導かれて 五

 得体の知れない奇妙な感触に足を踏み出しがたかったが、いつまでもここにいても仕方ない。雷韋らいは玄関の扉を閉めて、明かりのともった手前の部屋へと入り込んだ。


 そして目を見開く。


 居間と覚しき広い部屋の中には大きな卓と、雑然と積み上げられた本の山が床の至る所にあった。二つある本棚にもぎっしり書物が詰められ、それだけでは飽きたらず、小さな細い硝子の筒や何が入っているのか分からないいくつもの小瓶も卓の上に無造作に置かれている。臭いの元はこれだろうと思った。正体不明の液体が瓶に詰められ、硝子の筒にも満たされている。そして、その卓のはしには火の入ったランプが置かれてあった。その光が部屋の中を照らしているのだ。


 部屋の中をぐるりと見回した時、ランプの明かりがゆらりと揺らめいた。その途端、また肌が粟立つ。それは火の精霊の気配だったが、いつも雷韋が守護精霊として感じているのとは異質の気配ものだった。


 手を引かれて道を歩くうちに雷韋の緊張は薄れていたが、ここでまた緊張感が甦ってきた。


 部屋の入り口に立ち尽くし、何か禍々しいものを見る目で雷韋は雪李せつりを見た。こいつはなんなんだと、自分でも知らないうちに琥珀の瞳が警戒色の黄色に変化した。自然、口調も硬くなる。



「あんた、人間族のくせに精霊使いエレメンタラーか? 今、精霊に何をした。人間族には風の精霊力しか扱えない筈だ。どうやって火の精霊を使役してる」



 雪李は椅子の上にも積み上げられた本を片付けていたが、雷韋の方を向くとあっさり謎解きをしてくれた。

 人好きのする笑顔で。



「流石は異種族だね。精霊の気配に敏感だ。でも僕は火の精霊魔法エレメントアなんて使えないよ。それどころか、風の精霊魔法だって使えない。召喚したんだ。だからそんな怖い目で見ないで」



 雪李の最後の言葉は、雷韋の黄色く変色した目の事を言っているのだろう。



「召喚? まさか召喚魔法サモンか? あんた召喚士サモナーなのか?」



 それに対して雪李は小さく頷いた。

 召喚魔法なら火の精霊を召喚し、使役する事は容易い事だ。雷韋のように直接精霊に干渉するのではなく、異空間から召喚して使役したから精霊の気配に違和感を覚えたのだ。


 だが、と言う事は、雪李は少なくとも根源魔法マナティアも使えるという事だ。何故なら、召喚魔法は根源魔法からの派生魔術だからだ。


 魔術はそれぞれの系統を持ちながら、互いに干渉し合い、同調する。


 根源魔法と精霊魔法も干渉し合う。根源魔法は物質的に、精霊魔法は精神的に。そして互いに干渉し合いながらも同調するのだ。


 何故なら、『根源マナ』は形ある元素であり『精霊エレメント』は形なき元素だからだ。この二つあってこそ、世界は成り立っている。根源の中には必ず精霊が存在するのだ。

 例えば、炎なら火の根源と火の精霊が存在する事になる。


 また、あるいは反発しあう事もある。根源だけのものに対して、精霊をぶつけると、反発して離れてしまうと言う具合にだ。この場合は干渉し合わせなければ、同調するものも同調しなくなってしまう。


 例えば『火』。


 火の根源だけあっても、それはただの物質だ。精霊がいなければ、熱を発しないし燃えもしない。そこに『ある』だけだ。魔術として人為的に本物の火を作ろうと思えば、火の根源と火の精霊を同調させなければいけないと言う事だ。また、火の精霊は光に属してもいるから、根源だけの状態だと明るくもない。


 もっとも、そんな手間をかけなくとも、人為的に簡単に火は出来上がる。一番簡単なのは燐寸まっちを使う事だ。単に火をおこすだけで、自然に根源と精霊が同調して本物の火になる。魔術的に言えば、世界のことわり。一口で言えば、単なる自然現象だ。魔術で火を熾しても、人の思いを意に介さず二つの元素は勝手に同調する。だからこそ、世界の理と言えるのだ。


 心のどこかで妙に得心とくしんしている雷韋を見て、雪李は声をかけた。その時には雷韋の瞳の色はまた、もとの深い琥珀色に戻っていた。



「あちこち本だらけだけど、一つ椅子を空けたから、これに座るといい。あぁ、瓶には触らないで。色々な薬が入ってるから。中には危険なものもあるし。僕は作った薬を薬商におろして生活してるんだ」



 そう言って雷韋を促す。

 雷韋も促されるままに、扉を閉めて椅子へと腰を掛けた。そして、卓の上や床に直に積んである本に目を遣る。目の前の卓から本を一冊、二冊、三冊と次々に手を伸ばしてみたが、どれも魔術関連の本ばかりだった。


 しかも筆跡はどれも違う。


 元々、魔術に関する書物は少ない。魔術は口伝で伝えられるものだからだ。魔術は大きな力を有する。使いようによって、良くも悪くも作用する。それだからこそ、ひっそりと口伝でのみ伝えられるのだ。書物に書き残す事は滅多にない。


 どこで誰に悪用されるか分からないからだ。


 雷韋も魔術を習得する時に、魔術に関しては書き残さない事を師から言い含められていた。

 だと言うのに、雪李のもとには大量の魔導書が存在する。一体どこでどうやって手に入れたものだろうか。なんの為にこれほど集めたのだろうか。それを考えるとまた不安になる。


 こいつは一体何者なのか、と。


 それが顔に表れていたのか、雪李は片付けをしながら苦笑するような笑みを見せた。



「どうして魔導書がこんなにあるのか不思議なんだろう? これらはあちらこちらを旅して、少しずつ集めたものなんだ。魔導書は数が少ないから集めるのに苦労したよ。それでも、ここに落ち着いてもう五年になるかな。市民権を得るのに随分苦労したよ」

「市民権を取った? じゃあ、元々ここの人間じゃなかったのか?」

「違うよ」



 市民権は、元々都市で生まれ育った者にしか許されない特権のようなものだ。もとが旅人や土地を住み替わりたいと思った者は、大概が荘園で雇われて小作人になるしかない。もしくは都市で市民権を取得するのだ。中には村に居着く者もいるが。

 その市民権も簡単に取得出来るものではない。


 まず、都市の周辺に広がる荘園の外で暮らし、都市に通う行商人として何年間か働かなければならず、その間に商業組織ギルドと渡りをつけるのだ。それから役所で手続きをする。その際には多額の金を納めなければならなかった。しかし、行商人の実入りなどたかが知れている。商業組織と渡りをつけても、金が払えなければ永遠に行商人のままだ。

 街に収容出来る人数には限りがあるのだから、敷居が高くて当然だった。

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