第26話 ヨハネスの結論

 お忍びデートをしたあの日から、私たちの関係性は、急激に変わった。


 まず、今までも適当ではあったけれど、私的な場での敬語や丁寧語を完全に禁止された。

 ヨハネス様呼びも禁止だ。

 ヨハンと呼ぶしか、なくなった。


 それから、私から頬にキスをしたばっかりに、「そこまではいいんだよね。だって自分からしたんだもんね。文句は言えないよね」と頬にキスされるようになってしまったのだ。

 

 ある時は、会うなりすぐにこう言われた。


「ライラ、キスがしたい」


 こんなにド直球に真正面から言われたことは、今までの人生で一度もない。


 少しだけ耳を赤くしながら私の両目を見つめてストレートに言うヨハンに、私の方がよっぽど赤くなってしまう。


「……どうぞ」


 ソファの上で所在無げに両手の指を合わせながら、目を閉じるべきか開けるべきか悩みながら頬にキスされるのを待つ私は、今のライラの年相応の反応になってしまっている気がして……それも恥ずかしかった。


「キスを待ってる顔、可愛いよね」


 そんなことを言いながら、私を観察するようにゆっくりと頬にキスをするのでもう、脳髄が溶けるかと思った。


 あの日から、ヨハンは私と二人きりでいる時に手袋をはめていたことは、一度もない。


 顔に触れる手からは彼の体温を感じ……、満足するまで頬にキスをされると、次の言葉も決まっていた。


「僕以外には、させないでよね」


 その後にボードゲームなり何なりを始める、というお決まりのパターンが、何度も続いた。


 そうして迎えた、彼の十二歳の誕生日が迫っていた、いつものお茶会の日のことだ。


「二年以内に結論を出してほしいと、君に言われていたと思う」


 唐突に切り出されドキリとしたものの、心の準備は常にしていて、動揺はしなかった。


「ええ……結論は出たのかしら?」

「ああ、こうするという方針は決めたよ。ただ、そのための下準備や根回しがしたい。君に知られずに」


 今、言っているじゃない……。

 つまり、彼が言いたいのは、こうだ。

 ――色々やりたいから深く突っ込まずにただ待て、と。


 ほんっとうに、いい根性をしている。


「いつまで待てばいいのかしら」

「僕の十六歳の誕生日かな」

「……遠すぎるわね」


 王立学園に入学する、前年度だ。

 文句を言っているのに、予想通りとばかりに微笑まれる。


「その代わり、君の要望は叶えるよ。婚約を解消し、その上で君がダメージを一切負わないようにする。それが君の望みだろう? その望みを叶える。約束するから、待っていてほしいんだ」

「……分かったわ」


 そうまで言われて断れるわけもなかった。

 いったい、何をどうする気なのか……。


 あれから、何年もの月日が過ぎた。

 甘い台詞も、とんでもない勢いで増えていった。


「自室にいると、よく君を思い出す」

「君と共にある未来しか、僕には見えないな」

「僕は、君の虜になったようだ」

「愛しているんだよ、ライラ」


 何がどうしてそうなったのか、全く分からない。お忍びデートがそのスタートだったということくらいしか、見当がつかない。


 ――そうして、ヨハンの十六歳の誕生日パーティーの日がおとずれた。


 馬車に揺られて王宮に向かっているけれど、何かが起こる予感しかしない。馬車の揺れよりも、自分の手足の震えの方が気になる。


 父と母は、先に王宮にいる。パーティーが始まる前から社交の場は始まっているからだ。

 私は、パーティー開始すぐ前に入ってヨハンに挨拶をして、彼とダンスを踊ったらすぐに帰宅してもいい立場にある。


 ――とはいえ、いつもそうはならないけれど。


 ヨハンの私室で一緒に過ごしてから帰るのが、当たり前になっていた。


 社交は十六歳になれば本格的に参加はするものの、王立学園に入学するから、それはもう少し先だ。


 何が起こるの……。

 私が頼んだとはいえ、怖すぎる。


 家を出る前の両親も、いつもとはどこか違っていた。


 両親との仲は、かなり良好だ。

 私がヨハンの婚約者であることに母が強くこだわるのは、母自身も自分の価値を信じられていないからかもしれないと思った私は、父に「お母様のどこが好き?」といったことをこっそりと聞き、母に教えてあげるということを繰り返した。もちろん、逆もだ。

 両親大好きアピールも同時にした結果、今はものすごく可愛がられている。


 その両親が、いやに出発前に私のことを気にしていた。


「あー……ライラ、体調は大丈夫なのか? 何かあるなら休んだっていいんだぞ」

「そうよ、ライラ。無理しなくてもいいのよ。本当に体調は大丈夫なの?」


 と、どこからどう見ても健康そのものの私に、不必要に体調を気遣っていた。この日が来てしまったという焦りのようなものを、二人から感じた。


 いったい、どんな根回しをしたのよ、馬鹿ヨハンー!!!


 あああああ、震えが止まらない。


 こんな時は、恐怖が飛んでいく呪文を唱えるしかない。

 精神年齢は、おばちゃん。

 精神年齢は、おばちゃん。

 怖いものなんか、ない。

 精神年齢は、おばちゃんよ。


 うっうっ、怖くて泣きたい。

 私の中で眠る、高飛車ライラちゃんの精神よ、目覚めろ……!!!


 そんな非生産的なことを考えている間に、無情にも王宮についてしまった。


 馬車の扉が開かれ、降りようと外を見ると、目の前には既に彼がいた。


「お手をどうぞ、僕のライラ」


 ――なんて、絵になるのだろう。

 

 背後には、荘厳な敷地。

 奥には豪華絢爛な宮殿がそびえ立っている。


 優しげに微笑む彼の手に私の手を重ね、そっと地面に降ろされる。


「ヨハネス様、お迎えまでしていただいて、ありがとうございます。お待たせしてしまったかしら」

「いいや、全く。君を待つ時間も、僕には楽しく感じられる。ライラ、ここではまだヨハンでいいよ。いつも通りに」

「分かったわ、ヨハン。お出迎え嬉しいわ。ありがとう」


 彼はこの何年かでエスコートも上手くなり、どんどんとゲーム内のヨハンに近づいてきた。

 私にかける言葉にも、常に甘さが混じる。


 彼の腕に手をそっと添えるも、震えはまだ止まらない。

 泣きたくなるような思いを隠すように、強気の微笑みを浮かべながら、ゆったりと一緒に優雅に歩く。


 今はまだ、王太子ヨハネス・ブラハムの婚約者。その肩書きは今日で最後かもしれないけれど、ライラ・ヴィルヘルムの可憐な歩みを、とりあえず後ろのミーナとシーナ、それに両側に並ぶ護衛の人たちに、見せつけてやる!


 泣きたいけどー!!!


 そうして私は、隣を歩く彼が何かを企んでいるに違いない会場へ、辿り着いてしまった。

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