視線恐怖症の魔女ですが、殿下が私を妃に迎えると言って譲りません。

百崎千鶴

 南の森には、虹をかける幸福の魔女が棲む。

 さかのぼること約10年前。村に住む3歳の子供がそんな噂を流したことが全ての始まりだった。


 歴史ある王家が治めるこの国では、おとぎ話と違って魔力を持つ全ての者が一般市民から迫害はくがいを受ける事は無い。

 特に女性の魔法使い――『魔女』は豊穣ほうじょう繁栄はんえい象徴しょうちょうとして重宝ちょうほうされており、街を歩けば両手いっぱいに貢ぎ物を贈られ、ほうきで空を飛べば合掌と共にあがめられる。


 そんな魔女として21年前に生を受けたドロシー=ウェイレットは現在、困惑の最中にあった。



「い、今、なんと……?」

「何度でも言おう。俺のきさきになってくれないだろうか?」

(……これは夢?)



 月の光で染めたような銀色の髪を揺らしてドロシーの前でひざまずく男性は、誰がどう見てもこの国の第二王子・アーネスト=ライランスだ。


 ドロシーは“とある理由”で彼の顔を正面から見る事ができないのだが、無礼にも目を逸らしたまま黙り込み更には小動物のようにぷるぷると体を震わせる彼女に対して、アーネストはくすりと小さな笑みを漏らす。



「可愛い魔女さん? お返事を聞」

「むっ、無理です……! 私はこれで失礼します、さようなら!」



 彼の言葉をさえぎってきびすを返したドロシーは、手に持ったかごからフルーツがこぼれ落ちるのも気に留めず、脱兎のごとく無我夢中でその場を走り去った。





 ドロシーは産まれてからわずか3年で魔法の才能に目覚め、10回目の誕生日を迎えた時にはすっかり立派な『魔女』へと成長をげていた。

 生まれつき虹色に輝く美しい瞳を持つドロシーの人生が大きく変わったのは、ちょうどその頃である。



「南の森には、虹をかける幸福の魔女が棲む」



 ドロシーを見かけた3歳の子供が両親に向けて語ったそんな話が、村全体へ広まるのにはそう時間がかからなかった。


 ただでさえ豊穣と繁栄の象徴とされている『魔女』に「幸福の利益をもたらす」などという噂がついて回った結果、村人達はドロシーが姿を現すたび我先にと彼女の瞳を覗き込み、常に視線を浴びせながら野次馬のように彼女のそばを並んで歩くようになった。


 そして、そんな生活に数年間耐え続けたドロシーは現在――……視線恐怖症をわずらい、他者との関わりを極力避けながら森の奥で一人ひっそりと暮らしている。

 ……いや、暮らしてのだ。昨日、アーネストが目の前に現れるまでは。






「はぁ……」



 陽光に照らされる森の道を歩きながら、ドロシーは深い溜め息を吐く。昨日あの場から逃げ帰った後、脳内を満たすのは深い後悔ばかりだった。


 全国民が敬愛する“王子様”がこんな深い森の中で姿を見せたこと自体驚愕きょうがくするに十分な理由であったが、更には顔を合わせたばかりのドロシーを『妃に迎えたい』と申し出るなど誰が想像できただろうか?

 とは言え、王族に対してあのような態度をとっても許される理由にならない事は理解していた。

 もしかすると今頃、不敬な魔女にどのような処罰を与えるべきか審議している最中さなかかもしれない。あるいは既に結果が出た頃合いの可能性も。



「どうしましょう……」

「やあ。おかえり、可愛い魔女さん」



 こぼれ落ちた不安に重なって、水面みなものようにおだやかな声が耳を撫でた。

 足元の砂礫されきへ向けていた目線を持ち上げると、少し前方に立つ人物の髪を太陽の光がきらりと弾いてドロシーは軽い目眩めまいを覚える。



(ど、どうして……!?)



 王族の衣装に身を包み、一羽の白い小鳥とたわむれながらイエローサファイアの瞳を細めて微笑みをたたえる『彼』は、間違いなくアーネストだ。

 瞬間、一斉に心の内へ押し寄せた罪悪感と困惑で足が動かなくなり、自然と顔が下を向いて力の入らなくなった手から籠がするりと抜け落ちる。


 うつむいたまま微動だにしないドロシーを見て、アーネストは小鳥を優しく肩に誘導すると優雅な足取りですぐそばまで歩み寄り、「落としたよ」と彼女の足元に転がったままの荷物を拾い上げた。



(ち、近い……どうしましょう、どうしましょう……!)

「はい、どうぞ」

「っあ、」



 昨日もそうだったが、アーネストを前にするとどうにも言葉が喉で詰まってしまう。


 ドロシーは震える手で籠を受け取り、黒いマリアベールのはしを片手できゅっと握って自身の顔を隠しつつ彼の厚意こうい拝謝はいしゃして深く頭を下げた。

 頭上でアーネストがくすりと笑うような気配を感じてゆっくり上半身を持ち上げるが、目線を交わらせることが躊躇ためらわれてその表情を確認する事は叶わない。


 少しの静寂を置いて、ドロシーは重要な要件を思い出し全身からサーッと血の気が引く。



「あっ、あの……っ、昨日は申し訳ありませんでした。殿下でんかに対してあんな、無礼な態度を……」



 罪悪感がまとまりきらないまま言葉をつむぎ、目線をアーネストの心臓あたりに向けて震えながら次に浴びせられるであろう罵倒ばとうを待っていると、彼は顎に片手を添えて低くうなった。



「あそこに見えるのが君の家だとのだが、間違いないだろうか?」

「……え?」



 謝罪とは全く関係がない上に意図の読めない質問を落とされて、思わず間抜けた声が口から漏れる。


 あそこ、と言って上品な革手袋に包まれた指の先がさしているのは、この場から30歩ほど足を進めた先にある一軒の小屋だ。

 木々が遠慮したように場所を譲り、ちょうど太陽の光が差し込む位置に建てられたその小屋は、ドロシーが森の中に移住してから日々生活を送っている大事な我が家である。


 こくりとあごを引いてドロシーが肯定を示せば、アーネストは悪戯いたずらを企む子供のような笑みを浮かべた。



「先ほど少し見させてもらったのだが、庭園の木苺はもう食べ頃のようだな」

「……? はい、そうです」

「実は、生まれてこの方まだ木苺のマフィンを食べた事がないんだ」

「?」



 昨日の件からどんどん遠ざかっていく話題にドロシーが首をかたむけると、籠の中にあるリンゴがころりと角度を変えてわずかな振動を指先に伝える。


 目線こそ合わないものの、虹色のビー玉が不思議そうに揺れる様はアーネストもマリアベール越しに確認することができた。

 彼はわざとらしく「ふむ」と呟いて首をひねると、指先で自身の薄い唇を撫でる。



「君が木苺で作ったマフィンを振る舞ってくれなければ、俺は第二王子として昨日の君に罰を与えてしまうかもしれない」

「!?」

「さて、可愛い魔女さん。料理は得意かな?」





「ありがとう、とても美味びみだったよ」

「と、とんでもない。お口にあって良かったです」



 甘さが室内を満たしている原因は、はたして本当に木苺のマフィンのせいだろうか? ドロシーにはよく分からなくなってくる。


 馴染みある我が家の質素なソファで長い足を組み、優雅に食後の紅茶をたしなんでいるのは何度見てもこの国の第二王子だ。

 ドロシーのためだけに父が造らせたウッドハウスは、アーネストがそこに存在するだけで宮殿きゅうでんであるかのような錯覚をおぼえさせる。



「本当を言うと、俺は今日君にマフィンを作らせようと思って来たわけではないんだ」



 おもむろに口を開いたアーネストは、ティーカップをソファテーブルの上に置きながら組んでいた足を崩しておだやかに微笑む。


 あまりにも美しいその一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく見惚みとれていたドロシーだったが、彼の目線が自身の瞳とぶつかる前に慌てて顔を背けると、火照ほてる頬に片手を添え小さく相槌あいづちを打った。



「勿論、謝罪も必要無い。そもそも、俺は君を“無礼”だと感じていないからな」

(それじゃあ、どうして……?)

「……マフィンはただの口実で、君と二人きりになりたかっただけだよ。何度でも言うつもりだが……可愛い魔女さん。俺は君を妃に迎えたい」

「!?」



 反射的に唇から落ちかけたおかしな声を寸前で飲み込む。

 てっきり諦めてくれたものだとばかりに思っていた要件を引っ張り出されて、ドロシーは床の木目に視線を向けたまま金魚のようにパクパクと口を動かして動揺をあらわにした。



(い、今すぐ『はい』とうなずきたいわ。でもきっと、私は殿下にからかわれているだけよ。こんな私より素敵なレディは、殿下の周りには他にたくさん居るはずだもの。本気で言っているわけがないわ)



 白い肌にじわりと朱色が広がる様子を見て、アーネストは愉快そうに口の端を引きソファから立ち上がる。



「返事は今すぐでなくても構わない。どちらにしろ直接『はい』と聞くまで、俺は何度でもここに来るつもりだ」

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