第18話 合宿最終日
翌朝、つまり合宿最終日。
初日と同様、合宿参加者が全員収容できるほど広いホールに集まった。
この三日間の集大成を披露する日でもある。
「ちょっと緊張するね……」
「ファイトです、綾芽ちゃん!」
「う、うん……」
隣で綾芽と河織の話声が聞こえる。
他の人も二人と同じように、緊張や不安でそわそわしている人が多かった。
それで俺はと言えば………。
――寝不足で死にそうだった。
とりあえずすっげー眠い。
それに若干頭痛もするし、気分も悪いし、体もふわふわした感覚だし、気を抜けば意識を失いそうになる。
緊張とかそれ以前の問題だった。
原因は明白。
昨晩居酒屋で、いつの間にか眠ってしまったらしく、寝ぼけていたのか、合宿場へ戻ってきたさえもあやふやだった。
そんなんだから、熟睡できたわけもなく、疲れも残ったまま、睡眠不足でコンディションは最悪。
その元凶たちは舞台端にいて、そこへ向かって恨みがましい視線を向ける。
三上先生はいつも通り凛々しい立ち姿で、昨日夜中まで飲み明かしたなんて誰も思わないだろう。
俺も昨日まではあの外面に騙されていたよ。
西田先生の方は、三上先生とは対照的にとてもけだるげな様子だった。
ぼやーっとしてて今にも欠伸をしそうだ。
やっぱり西田先生でも疲れを隠し切れないか、と思ったがそういえばあの人はいっつもあんな感じだった。
外面くらいシャキッとせーよ。
ほんとなんであの人は先生できたんだ、人手不足なのかしら。
そんなことを考えていると、舞台中央に司会担当の先生が登壇する。
だんだんと生徒の話声が小さくなり、その司会へと注目する。
ついに成果発表会が始まる。
最初にこの成果発表会の説明はされているが、今の俺にそんなの頭に入ってくる訳もなく、ずっと睡魔と戦っていた。
各班リーダーのくじ引きの結果により順番は決まっている。
1班の順番は、一番最後。大トリである。
なかなか、くじ運のよいリーダーだった。
そして、各班の発表が始まる。
だが俺は、成果発表会の内容を全く覚えていない。
睡魔との戦いに敗れたからですね。
そしてだんだんと順番は近づいていき……。
※※※※
「あー……」
ホールの外へと出るとぽかーんと脱力したまま夕空を眺める。
合宿の全プログラムは終了し、3日ぶりに各学校ごとの集合となる。
1班の成果発表は、大きな問題はなく幕を閉じた。
それはもうあっという間に。
終わったという実感が持てないくらいに。
というのもその原因は、本番中、俺の頭の中は空っぽだったからだろう。
幸い今までの練習のおかげか、体は勝手に動き、台詞は条件反射で出てきたので劇の進行は問題なかった。
逆に余計な事を考えなくて、よかったのかもしれない。
だから、俺が舞台上でなにをしでかしたのかは、全くわかっていなかった。
劇が進んでいたからとはいえ俺がどこかでミスをしていて、それを誰かにフォローされていたのかもしれない。
三日間の集大成となるはずの本番を終えても、充実感とか達成感とか、逆に後悔とか、そういうのはなく、無、だった。
そんな感じで一人で黄昏ていると、星蔵演劇部の声が聞える。
「はい、みんな合宿お疲れさん。15分後にバスは来るから、トイレはさっさと済ませておけよー」
駅で一度星蔵学院演劇部で集まると、テキトーな口調で西田先生は号令をかける。
そんな西田先生に、非難の視線を向けている人が一人。
「西田先生」
「げっ。朝宮、さん」
我らが副部長、朝宮先輩だ。
朝宮先輩はいつも通り、柔和な笑みを浮かべているが、言葉に若干棘があるように聞こえる。
「生徒に向かってなんですかその態度は」
「いやー、ははっ。なんでもないよ」
「それより西田先生。お話があります」
「……なんでしょうか?」
「西田先生は、いつここへいらっしゃったのですか?」
「……ふむ、それはだね朝宮ちゃん」
「私は初日から引率をお願いしましたよね? 日程も、確かに西田先生に報告もしたはずです」
「……それはだね、君ら生徒を僕は信頼しているからであってだね」
「そういう問題ではありません」
「それに、話はもうつけてあっただろう? だから特に問題は――」
「そういう問題でもありません」
「…………」
こえぇぇ。
いつもは優しい先輩なのに、西田先生のこととなると人が変わったように厳しい態度をとっている。
二人の相性はどう見ても最悪。
完全に西田先生に原因があるのだけれど。
西田先生も朝宮先輩に叱られているときはいつものうざったらしいへらへらとした表情は消え失せ、顔が引きつっていた。
ざまあないと普段なら思うが、思わず同情してしまうくらい西田先生はたじたじだ。
まあ、胸がすっとするけどさ。
そんなやりとりを横目に見ていると、俺の方へと近づいてくる人がいる。
「晴君? どうしたのそんなところでぼーっとして」
「綾芽か。いやまあ、なんというか、うーん、なんというべきか……」
「……?」
俺の曖昧な反応に首をかしげる綾芽。
「そんなことよりさ! みんなの感想見に行かない?」
「感想?」
「成果発表の感想を班ごとに書けるスペース作るって、最初に言ってたでしょ?」
「あー」
全然聞いていなかったから、知るはずもない。
多分、寄せ書きのように感想を書ける大きな模造紙のことを言っているのだろう。
演劇の発表会でよくあるからイメージはできた。
だが……
「うーん、俺はいいかな」
「ええ?! なんでぇ?」
「いや、俺そういうのあんま書かないし……」
「えぇー」
というか、書けない。
申し訳ないことに爆睡してしまったから。
まあ、一度だけ書いたことはあるけど……。
「晴君に対しての感想もあったのに」
「……え、まじ?」
「うんうん。……わたしも書いたし」
それは想定外だった。
どうせ俺に対しての感想はないと思っていたのだが、まあ主役だし、当たり前と言えば当たり前か。
いやでも、それは決して好意的な感想とは限らない。
ヘタクソな人が主役を、それに比べられるのは、あの隅田さんだ。
引き立て役どころか足を引っ張っているのは確かだろう。
でも、いや、正直見たい、とても気になる。
「…………」
「……晴君?」
「じゃあ、ちょっとだけ、見に行こうかな?」
※※※※
エントランスホールには、まだちらほらと人がいた。俺らともくてきは同じようだ。
色とりどりのペンで書かれた文字をぼーっと眺めながら一班の感想を探す。
「晴君、こっちこっち!」
綾芽が差指し示す方を見る。
右上に大きく一班の文字。
そして、他の模造紙と同様、感想がびっしりと書かれている。
だが、他の班と比べ明らかに感想の数は多い。
他の班と比べ異色だったと言うのもあるが、ただただ悪目立ちしただけではなさそうだ。
まず、目に付くのは、隅田さんについての感想、半分以上の感想に隅田さんについて触れられていた。
そして、次いで多いのがやはり前橋さんだ。
予想外だったのが……。
「ね? 晴君のことも書いてあるでしょ?」
「…………」
――スグル役がばっちりハマってて、特に怒との掛け合いが大好きです!
――ユミや感情達に振り回されているスグルがとても面白かったです!
――演じているっていうよりずっと自然体で、まるでスグル本人じゃなかって思っちゃいました!
まあ、隅田さんと前橋さんのついでで書かれているようなものが多いし。
主役なんだし、目について当然だし、無難なところで書いてくれたんだろう。
きっとそんなところだ。
「……ちょっとトイレ行って来る」
「え? ちょっとハル君⁈」
その言葉だけ残し、綾芽の返答を聞く前に飛び出す。
駆け足ほどでないが、早歩きで人気のないトイレへと向かう。
「あ、ハル! 良かったっすよ1班の発表……、って行っちゃった。ハルどうしちゃったんすか?」
「さあ……?」
だって――
「……ははっ」
だって、自分の感情を抑えきれそうになかったから。
トイレに駆け込み、誰もいないことを確認すると、
「……ぶっ! ははっ、あははっ! あーあ、ははっ」
ずっと抑えていた感情を爆発させるように、豪快に笑う。
ひとしきり笑って、落ち着かせるように深呼吸。
でも、鏡には、やけている俺が映っていた。
あーあ、気持ち悪いなぁ俺。
さっき見た感想を思い出していく。
「ふふっ」
おいおいおい。
なんだよ、これ。
めちゃくちゃ嬉しい。
「あははっ」
めちゃくちゃ嬉しい!
人に褒められるって、こんなに嬉しかったっけ?
たった3日間だけど。
俺の努力が人に伝わってて、認められて、頑張ったことが報われるってことが、ここまで幸せなのか。
『人に褒められるのは、好き』
「あっ……」
それは、隅田さんが中学生の時に言っていた言葉だ。
今なら、その言葉を真に共感できるかもしれない。
そりゃ、こんな気持ちを一度味わってしまったら、難しいことなんて考える必要もない。
『そんなに瑞希を救いたいと思うのならば、君が自分で伝えればいいだろう』
昨日、三上先生に言われた言葉だ。
救うなんて思ってはないけど、俺の気持ちを正しく伝えたい、それに、仲直りもしたい。
……一度失敗したのに、まだ凝りていないのか俺は?
俺にはそんな力はない、その考えは今でも変わらない。
「……よしっ」
でも、傲慢にも、今なら何とかできそう、なんて思ってしまうんだから、しゃーない。
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