第六話『黒猫と小さな魔女』


怪異かいい”。


この世に“怪異”は存在する。

この世には“怪異”が存在する。


ただ見えないだけで、視ないだけで。

視ようとしないだけで、“それ”は存在するのだ。


喋る猫。


古来より、猫は化生けしょうとしての性質があるとされている。

猫又ねこまた、化け猫、金華猫きんかねこ猫鬼びょうき猫神ねこがみなどの猫の妖怪。

自由奔放じゆうほんぽう神出鬼没しんしゅつきぼつな猫の特徴。

夜道で光る双眸そうぼう妖眼ようがんとしての“猫目ねこめ”は人々に恐れられていた。


“怪異”はしのり。


“怪異”は知らぬ間にってくる。


***


今、僕の目の前にちょこんと座っている猫。

左右非対称の猫目のオッドアイを持つ喋る黒猫ナイアーラ・トテップ。


オッドアイの“妖眼”が僕を見上げている。

その双眸は僕の心を見透かすかのように鋭く射貫いぬくく。


うーん、どうしよう。

うわ、やばい。めっちゃ、こっち見てるし・・・。このさい、スルーしようかな。


うう、怖い。関わっちゃだめだ、見てみないふりだ。

よし、それでいこう。

僕はそっと後ろを振り向き、ゆっくり歩きだそうとしていると。


「おい、待て。どこに行くのだ、少年よ。

まさか吾輩わがはいのことを無視しようとしているのではあるまいな?」


突如とつじょ、僕の目の前に黒猫が現れた。

え、さっき後ろにいたよね?

僕が瞬きした一瞬で移動したのか?

僕があたふたとしているのを、黒猫のオッドアイの瞳が見つめていた。


「あ、いや。そんなことないですよ・・。いやだなぁ、猫さん」


失敬しっけいな、猫ではないと言っておる。ナイアと呼びたまえ」

そう言って黒猫は怒っているのか、体毛がざわざわと揺れている。


師匠マスター。だめですよ、驚かしちゃ。

おにーちゃん、びっくりしているじゃないですか」

ふと、黒い少女が呟いた。

ゴスロリの衣装に身を包んでいる金髪碧眼きんぱつへきがんの少女が僕をかばってくれた。


「ふむ、そうか・・・。これは失敬しっけい

だが、どうもこの少年がおぬしに色目をつけていたのでな・・・」

じろりと、今にも噛みつきそうに僕を睨んでくる黒猫さん。睨まないで。


「ち、違いますよ、猫さん。あ、ナイアさん。

そんな目で視てないですって・・・」

もう嫌だなぁ、僕はたじろぎながら弁解をする。

というか普通に話しているのはおかしくはないか。今この状態で。

いや絶対おかしい。おかしいから。


「ちょっと、ちょっと待ってください。

猫さん、いったん整理しましょう?

ね、いいですか?猫さん。いや、ナイアさん。それに、えっと、君は・・・?」


僕はその答えを求めるようにゴスロリ少女を見た。


「ん?ボク?

ボクはナコト。ナコト・トート・クロウリーだよ、おにーちゃん。

ねえ、おにーちゃんの名前はなんていうの?」

聞いてくる少女の笑顔がいとおしい。可憐かれんとしか表現できない僕の語彙力ごいりょくが恨めしい。


「ああ、ごめん。そうだね。

そういや名乗ってなかったね、

僕の名は檻噛おりがみ。檻噛ノアって言うんだ。ナコトちゃん」

僕はそう言うと少女の小さな頭、美しい金髪に手を載せて頭を撫でた。


「ん…。オリガミ?ノア。

オリガミノアって名前、とってもステキだね、おにーちゃん」


「あはは。そ、そうかな。ありがとう、ナコトちゃん。

ナコトちゃんの名前も素敵な名前だと思うよ」

ナコト・トート・クロウリー。

これは本当にこの少女に似合ってる綺麗な名前だと思った。

あまり外国人と接しないけど、不思議と頭にすんなり名前が入ってくる。

それは以前から知っているかのように。どこかで聞いたのだろうか。


「えへへ。うれしー。おにーちゃん好きー」

天使の微笑ほほえみ。

もし天使がいたのなら本当にこの少女のような笑顔をしているのだろう。

少女の少し照れた頬がうっすら林檎のように赤い。いとおしい。


れしいぞ、少年」

またしても体毛を波立たせ、黒猫が僕を睨んでいた。

オッドアイの双眸そうぼう爛々らんらんと輝いている。

主人を守る番犬ならぬ番猫?のように。


「もー、いいの!師匠マスター、おにーちゃんはいい人なんだから!」

少女が黒猫の師匠マスターに向かって怒っていた。


「むっ。そ、そうか。おぬしがそう言うのなら・・・」

少女の必死の剣幕けんまくに、少したじろぐ黒猫。


「ねえ、ナコトちゃん。ひとつ聞いていいかな?

さっきナコトちゃんが泣いていたけど、なぜ泣いていたのか気になって。

あ、別に言いたくない、言えないのならいいんだよ、無理にじゃないから」

僕が手渡したクマさんのハンカチ(妹の)を少女が大事そうにずっと握っている。

それより気になったんだ、泣いている君のことが。


「うん・・・、えっとね。ボク、大事な“本”を失くしちゃって・・・」

思い出したように泣きそうな顔をする少女。

ああ、泣かないで。

僕は涙を浮かべている幼女を愛おしく思ってしまった。

べ、別に幼女趣味はないけれど・・・。僕には“先輩”がいるし・・・。

でも、この幼女の顔を見ると、駄目になる。

いやいや大丈夫か、戻ってこい僕。


「この辺りに落としちゃったのかも・・・」

「ふむ、吾輩も探していたのだが、なにぶんこの体ゆえ。なかなか見つからないのだ・・・。

おかしい。もしや、“連れ去られた”かも知れぬ・・・」

“魔力”にも反応せぬとは、と聞こえるか聞こえないかの小さな声で黒猫は呟いた。


まりょく?なんのことだろう。

それよりも僕は“連れ去られた”、という言葉に少し疑問を感じた。

通常ふつうものには使われない言葉だ。

黒猫が言い間違えているのかとも思ったけど。

日本語を流暢に話せる人が、もとい。猫が言い間違えるはずはない。

本を持ち去った。あるいは本を持ち去られた、と言うべきだろう。


「なるほど。じゃあ、僕も探してあげる。どんな本なのかな?」

その疑問を口に出さないまま僕は少女に問いかけた。


「えっとね、“ナコト写本”っていうボクの大事な本なの・・・」

少女は涙を浮かべながら僕に語りだした。


***


いにしえの書物“ナコト写本”。

少女から聞いた本の名前だ。何百年もの、年代物のかなり古い書物しょもつらしい。

代々、ナコトちゃんの一族。クロウリー家に受け継がれている“書物”なのだと言う。

本革の製本で。綺麗な刺繍が施されている。

それこそ国家レベルで保管されてもおかしくはない代物しろものだそうだ。

凄そう。この本の値段はいったいいくらするんだろう。下世話げせわだ。

怖い。そもそもそんな“本”を持ち歩いているナコトちゃんが怖い。

もちろん僕はそんな本なんか知らないし、聞いたこともない。

それにナコトちゃんの名前が付いているのは偶然なのだろうか。

一族の名前が付いているのならわかるのだけど・・・。


まあいい、とりあえず今は探さなきゃ。

僕は周囲をくまなく探した。

・・・けど、“本”らしきものはひとつも見つからなかった。

どこにも見当たらない。


「うーん、ナコトちゃん。ごめんね、全然見つからない」

「ううん、探してくれてありがと・・・、おにーちゃん」


さて、困った困った。

まずは交番に行って落としものがないか聞いてみるかな。

あーでも、ここからだどかなり交番は遠いんだよなぁ。


あ、そうだ。

あるじゃないか。

あそこに行けば何かわかるかも。

“先輩”なら、本を愛する“文学少女”草薙リンネなら何か知ってるかもしれない。


そう、迷宮図書館。

僕が向かっている場所。

本なら、本のことなら迷宮図書館に行けば。

あそこなら、何でも揃っているし、古の書物“ナコト写本”の情報も何かわかるかも。

それにもしかしたら、落とした“本”も届いているのかもしれない。


「そうだ、迷宮図書館に行こう。ナコトちゃん」

僕は少女に向かって言った。


「・・・めいきゅうとしょかん?」

「あ、ごめん。僕のかよっている学園の図書館なんだよ。

すごく大きくてなんでも揃っているんだ。

図書館の中が巨大な迷宮のようになってるから迷宮図書館って呼ばれてるんだけどね。

この先にその図書館があるんだけど。今ちょうど僕も向かっていたんだ」

まだ可能性が残っている大丈夫だよ、と僕は少女に付け加えた。


「ほう、おもしろいな。迷宮図書館とな。ライブラリにラビリンスか」

喋る黒猫は思考するように夕暮れの空を見上げていた。


「はい、そこなら何かわかるかも知れません。行ってみる価値はあるかと思いますよ、猫さん」

「すまぬな。・・・有難ありがとう、少年」

「わーい、わーい。めーきゅーめーきゅー」

僕に頭を下げている黒猫と、うきうきしながら喜んでいる少女。


なごやかな時間が流れた。

僕は二人、いや、一匹と一人の少女をほのぼのと見ている。


いやいや、違う違う。

そうじゃないだろう。もっと聞かなきゃいけないことがあるだろう。

核心をつくんだ。おかしいから。絶対におかしいから。今のこの状況。


「ん、・・・こほん。

あの、すみません。もうひとつだけ。ちょっと聞いてもいいですか?猫さん」

僕は恐る恐る質問することにした。


「ふむ、なにかね?少年」


「なぜ、喋ることができるのですか?猫さん、いや、ナイアさん」

ゆっくりと僕は黒猫に核心をたずねた。


「ふむ。なぜ、か・・・」

不思議そうにきょとんとして顔を横にしている黒猫。


「なぜ喋る、か。

では、人は喋るが猫は喋らない。という現実は誰のものだ?

そして、それはいつ誰から覚えたのだ?どこで知ったのだ?

それが普通だからか。だったら普通と言うものの定義はなんだ。

普通、猫は喋らない。そういうものだからか?

では、反対に喋らない“人間”はどうなる?

喋らない“人”は“人”ではないのかね?

喋れない、喋らない“人”も“人間”ではないのかね?

そして、“猫”が喋らないのなら、喋らない“猫”が“猫”であり、喋る“猫”は“猫”ではないのかね?・・・なあ、少年よ」


「う、、そ、それは・・・」


流暢りゅうちょうな言葉で僕に問いかける黒猫に言葉が詰まる。

言葉がでない。脳が追いつかない。思考がパンクする。

まるて弾丸だんがんのように論破ろんぱされる。


「喋らない”人間”もいるように。この世には喋る“猫”もいるだろうよ。

一匹くらいはいてもおかしくはないであろうよ。違うかね?少年」


「は、はい・・・」

黒猫は有無うむを言わさず僕を問い詰める。

まるで、尋問されているようだ。僕がうたのに。逆に僕が問われている。

有耶無耶うやむやされているんじゃないのか、僕は。

一種いっしゅ洗脳せんのうとも言える。


「なあ、愚かな少年よ。

不思議なことばかりなのだよ、この世は。この世界は。

理解しようとしていないだけで、まだ見ぬ見えぬ存在もいるのだ。

目に見えるものだけが全てではないぞ。

自分が信じている現実ほどもろく壊れてしまう、はかないものなのだ。

真実を知り、世界を視ろ。

普遍ふへんなどはないように、永久えいきゅう不変ふへんもないのだ。

有限にあり得ない現実ほど、無限にあり得る幻想なのだよ。

そして、幻想だと思っていたもの。目に見えないもの。理解できないもの。

この世には、不可思議ふかしぎにも不思議にも“怪異かいい”は存在しているのだ。

あやしくことなるもの。

“怪異”なる存在もの。そう、この吾輩わがはいのようにな」


ゆっくりと、赤子あかごをなだめるように。オッドアイの喋る黒猫は、そう僕にさとした。


怪異かいい


あやかしなるもの。ことなるもの。人為ひとならざるもの。人外じんがいなるもの。

“怪異”喋る黒猫ナイアーラ・トテップ。


僕は“黒猫”がなにかわからないモノに見えてきた。


光り輝くオッドアイの双眸。

妖眼ようがん”。“魔眼まがん”。

あやかしに見入(みい)る。魔に魅入みいる。

ぞくりと身がすくむ。

ぶるりと寒気がする。


「・・・はあ、そ、そうですか」

なにか有耶無耶うやむやにされたような。

いったいなにものなのか。何もわからないまま。


喋る猫。怪異なる猫。オッドアイの黒猫。

いや、僕は関わってはいけないものと関わってしまったのではないか。

知ってはいけないものを知ったのではないのか。


災難が降りかかり不幸が呼び寄せる僕の世界。

うん、いたって普段通り。いつもの日常だ、安心しろ。


「怖がらないで大丈夫。心配いらないよ、おにーちゃん。

それに“怪異”とは言え師匠マスターは、こう見えて偉大な“魔法使い”なんだよ。

そしてそして、なんとボクは師匠マスター弟子でしにしてさいきょーの“魔女まじょ”なのですよー。おにーちゃん」

えっへんと、少女は僕にドヤ顔でそう言うと誇らしげに腕を組んだ。


君が弟子?というか魔法使い?魔女?

あー。うーん、脳の情報が追い付かない。

ほんとどうなってるんだ。だれか助けてください。ねえ、“先輩”。


待って待って、落ち着いて少し整理しよう。

まず、この喋る黒猫ナイアさんが“魔法使い”であり、この異国のゴスロリ少女ナコトちゃんがその弟子で“魔女”であるということ。

異国から来ていて、大事な本“ナコト写本”を失くして(落として)しまったこと。


魔法使いの黒猫と魔女の少女。

そんなのまるで童話やお伽噺とぎばなしの世界から飛び出てきたようだ。

魔女って、アニメの魔法少女みたいなものなのかな?もうなにがなんだかわからないけど。


誰か助けて。“先輩”、助けてください。“先輩”だって魔女と呼ばれているんでしょ。


ああ。まただ、また頭痛が・・・。

ぎりぎりと頭蓋ずがいを締め付けられる。


僕が頭を抱えてうずくまっていると。

おにーちゃん大丈夫?と言いながら小さな手で僕の頭をなでなでしてくれる金髪碧眼の魔法少女がいた。

小さい温かい手。魔女でも温かく赤い血が通っているんだね。


「あ、ありがとう。ナコトちゃん」

黒猫の瞳が僕を見定める。

あ、やばい。また僕がしかられるのかと思っていると。


「ふむ、少年よ、おぬしなかなか面白いな。

ほう・・・。何かに“”かれておるぞ」

オッドアイの輝く”妖眼ようがん”で僕の全身を舐め回すように見つめながら黒猫は言った。


「え、かれてる?

あの、えっと、猫とか狐とかですか?ナイアさん・・・」


犬神憑いぬがみき、猫憑き、狐憑きなどの“憑き物”である動物たちの“霊”なのだろうか。

なぜ、僕がそんなに詳しいのかって?ああ、それは僕の妹がそういうオカルト関係に詳しいから知っているんだけど。

妹は学園の“オカルト研究会”にも入っているんだっけ。もちろん全て妹の受け入りだけど。


僕は無意識に頭を触っていた、もしかして猫耳や狐耳が生えていないか、とか。まあ生えるわけもなくて。


「いや、そんな生易なまやさしい低級の亡霊ぼうれいどもではない。相当に厄介やっかいなものよ。

ふむ、これは・・・、“魔術”に近い。いや“魔法”というべきか。

この極東きょくとうの地では、“のろい”。あるいは“呪術じゅじゅつ”というのだろう?愚かで優しき少年よ」


黒猫はうずくまっていた僕の目の前にやってきて、その猫の手で額をぽんと、当てた。


ぷにっと肉球が柔らかい。


く”とは、運が“ついて”いる、の“憑いて”いることであり。“つきもの”が落ちたような、の“憑き物”である。


「じゅ、呪術じゅじゅつ?やっぱり呪いなんですか、僕に憑いているのは・・・」


しゅのろい。


僕にまとう“モノ”の正体。僕の不幸のみなもとであり、災厄さいやく災難さいなんを呼ぶ元凶だ。


「そう、しゅだ。

それも特異なのろい、“呪詛じゅそ”というまじないがかかっておるぞ、のろわれし少年よ」


僕にいているしゅ

僕にかかっている呪い。

呪術。“呪詛じゅそ”なるモノ。


「呪われし少年」


“怪異”なる存在もの

“魔法使い”と名乗る不思議な喋る黒猫ナイアーラ・トテップは僕にそうげた。


そう、まるで“罪人”に向けた“死刑宣告”のように。

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