「倖せはいつも、4分後のカップのなか」【「赤いきつね」「緑のたぬき」幸せしみるショートストーリーコンテスト 参加作】
水ぎわ
第1話 「食べないことは、神さまとの取引」
この世界に絶対的なルールがあるとしたら。
あたしはいつも、ほんの少しずれているんだと思う。そのずれが、あたしを苦しめる。たとえば、いまみたいに。
「
隣の席の子は、ポニーテールを揺らして笑う。あたしはお弁当箱を見る。
ゆでブロッコリー。ゆで卵。人参だけのきんぴら。シリコンカップで厳重に分けたおかず。ごはんはない。
あたしは言った。
「食材をまぜないっていう、取引だから。かみ……」
神さまとの取引だから、と言いかけたところで、教室のドアが開いた。先生が顔を出す。
「林さん。こちらへ」
廊下へ出ると、先生は小さな声で言った。
「お母さまが、緊急入院されたそうです。病院へ来てほしいということで、迎えがいらしています――おとうさまが」
最後の一言を言うとき、先生はなぜか顔を赤くした。あたしは理由に気が付いて、口をひん曲げる。
「林清親は、
「そうだったわね。独身だわ……ともかく職員室へね」
そういうと先生はグレーのスカートをひらりとさせて、行ってしまった。
あたしはつぶやく。
「ママが入院。
カバンをもって職員室に行くと、清親の大きな背中が見えた。先生にむかって、かがみこむようにしゃべっている。
グリーンのモッズコートの肩には巨大なカメラバッグ。清親は旅雑誌のカメラマンだ。
それを理由に、ママと離婚する前は1カ月の半分以上、うちにいなかった。
そしてしょっちゅう、呼び出された。たいていは女のひとに。ママはそのたびに泣いていた。
でもあたしは、清親が好きだった。休みには公園で半日あそんでくれたし、料理がうまかった。家で過ごした最後の夜も、清親は絶品シチューを作ってくれた。
あたしはそのシチューを食べなかった。何も食べずに泣いて泣いて泣いてから7歳のあたしは神さまと取引した。
『神さま。あたしはしぬまでシチューは食べません。おいしく混ぜられたものは食べません。だからどうか。パパを返して』
そしてもちろん。あたしが13歳になった今も、神さまは取引に応じてくれない。
こほん、とあたしは職員室の入り口で咳をした。清親のきれいな顔がこっちを向く。いつも少し笑っているような顔。
清親のまわりの女の人は、この顔が好きだ。こっちを向いた先生の顔もぽわっと赤い。あたしは口を曲げる。
ママは、今でも言う。
『清親はポンコツ。かっこいいけど、ポンコツ。そして腹が立つほどに、いい男』
腹が立つほどにダメダメな元パパは、大股でこっちに歩いてきた。ぽんと、あたしの頭に手を乗せる。
「――ひより。車で来ている。いこうか」
そのままふたりで病院へ向かう。車の中では、会話も、ない。
★★★
病室のママは真っ白な顔をして眠っていた。ベッドのまわりには点滴の機械やモニター。ママが、ママじゃないみたいだ。
あたしはぎゅっと、セーラー服の袖を握りしめる。
待っていると、白衣を着た女性がきた。お医者さんらしい。先生はあたしと清親を見てから、こういった。
「お嬢さんと、お話をします」
あたしはびっくりした。隣にいる清親も
「この子はまだ中学生です。詳しいお話は私がうかがいます」
お医者さんは清親を見あげた。めがねの奥で目が光った気がした。
「申しわけありません。病状の説明は、ご家族にすることに決まっています。お身内の方ですか?」
「――いえ」
清親は短く答えた。先生はうなずき
「すぐ終わります。カーテン越しに、話は聞こえますよ」
清親はカメラバッグをガシャガシャさせて出ていった。
お医者さんはひとりになったあたしを見た。
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