「倖せはいつも、4分後のカップのなか」【「赤いきつね」「緑のたぬき」幸せしみるショートストーリーコンテスト 参加作】

水ぎわ

第1話 「食べないことは、神さまとの取引」

 この世界に絶対的なルールがあるとしたら。

 あたしはいつも、ほんの少しずれているんだと思う。そのずれが、あたしを苦しめる。たとえば、いまみたいに。


はやしさんのお弁当、へん」

 隣の席の子は、ポニーテールを揺らして笑う。あたしはお弁当箱を見る。

 ゆでブロッコリー。ゆで卵。人参だけのきんぴら。シリコンカップで厳重に分けたおかず。ごはんはない。

 あたしは言った。


「食材をまぜないっていう、取引だから。かみ……」

 神さまとの取引だから、と言いかけたところで、教室のドアが開いた。先生が顔を出す。

「林さん。こちらへ」

 廊下へ出ると、先生は小さな声で言った。


「お母さまが、緊急入院されたそうです。病院へ来てほしいということで、迎えがいらしています――おとうさまが」

 最後の一言を言うとき、先生はなぜか顔を赤くした。あたしは理由に気が付いて、口をひん曲げる。

 清親きよちかのせいだ、超絶イケメンの。無駄に女性から好かれる元パパ。

「林清親は、もと・父です。6年まえに離婚しました。今でも月に2回は会います。約束ですから」

「そうだったわね。独身だわ……ともかく職員室へね」

 そういうと先生はグレーのスカートをひらりとさせて、行ってしまった。

 あたしはつぶやく。

「ママが入院。清親きよちかが迎え。サイテー」

 


 カバンをもって職員室に行くと、清親の大きな背中が見えた。先生にむかって、かがみこむようにしゃべっている。

 グリーンのモッズコートの肩には巨大なカメラバッグ。清親は旅雑誌のカメラマンだ。

 それを理由に、ママと離婚する前は1カ月の半分以上、うちにいなかった。

 そしてしょっちゅう、呼び出された。たいていは女のひとに。ママはそのたびに泣いていた。

 でもあたしは、清親が好きだった。休みには公園で半日あそんでくれたし、料理がうまかった。家で過ごした最後の夜も、清親は絶品シチューを作ってくれた。


 あたしはそのシチューを食べなかった。何も食べずに泣いて泣いて泣いてから7歳のあたしは神さまと取引した。

『神さま。あたしはしぬまでシチューは食べません。おいしく混ぜられたものは食べません。だからどうか。パパを返して』

 そしてもちろん。あたしが13歳になった今も、神さまは取引に応じてくれない。


 こほん、とあたしは職員室の入り口で咳をした。清親のきれいな顔がこっちを向く。いつも少し笑っているような顔。

 清親のまわりの女の人は、この顔が好きだ。こっちを向いた先生の顔もぽわっと赤い。あたしは口を曲げる。


 ママは、今でも言う。

『清親はポンコツ。かっこいいけど、ポンコツ。そして腹が立つほどに、いい男』

 腹が立つほどにダメダメな元パパは、大股でこっちに歩いてきた。ぽんと、あたしの頭に手を乗せる。

「――ひより。車で来ている。いこうか」

 そのままふたりで病院へ向かう。車の中では、会話も、ない。



★★★

 病室のママは真っ白な顔をして眠っていた。ベッドのまわりには点滴の機械やモニター。ママが、ママじゃないみたいだ。

 あたしはぎゅっと、セーラー服の袖を握りしめる。

 待っていると、白衣を着た女性がきた。お医者さんらしい。先生はあたしと清親を見てから、こういった。

「お嬢さんと、お話をします」

 あたしはびっくりした。隣にいる清親も

「この子はまだ中学生です。詳しいお話は私がうかがいます」

 お医者さんは清親を見あげた。めがねの奥で目が光った気がした。


「申しわけありません。病状の説明は、ご家族にすることに決まっています。お身内の方ですか?」

「――いえ」

 清親は短く答えた。先生はうなずき

「すぐ終わります。カーテン越しに、話は聞こえますよ」

 清親はカメラバッグをガシャガシャさせて出ていった。

 

 お医者さんはひとりになったあたしを見た。

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