 決意に燃える少年の目が上げられた。


「――私のような者を息子と呼んでくださり、父と呼ぶことを許していただいたゴーダム公にいただいた、この有翼ゆうよく獅子しし徽章きしょう! いくらあやかしの術に操られていたとはいえ、この徽章をけがすような行いをしてしまったこと、そんな自分が許せません!」


 ニコルの左肩章けんしょうにつけられている五角形の徽章に、全員の目が集まる。ニコルの間矜持プライドの象徴である、翼を持った一頭の雄々おおしい獅子しし


 黄金の毛を輝かせ、翼を広げて空高く飛ぶ若き獅子の姿が、それぞれの脳裏のうりによみがえった。


「なにとぞ、この身に名誉挽回めいよばんかいの機会をお与えください! お願いいたします!」

「しかし……」

「――ニコルちゃん、だったかしら? お立ちなさいな」

「は、は――――」


 ウィルウィナのうながしにニコルが腰を上げた。


「シェルナ侯爵、この子をお借りしてもよろしいかしら?」

「は――は? 借りる、とは……」

「ニコルちゃん。エルフの女王としてあなたに要請ようせいいたします。――私のお茶に付き合いなさい。以上」

「は……お、お茶、ですか……?」

「この階下、貴賓室きひんしつがあるのよね。一室お借りいたします。それではニコルちゃん、行きましょう」

「え――ウ、ウィルウィナさま――」


 半ば、というか八割方引きずられるようにして、ニコルはウィルウィナと共に退室していった。


「フィ、フィル、ニコルが、ニコルが連れて行かれちゃった」

「ニコル様を危険な戦場に連れて行くよりは、マシでしょう。……別の意味で、危険かも知れませんが……」

「ではシェルナ侯、部隊の編成をお願いする。一時間で準備を整えたまえ。リロット殿、そしてエルフ殿、お二人にもご苦労をおかけする。客人をひかえのにお連れせよ。失礼のないように!」


 コナスが号令を飛ばすと同時に席を立つ。シェルナ侯があわただしく部屋を飛び出して行き、リルルとフィルフィナは衛兵に先導されて閣議室から出た。


「……そうね。ニコルを気にしていたら、戦いにくいしね」

「お嬢様。危険な戦いになります。気を引きめて。もしも危ないと思ったら、思い切りが大事になる時もあります。重々心がけてください」

「わ、わかってるわ……」


 思い切り――ようするに、危ないと思ったら手加減するな、ということだ。わかってる、と答えはしたが実際、自分に人を殺すかも知れない攻撃が、できるかどうか……。


「でも、自分が殺されるわけにもいかない……。そうよね……」

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