BRAIN DRAIN

ShissoJK

第1話 横浜港

 初めてみる日本の風景は和とかそういう古典的な雰囲気は皆無で、どこをみても機械的な色と音が無秩序に広がっていた。最大都市の東京ではなく、ここはまだ横浜なのに、向こうL.A.にいた時と同じような景色が目に映る。ただ時折見かける日本特有の風情を持った建物を見ると、アメリカのサンフランシスコが誇る日本街ジャパンタウンがいかに出鱈目な認識で作られたものなのかがわかった。日本というよりも、東アジアの文化を総まとめしたような。


しばらく都市の空気を感じて、20時に差し掛かろうとした時、街の裏地にある木目調の店構えをしたバーに立ち寄った。今回引き受けた、綿古里という横浜の有権団体の依頼。ここでその依頼人兼仲介者となる人物と落ち合う必要があった。


アナログさが目立つ店内は木とウィスキーの匂いで充満している。ドアの鈴は厚みがある音を鳴らして青年の存在を知らせた。客の数人が視界の端でこちらの様子を伺うのがわかる。しかし彼らの一部は会話を止めることはなく、全く興味を示していないように振る舞っていた。アメリカ人が現代で忍者の実在を信じているのは、こうした忍びの佇まいを基本におく日本人の国民性からなのだろうか。


向かって右の壁に三つ、四人用テーブルが羅列していて、左には、J型のカウンターに席が七つほどあった。四人用テーブルは二つ埋まっていて、男二人、女一人の男女三人組と、チェスで賭けをしている男二人が座っていた。カウンターには後ろ姿で顔が見えない1人の男が手前に、マスターと話している陽気な男が奥の方に座っている。ちょうどカウンター席に座している2人の中間となる位置に少年は腰を下ろした。マスターの男は一旦客との会話を終わらせて青年の正面へついた。


「何が欲しい」


ピクリとも笑わず、どこに焦点をおいているのかもわからない澱んだ目で一言放った。



マスターは無言でメモに書き留めてカウンターにおいた。


「クク、英人はガキでも洒落てんだねえ」


注文をし終えると、先程までマスターと話していた男がウィスキーを煽りながら話しかけてきた。“アスポール”は依頼人が青年を確認するために設定した合言葉であった。全く仕様がないほどに偏見で満ちた合言葉。この愉快な顔をした男の発言は、彼が依頼人であることを示すには十分であった。


「あんたらが好きな酒でしょ」

「単なる戯言だ。それに俺らじゃない、俺がよくやる癖さ」

「やっぱり根から腐ってるよ、思考が」

「深く考えすぎだぜ。世界はもっと平和なことに気がついた方がいい」

「言われなくても知ってる。もっとも、あんたらよりはね」

「かなり俺らのことが嫌いみたいだなあ」

「先に喧嘩腰で来たのはそっちでしょ」

「そうだな、そりゃ認めるよ」

「じゃあ僕は少しも悪くないね」


息巻くような会話に間ができ二人の間に沈黙が生まれる。後ろでは、チェスの勝敗が決まったようで、勝者と敗者のそれぞれの叫びと、金の動く音が聞こえた。青年は興味を失ったのか、男から意識を逸らして携帯を取り出す。次の仕事を探すために。男はその行動に呆れた。面倒な展開だ――だが、綿古里の使者としてここにいる以上、青年を逃すわけにはいかない。焦りがじわりと胸を満たしていく。


「…はぁ、クソガキめ。わかった。わかったから一回こっちこいよ」

「おすすめなに?」

「は?なんの」

「お酒。僕が気に入ったらそっちに行くよ」

「……ウィスキー」


携帯を触りながら片手間に対話をされ不服に思ったが、意味を理解した男は極限まで眉を潜めてそう言った。青年は特に反応を示さない。


「………山崎の…」

「あるの?」

「あることにすんだよ」


マスターは先ほど少年が注文したお酒を男の隣席へ置いた。青年は立ち上がって男の隣に座る。


「やっと来たな。ひねくれ坊」

「あんたも大概」


少年が口をつけようとグラスを持ち上げた時、男は自分のグラスを近づけて言った。


「乾杯しよう」

「…」

「――よし、これで仲直りだ」


グラスの当たる音と共に氷がカランと鳴った。男はそれを一気に飲み干し、マスターにもう一杯を要求した。マスターはメモ用紙をまたカウンターに置き、その流れで青年に問う。


ココ横浜は気に入ったか」


 60代、あるいは70代かと思うほど深く刻まれた皺の顔。目はほとんど開いていない。

「うん。気に入った」

 L.A.とあまり変わらないと思ったものの、港の雰囲気を感じれる横浜は好印象であった。すると、マスターが少年の席に何かを叩きつける。


「この街を気に入らない奴はいない――」


 マスターは、重々しく、芯のある声でそう言い手を退ける。テーブルに置かれたそれは、ランドマークタワーの写真と“スカイガーデン 入場券”の文字が印刷されている長方形のチケットだった。すでに背を向けて隣の男向けの酒を作っているマスターに譲渡の意味なのかを聞こうとしたが、それを男が制した。少し折り目のついたチケットを手に取り、少年の顔に近づける。青年は差し出された紙を受け取り、マスターに向かって困惑気味に礼を言った。


「あ、ありがとう」


 顔がよく見えないが、その一瞬だけ店主の雰囲気が和んだように思えた。もらった入場券をジャケットの内側にある衣嚢に入れる。男に酒を出すとき、すでにマスターの気色は無に帰っていた。男はまた一気にグラスを空ける。


「よし、行こうか」

「僕まだ飲んでない」

「飲まなくていい」

「喉乾いたから」


グラスの4割を占める量が残っている。一口で飲み干し席を立った。ドン引きの目で見てくる男を余所に店の出入り口へ歩き始める。木でできた重厚感のあるドアの先、外に出ると冷たい空気が頬を掠めた。夜の人工的な光がを照らす。横浜ならではのネオン光る港町の光景を目の当たりにした。みなとみらいの海を感じれる空気だけは昔ながらの横浜を体現しているようであった。


「さっきもマスターに聞かれてたが…いいだろ。横浜」

「うん」

「横浜は静かな奴らが多いのさ。東京みたいに表でドンパチやらずに」


男は前を歩き出し、青年は男についていく。


「それよりお前、あんなに飲んで大丈夫か?未成年だろ」

「大丈夫」

「なにが大丈夫なのかわかんねえな。マトモに話ができなかったら困るのはお互い様だろ」

「僕がそんな馬鹿なことするわけないでしょ。あれは偽物だよ。酒じゃない。バーテンダーの男、取引の場ってわかってたんだ」

「へー!あのマスターやるなあ」

「あんたこそ大丈夫なの?だいぶ飲んでた」

「仕事上、俺は酒に強い」


少し歩いて近くの駐車場に着いた。相変わらず人気がなく、停まっている車は、廃車が2つ、生きてる車が2つ。ドシアはそのうちの一つ、街灯に照らされ鋭く光る車のボンネットを撫でて、満足げに笑った。ヘッドライトに取り付けられた複数のライトが異才を放ち、同時に車の存在感を確かなものにしていた。最も、フロントグリルに取り付けられたホンダのエンブレムは、そういった各部位の奇抜さを統括している。


「ところで、日本車は初めてか?」

「何回かあるよ。この車種は乗ったことないと思う」

「ホンダに乗ったことがないのか?外国人は見る目がないな。日本車と言ったら今も昔もホンダさ」


男は車のロックを開けて、内装も自慢げに見せた。青年は適当な褒め言葉を残して助手席に乗り込む。わずかな寂しさを胸に男も運転席へ腰を下ろした。


「なかなかいい車だろ?」

「まあ、安心感はあるかな」

「ハッ。素直じゃねえなあ」


エンジンをかける。あまりいい音ではない。しかし、走り出すと車の性能の良さが全身で感じれた。シートに深く座っているわけでもない、この乗り心地は車本来の能力である。前方に目をやるとみなとみらいと繋がっている橋が見えてきた。


「そういや、自己紹介がまだだったな。俺はドシア。今回、お前と綿古里を仲介する役目だ。よろしくな」

「よろしく。僕はナディア」


挨拶を交わしたあとに窓の外を見ると、車は中央市場通りから横浜臨港幹線道路に移り、海の上を走っていた。遠くの方にみなとみらい21が見える。空には、救急車両やら警察車両やらが忙しなく飛行していて、ガラス越しにサイレン音がこもって聞こえてくる。


「本名か?」

「違う。今回だけ、日本にいる間だけの名前」

「なんでまたフランス名なんだ。お前、英人だろ」

「前の仕事相手がフランス人で、そいつがつけた」

「ふぅん。センスのねえやつ」


窓の外を見て背を向け続けるナディアを見て、ドシアはいきなりハンドルを切る。荒く右へ。遠心力に煽られ、ナディアはドアに腕を突いて体を支えた。何か言いたげなナディアを横目でとらえて、ドシアは口元を吊り上げた。


「折角なら日本人名をつけてやる」

「…別に名前なんてなんでもいいって」


ナディアは子供じみた注目の集め方に、また、何事もなかったかのような振る舞いに呆れた視線を送った。


「そうだなあ。日本っぽいっていうと、天気とか色だよな。うーん」


ドシアの目つきから、さっきまでの愉快さが消え、随分と真剣に考えていることがわかる。名前なんて個人を特定できるならなんでもいい、それは間違いなく本心だ。


しかし、自分の考えとは裏腹に、かなりの人たちが、“命名”という行為に対して特別、意味を見出している気がする。そして誇りに感じているように思う。優越感に浸るためだとか、そういう下心によるものなのかもしれない。


ただ、今にそういう野次を飛ばすのは、意味を知っている相手に対して余計な一言であることはわかっている。高級車らしく心地のいい座席に身を委ね、ドシアの次の言葉を待つことにした。

フロントから見える景色は、他の車と街頭による幾多のライトが大半を占めていて、少々眩しかった。


「青、青な。それじゃあちょっと寂しいな」


独り言がポツポツ聞こえる。


「うーん…うんうん。決まった。アオバ、アオバだな!」

「アオバね」

「ナディアより似合うぜ。我ながら良い名前を考えた」

「じゃあ今回はそう名乗ろうかな」

「まじか、そりゃ嬉しいねェ。漢字は未定!あとで考えてやるよ。改めてよろしくな、

「うん、よろしく」


車内には日本のシティポップが流れていて、ドシアはそれを口ずさみながら陽気に運転をする。アオバは新しい名前を頭の中で反芻した。

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