第三部「右手に勇気を、左手に希望を」

プロローグ

「巨頭閣議」

 エルカリナ王国の基本的な政治方針は、一人の宰相さいしょう、四人の副宰相による合議制ごうぎせいで決せられてきた。

 国王は提出された方針について承認しょうにんするかいなかの決裁けっさいをするが、よほどのことがなければ否決ひけつはない。エルカリナ王朝開闢かいびゃく以来の基本体制がこれである。


 任期が八年の副宰相職。連続の二期はない。それぞれが就任しゅうにん時期をずらすことで、二年に一度、一人が交替するようになっている。その候補の選抜せんばつは、国王もふくめた合議によって行われる。

 その副宰相が、だ。


「――副宰相の四人のうち、二人が失脚しっきゃくしたのが一人の小娘によるものだとか、笑い話かな?」


 前年、四十代前半という異例の若さで副宰相に抜擢ばってきされたオクセン侯爵はふくみ笑った。

 副宰相の一人であったゲルト侯爵が二週間前、反乱未遂みすいの罪にて逮捕され、全ての役職と爵位しゃくい剥奪はくだつされた。現在は投獄されている身だ。二ヶ月もすれば全ての裁判が終了して処刑、ということになるだろう。


 また、これも副宰相の一人であるエルズナー侯爵が、井戸に毒をいた息子の事件の責任を取って自ら役職を退しりぞき、家自体も子爵の位にまで落とされていた。復帰は無理だろう。


厄介やっかいな二人が勝手に消えてくれて助かる。あとはくたばりぞこないのじじいと、あの置物みたいなデカブツ――俺が宰相職に座るのも、時間の問題といったところだな……フフフ……」


 相次ぐ不祥事ふしょうじに交替する人材を検討することもままならず、政務を取り回すだけで精一杯の状況じょうきょうが続いている。

 そんな中でこの『異変』だった。

 王都の全体を、文字通り揺るがした不気味なうなり声が包み込み、海からは炎の色をした光の柱が突き上がった、原因不明の現象。


 夜も明けきらない早朝にも関わらず閣議かくぎ召集しょうしゅうが発令され、まだ布団の中で熟睡じゅくすいしていたオクセン侯は家来によってたたき起こされ、支度したくも早々に登城したのだ。


 王城の高層に位置する閣議室かくぎしつ。大きな窓からはバルコニーに出られ、そこからは南に向けての王都の姿が一望できる。今は全ての窓が開け放たれ、冷たい風が広い部屋の中に吹き込んでいた。


「――討議とうぎ、だって?」


 その風に吹かれながらオクセン侯は嘲笑あざわらう。たかが・・・おかしな声、おかしな光くらいで何故閣議が必要なのか。ただのつまらない自然現象だ。それが起こった仕組みなどは確かにわからないが、そんなものは学者に任せておけばいい。きっと何かしら理屈りくつをでっち上げることだろう。


 広いテーブルに四脚だけある椅子。下座しもざに座っているオクセン侯は正面を見る――一人の大柄な貴族が腕を組んで一言も発さず、ただ沈黙ちんもくしていた。


 瞑目めいもくしたまま微動びどうだにしないその侯爵――世間では『寡黙かもく侯爵』として知られるシェルナ侯爵。自ら意見を出すどころか発言することすらめったになく、多数決をる時に手を小さくげるか挙げないかというだけの男だ。


 五十代前半の冷静で精悍せいかんな風格のシェルナ侯に、どちらかというとせぎすで狡猾こうかつな印象を持たれるオクセン侯は小さな嫉妬しっとを覚えていた。何故、大して知恵もしぼらないこいつに人気があるのか、周囲は見た目だけで人物を判断する――おろかな連中だ。


「――副宰相は我等二人しかいないとして、肝心かんじんの宰相殿はどこにおわすのだ? 呼びつけておいて自分が参上しないというのは、納得がいかんなぁ」


 一度任命されれば、自ら辞任じにんを申し出るか国王に罷免ひめんされ――その罷免の了承においても副宰相の全会一致が必要だったが――ない限り無期限の任期を持つ宰相の姿が、ない。その宰相による緊急きんきゅう召集だというのにどういうことなのか。


 現在、外遊中がいゆうちゅうの国王は当然この場にはいない。異変の知らせがその耳にとどくまでどれだけの時間を必要とするか。見当もつかない。国王不在の今、大権たいけん委任いにんされているこの閣議で、全ての問題に当たらねばならないのだが……。


「遅れて申し訳ない」


 宰相、今年で八十の年齢よわいに達したイェズラム公爵が、乗った車椅子くるまいすを家臣に押されて姿を現した。抜けた髪の分、びたひげが真っ白い印象を与える高齢こうれいの老人。あらかじめ椅子がのぞかれている上座かみざに、車椅子のまま着く。


「イェズラム公爵、遅いではありませんか」

「すまぬな。昨日まで死にかけていたのだ」


 死にかけていた――かなりっている表現だろうが、その顔に生気のかけらもないのは一目でわかる。髭に隠れている顔は皮としわばかりで、枯れ木を想像させた。

 上体も車椅子の背もたれに深く沈み込ませ、その姿勢から少しも体を動かすことができなさそうだった。


「いくらか体調も……いや、戻ってはいないが無理を押さないといけぬ事態なのでな。こうして皆にも集まってもらい、私も参上した」

「頼みますから、その上座でお亡くなりにならないで下さいよ」


 シェルナ侯は椅子から立ち上がり、小さく頭を下げて礼を示したが、オクセン侯は椅子に座ったまませせら笑うようにいうだけだった。老人はさっさと去れ、とその顔に書いてある。体が激務げきむに耐えられないのなら代わってやろう。王国にとって百年ぶりの若い宰相の登場になるというものだ。


「心得ているが、万が一の時はお願いする、オクセン侯。さて、全員がそろったわけであるが……」


 全員――時には重要議題の時は臨席りんせきすることもある国王を入れれば、最大六人が参加する閣議が今は三人で全てだ。


「議題は、皆もご存じであるとは思うが、昨日の異変についてだ。……私はその異変については目撃はしていない。昏睡こんすい状態だったのでな。ただ、家臣から報告は受けた」

「おやおや。あれがそんなとんでもない現象だったというわけですか? なにか根拠こんきょはおありで?」

「今から説明する……お前たちは下がれ、この場は宰相と副宰相だけの場とする」


 車椅子を押してきたイェズラム公爵の家臣たちが、一礼して退出した。

 閣議室に残されたのは三人だけ――扉が閉ざされきったのを確認し、公爵は口を開いた。


「……今から話すことは、王族の方々以外では、宰相から次代の宰相に口伝くでんというかたちでしか伝えられないものだ。しかし、有事ゆうじにおいては副宰相にも共有ことが許されている」


 有事? オクセン侯の片眼がゆがめられた。こんなことが有事にあたるのか?


「両名とも、今から伝えることは口外こうがいはもちろん、私的な記録に残すのも禁ずる。良いかな?」

「またもったいぶられる。まあ、いいでしょう、拝聴はいちょうしましょう」

「――――」


 オクセン侯とシェルナ侯がそれぞれの流儀で了解を示した。そんな二人の反応を確かめてから、長く細い息をき、新しい空気を肺に入れて、イェズラム公は語り出した。


「では、心して聞いていただきたい。この、王都エルカリナの足元には――」


 数分後、派手な音を立てて閣議室の扉が開かれた。


「オクセン侯、どちらに行かれる?」


 視線を向けるのもしんどいという風に、イェズラム公の目は前に向けられただけだ。一応声はかけているが、もうそれ以上の関心もないようだった。


「わ……わ、私は、副宰相職を辞任させていただく!」


 オクセン侯のわめき声に近い声が上がる。今まで張り付いていた高慢こうまんな表情はがれ落ちていた。死相しそうが出ているイェズラム公よりもその顔は蒼白そうはくだった。大量の脂汗あぶらあせしずくとなって流れている。


「ほう、その理由は?」

「びょ――病気だ! これ以上、自分は職務しょくむまっとうすることができない!」

「先ほどまで、軽口をたたけるほどにお元気だったと思うが……まあ、それなら仕方がない。後日、正式にとどけを提出ていしゅつしたまえ。受理じゅりしよう。……念のために申し上げておくが、先ほどの話は辞任されたとしても」

「周りにいえるはずがない! い……いわないことは約束する! だから!」

「下がりたまえ。もう君に用はない」


 オクセン侯が悲鳴のような声を残し、閣議室から足をもつれさせながらけ出していった。一言も発さずにシェルナ侯が立ち上がり、開けっぱなしにされた扉を閉める。


「あの調子では、午前中にこの王都から逃げ出すな。シェルナ侯、貴公の体調は大丈夫かね?」


 岩のように表情を変えないシェルナ侯が小さくうなずく。


「それはよかった。君にまで体調不良になられれば、私の独裁どくさい体制……いや、国王陛下の独裁体制になるからな。私が途中で死ねば、君の独裁体制にもなるわけであるが……まあ、君の宰相職就任は確定したようなものだ。おめでとう」

「……少しもめでたくは思えませんな」


 この場に座ってから初めて、シェルナ侯が声を発した。


「あの若造も、野望の強さを買って副宰相職にしたのだが……根性はなかったようだ。私の眼鏡違めがねちがいということか。耄碌もうろくしたかな、私も。まあそれはいい……これからのことだ」

「具体的には」

「ヴォルテール男爵を逮捕たいほせねばならん。先ほど、宝物庫を改めた。三十年前の事件で男爵から没収ぼっしゅうした『赤の瞳』が偽物であることを確認した。……先代の宰相がまんまとまがい物をつかまされたということだ」

「……ベクトラル伯の関与かんよは?」

「二人が結託けったくしていれば、この王城は昨日のうちに吹き飛んでなくなっておるよ」


 シェルナ侯の体がわずかにねた。今まで動かなかったまゆがわずかに震えている。


「どうやら、まだ完全に望みが絶たれたわけではなさそうだ……しかし、ここからは一つも間違えることはできん。シェルナ侯、宰相の権限を持って貴公に宰相職の代理を命じる」


 予め用意していたものか、三通の書状をヴェズザラム公は取り出して、その内の二通を破り捨てた。残った一通をテーブルの上に載せる。


「国王陛下が不在のため、事後承諾じごしょうだくになるが、いたし方ない。ヴォルテール男爵の逮捕の指揮をとってくれたまえ」

親衛隊しんえいたいを動かしてよろしいのですな」

「あとの判断は君に一任する。全ての責任は私が取る。最良と思ったことを実行して……」

「……わかりました」


 それ以上の発言は無用、というようにシェルナ侯は手をかざし、立ち上がった。


「私の家来に、車椅子を動かすように……」


 うなずき、シェルナ侯も閣議室を退室する――いつもは歩く時にぶれない背筋が、今は気のせいか、いくらか揺れているようにも見えた。


 広い閣議室に一人になり、イェズラム公爵は目を閉じた。自分の最低限の仕事は終わった。あとは、あの有能なシェルナ侯がどうにかしてくれることを祈るだけだ。

 しかし、今死ぬわけにはいかない。自分が死ねば、シェルナ侯が自由裁量じゆうさいりょうで行うことの責任を取る者がいなくなる。彼はあくまで代理なのだ。


「……逃げ出したい気持ちもわかるが、な。無理もないかも知れん……」


 家来たちの足音を遠くに聞く。今のうちに言葉にできることはしておかねばならない。

 それは、文字通り、この王都を足元から・・・・震撼しんかんさせる事実なのだから。


「――この王都の真下に、魔界への入口があると聞かされれば……な」



   ◇   ◇   ◇



 エルカリナ王国が統治とうちする大陸から、はるか遠くに離れた別の大陸。

 王都エルカリナを照らす太陽がまだその日の光をわずかにしか届けられない、遠方の大陸の奥深くに存在する豊かな森に、その集落しゅうらくはあった。


 森のあまりもの奥深さに人の足もおよばない、人間の生活圏からはほぼ隔絶かくぜつされた領域。そこに、森に生きる種族がいる。

 森妖精エルフしょうされる長命の種族。とがった耳以外は人間とは明確な外見の差はなく、その容姿ようしは総じて美しい。気位きぐらいの高さゆえに人との交流をこばみ、森の中で孤立こりつし続ける人々だった。


 十年前、人間たちとの抗争こうそうけるために別の大陸からこの地に移り、以後は平和な暮らしを続けている。そんな、千年単位の安寧あんねいが約束されている集落しゅうらく――『里』に今、一人のエルフの少女が訪れていた。


 いや、訪れたという表現は間違っているかも知れない。『帰ってきた』というべきだろうか。

 その少女は、その里を治める王族の一員――まぎれもない王女の一人だったのだから。

 そして、その少女は、今。


「――――」


 閉じ込められた牢獄ろうごくの中から、あかまった東の空に向けて、無言でその美しいアメジスト色の瞳を輝かせていた。

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