第3話 きっかけ2

「え……」

「具合が悪いのですか? ひどい顔色をしていますよ」


 そんなに? と私は驚いて自分の頬に触れる。

 血の気が足りないのか、水のように冷たい。


「少しお休みになった方がいいでしょう。待っていてください」


 魔術師はさきほどのモタモタとした動きとは打って変わり、さっと紙をまとめて肩から下げていた鞄に仕舞う。

 あっけにとられている間に、私を抱え上げた。


「……!?」


 驚いた。具合が悪くなかったら、叫んでいたかもしれない。

 私を抱えた魔術師は、「少しだけ我慢してください」と言ってどこかへ向かう。

 身動きする力がなかったので、このまま身を任せるしかない。


 でも決して落とさないように、だけどスカートが翻って素足が人目にさらされない気遣った抱え方をされているのがわかってきた。

 ドレスと私自身の重さなどものともしない涼し気な顔は、私が気にしないようにと作っているのだろうか? きっと重たいはずなのに。


(どこかで投げ捨てたり、わざと落とそうとはしない、と思う)


 そう感じられたので、私は少し落ち着いた。

 私は、あっという間に行き先に到着したことに気づく。

 王宮に数ある客室の一つだ。

 休憩室に使われているらしく、目印の生花が扉に飾られていた。

 魔術師はそれを取って部屋に入る。


「あ……」


 そこまでするのは、部屋に入られたくない時だけ。

 もっと言うと、逢引きをする男女がするようなことだ。


 うろたえてしまった私を、魔術師はソファーに下ろしてくれた。


「お加減は?」

「さっきよりは、良くなったと思います」

「それでも、少し休むといいですよ。あなたの家の人間を呼んでおきます。目印は外してあるので、誰も来ないでしょう」

「ありがとうございます」


 本当にこの人は、具合の悪い人間を介抱しようとしてくれただけなのだ。

 久しぶりに、人から優しくされた。そのことに心がふわふわとする。


 でも彼は忙しいのか、すぐに立ち去ってしまう。


「それでは、用事があるので失礼します」

「あの!」


 私はとっさに声をかけた。


「お名前をうかがっても?」


 後日、改めてお礼をするにしても、名前がわからなくては仕方ない。

 だから聞いたのだ。

 そして私の名前は知っているのに、私が彼の名前を知らないのも嫌だった。


「ジュリアンです。……では」


 彼は短く答えて、部屋を出て行った。

 一人きりになって、私はふっと息を吐く。

 

「……あら」


 彼が私をソファーに下ろした時に、落ちたのだと思う。

 一枚だけ紙が絨毯の上にあった。

 拾い上げてなにげなく中を見た私は、内容に目を見張る。


(メイドの募集?)


 子どもでもわかるように、簡潔に書いてある。

 珍しいことに、紹介状無しでも可で、女性で健康である以外に条件は無し。

 場所は北東のへき地にある王領地。


 勤め先は、村から少し離れた森の中。ここに村から通えというちょっと難易度の高い物だ。森には狼やイノシシなど危険な動物も多いので、慣れない人間が一人で通うには厳しい。

 なのに先方に気に入られなかったら、賃金なし。


 普通ならひどい条件だと思うところだが、私はすごく自分に都合がいいのでは? と感じた。


 気に入られなかったらすぐ解雇されるなら、どこにも勤めたことがない人間には都合がいい。

 解雇されたとしても、一度は雇われたという実績になる。

 ここで解雇されて紹介状無しで職を探しても、条件が条件なので事故にでもあったようなものだと考えて、納得して雇ってくれる人がいるに違いない。


 しかも魔術師ギルドが仲介をしているので、応募したことは照会すればわかるので、身元の証明にもなる。

 その身元は、応募した時点で言った物。

 すなわち、私が嘘をついて「〇〇村の出身の平民、セリナです」と名乗れば、それが以降の私の経歴として、証明してもらえることになるのだ。


「誰でも……勤められるし、次にどこかへ行く事も、紹介状がなくても可能だわ」


 唯一不安視するなら、仕事内容だろう。


「掃除と研究の協力?」


 魔術師の研究に協力というのは、一体何をするのか想像がつかない。

 とりあえず私は紙をこっそりとポケットに隠す。

 その後、迎えの人間が来た後も、ずっとその紹介状のことを考えていた。


 家に帰って、紙をもう一度見て考える。

 王子達や伯父のいない場所へ行く願いをかなえるのに、打ってつけだ。

 平民の身分を手に入れられるのだから、探されても簡単には見つからなくなる。


 以前は、家出をして、持ち出したネックレスや指輪、髪に刺す真珠つきのピンなんかを売って暮らすことを考えた。

 それで資金を作ったら、しばらくは職が得られなくても一人暮らしはできるだろうから。

 でもそれでは、貴族令嬢みたいな娘が暮らしていると噂されて、すぐに伯父たちに見つかってしまう。

 それよりも、仕事をして平民として暮らした方が見つからないだろう。

 私が完全に平民になるつもりだなんて、想像もしないだろうから。


 それに……。


「もしかしたら、あの人をもう一度見かけることもあるかも」


 魔術師が持っていたのだから、館の主人は魔術師である可能性が高い。

 王宮に出入りしている魔術師なら、ジュリアンが田舎には行くことはないかもしれない。けど、募集の紙を持っていた。用事で来る可能性は万に一つくらいはありそうだ。


「……いえ、会えないわよね。応募しても採用される気がしないし」


 なにせ元は貴族令嬢だ。

 急にメイドらしく仕事をしようとしても、上手くできるはずがない。

 だから応募をして不採用になった後のことを考えなくては。


 近くの町なら、村のメイド募集に落ちたのだと言えば、紹介状無しでも受けてくれる可能性が上がる。

 その際には、なるべく簡単にできる仕事から選んで就職するのだ。

 もし次の職場からも解雇されても、仕事の仕方は覚えることができる。その次ではもっとうまくやれるはずだ。

 ダメなら唯一貴族令嬢が覚えても不自然じゃないおかげで刺繍や針仕事はできるので、その技術で働こう。


 よし、あとは失踪方法だ。

 これもよくよく考えなければならない。

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