「ひとりで泣くの?」

 少女は小さなテーブルの上に手持ちランプを置き、フィルフィナの目の前で寝台ベッドに腰を落とした。


「入るね」

「入るって……お前……」


 フィルフィナの声も聞かず、少女は敷布団しきぶとんに体の全部を乗せた。フィルフィナの体が奥に押しやられる。子供ふたりが寝られない大きさの寝台ではないが、窮屈きゅうくつには違いない。


「どけ……!」

「ひとりで泣くの?」


 少女を押し出そうとした手が、止まる。


「ひとりで泣くのは悲しいよ」


 ひとりで泣く。

 ……そうだ。自分はここでひとりで泣いて。

 一晩中、ひとりで泣いて。


「だから、一緒にいてあげる。……ニコルは私が泣いている時、いつもいてくれたの。『ひとりで泣くのは悲しい』っていってくれて」

「ニコル……誰だ……」

「私の大好きな男の子」

「…………」

「悲しい時は泣かなければいけないけど、泣き止んだ後も悲しいままだったら、本当に悲しいもの」

「わたしは、お前たちのせいで……!」

「ごめんね。わたしたち人間のせいで、大切なものをなくしちゃったんだよね」


 ぎゅっ、と少女の腕が体に回ってくる。そのまま抱き寄せられるのを、ほどけない。嫌悪けんおの前に――いや、嫌悪など起こらない。受け入れていい、と魂がいっていた。


「ごめんね……おうちも燃えちゃったんだよね。私もこのおうちが燃えてなくなったら、とても泣くと思う……」

「……丸太小屋だ。木さえ、森さえあればすぐ建て直せるんだ。でも……」

「お母さんに会えないの?」

「母にも、妹にも会えない……どこにいるのか、わからない……」

「わかるよ、悲しいの」

「わかるわけないだろ、お前なんかに……」

「私、お母様は死んじゃって、きょうだいはいないの。――寂しいのは、悲しいのはわかる」

「――――」


 まだ六つになるかならないかの子供に苛立いらだちをぶつけ、反対になぐさめられている現実に、フィルフィナは不思議なものを感じた。


物心ものごころつく前にお母様は死んでしまって、わかるころに教えられて――いっぱい泣いたの」


 耳元で語られる物語をだまって聞く気になって、フィルフィナは耳をかたむける。


「その時、ニコルがいてくれた。泣き止むまでいっしょにいるって」

「……一緒に、いてくれたのか」

「優しい男の子。あなたもきっと好きになると思うよ」

「そうか……」


 ニンゲン嫌いの自分が、ニンゲンを好きになる。とんでもない話だ。――が、その言葉を振り払うことはできなかった。少女がいうなら、そうだろうなと思えた。


「ごめんね……私たちが、ひどいことをして」


 少女の顔が背中に当てられる。涙の感触を覚える。


「……お前まで、泣かなくていい……」

「ごめんなさい……」

「あやまるな……」


 ふたり、止まらない涙を流しながら、夜の時間に心をひたす。

 すすり泣く音を背中に聞きながら自らも泣くフィルフィナは、一つのちかいを立てた。

 自分はニンゲン嫌いだが、例外を作ろう。


「……名前を聞いていなかった。なんていう名前だ」

「私、リルル」


 リルル。


「リルルっていうの」

「リルル、か……。……わたしは、フィルフィナというんだ」

「フィルフィナ……いいにくいね? フィル、って呼んでいい?」

「勝手にしろ……」

「フィル、か……フィル。うふふ……」

「……泣きながら、笑うんじゃない……」


 目と口を閉じる。そのうち眠りにつき――涙も止まるだろう。止まらない涙はない。

 背中の少女、いや、リルルもフィルフィナの背中にくっついたまま、同じように目と口を閉じた。朝までこうしているつもりなのか。

 

 ――ともあれ、眠ろう。

 起きたら、わたしは……いや、わらわは……。



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 光の一線ひとすじも差さない暗闇の中で、重いかねの音が響いた。

 頭に直接響くような音色に、フィルフィナは眠る気をさまたげられて起きる気になった。眠っていられない。


 扉がある方向は覚えている。ベッドから起きだして廊下ろうかに面している扉を開けると、部屋が薄暗くなるくらいの光が差し込んできた。

 音の発生源は、この狭い部屋には似合わないくらいに大きな壁時計だ。全部が簡素かんそな家具の中でそれだけが威容いようほこっている。


 朝になってもが差さないこの部屋で、まともに目覚めようとすればこんなものが必要なのだろう。

 しかし……早朝だ。朝の五時。


「…………んん…………」


 まだ眠ったままのリルルの顔を見る。この音の響きの中でもまだ眠っている。耳が聞こえないわけでもなかろうに。


「……起きろ」

「ふへ?」


 肩を揺り動かされると、リルルが目覚めた。眠そうな目を重たそうに半開きにしている。


「……大事な話がある。起きてくれ」

「う……ん……?」


 何時に眠りについたかは覚えてはいないが、眠気はない。十分眠ったなという感覚はあった。

 ――なら、いいな。

 あたたかい布団で、十分寝た。涙ももう乾いている。


 思い残すことはない。


「なぁに……?」


 まだ完全に夢の世界から脱出できていないようなリルルが、目をこすりながら体を起こした。


「――ちゃんと礼をいってなかったな。世話になった」

「うん……」

「お前には命を救ってもらった。感謝する」

「……どうしたの?」


 違和感いわかんを覚えたのか、リルルの顔に微笑ほほえみはない。代わりに不安の色があった。


「ニンゲンは嫌いだが、エルフは恩を受けて返さないような薄情者はくじょうものではない。命を救ってもらった恩は、しっかり返す」

「そんなこといいのに」

「よくない。――いいか、本当によく聞け」


 自分がこれからいおうとすること――緊張がある。それを口にしてしまったら、全てが終わってしまう確信があった。だが、いわねばならない。


「わたしの名はフィルフィナという」

「昨日聞いたよ?」

「これはいってなかったろう。わたし――いや、わらわは、エルフの里の王女だ」

「……王女さま?」


 リルルの目が二度三度、まばたいた。『信じられない』と顔に言葉が張り付いていた。


「お前は信じなくてもいい。そしてもっと大事なことは、わらわは、この国の王弟殿下おうていでんかとやらを殺した張本人ちょうほんにんだということだ」


 リルルの目は見開いたままになった。


「意味がわかるか? 王弟殿下というのはな」

「――国王陛下の次にえらい方」

「よくわかっているではないか」


 話が早い、助かる。


「わかったな? この国にとって大罪人たいざいにん、国のかたきともいえるエルフがこのわらわなのだ」


 自分の口元に笑みが浮かんでいる。愉快ゆかいな気分だった。これから破滅はめつに向かうというのに――いや、破滅に向かうとわかっているから、笑ってしまうのかも知れない。


 そんな不思議な気分を心のすみで感じながら、フィルフィナはエルフの王女としての威厳いげんを保つために、背筋を伸ばした。胸を張った。


「と、いうわけだ。わらわを役人に突き出すがいい。相当な褒美ほうびがもらえるだろう。――それが、わらわがお前にしてやれる恩返しだ」

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