第15話 夢

「胆が冷えましたよ」


 私に寝衣の腕を通してくれながら、シーナが言った。

 着替えくらい一人でできるものの、彼女らの仕事を奪ってはいけないことくらい、理解している。


「私も、扉の前で青ざめておりました」


 ミーナが、着替え終わった私の髪に櫛を通しながら、軽く頭を振った。


「あー、やっぱり私、危ないこと言った?」

「そうですね。最後あたりの言葉がなければ、嫌われていたと思いますよ。私だって、母からの愛が欲しいんですよねと言われたら、殺意が湧きます。結果的には、必要以上に好かれたようですが」

「やっぱりそうかー」


 あれは、やはり駄目だったらしい。

 嫌われる、という表現だと可愛らしいけれど、ヨハネスと無関係の存在になったら殺されかねない、という意味だろう。


 そうなるような展開になるよう仕組まれる可能性も、あるのかもしれない。


 カムラが大笑いしたのは、それを私が踏まえた上で、自分の命を天秤にかけてあの占いの結果を言ったと分かったからだろう。

 つまらないことに命をかけると、笑ったに違いない。


 ヨハネスも、きっとそうだ。

 手出しはさせないと言った手前、今後守るのが義務になるのかと思った直後に私がああ言ったので、面白かったのだろう。


 ……シーナはどうかな。恐怖の後に二人が笑い始めたから、つられただけかもしれない。


 ミーナとシーナは、元メイドの子供だ。幼い内に母親を亡くし、父親は行方不明だ。

 働き続けることを希望した母親の意思を汲んでこの屋敷で育て、遺書通りに幼い彼女たちを外国の養成所で鍛えた後に、この国のメイド養成学校に入れたらしい。


 外国の養成所は、カムラのいた組織と似たり寄ったりのはず。

 だからこそ、殺伐とした言い回しが、たまに彼女たちからも出るのだろう。


「ライラ様、令嬢言葉を忘れていますよ」


 シーナが、私の顔に化粧水を押しつけながら指摘した。


「あー、たまに忘れるわ。もう、今日は疲れたし、なくてもいいんじゃないかしら」

「それでは、疲れた時に外でも忘れてしまいます。社交の場では必要ですよ。ライラ様、本当に変わりましたね」


 シーナの言葉に、香油を髪に塗り込めているミーナも、うんうんと頷いている。


「仕方ないわよ。人格までちょっぴり変わるくらいの長い夢を見たんだから。はー、もう今日は頑張った。疲れちゃったわ。死亡フラグもなんとか回避したんだし、もう寝かせてー」


 一通り寝る準備が整ったのを見て、ふらふらとベッドへ進み、倒れこんだ。


「あらあら。しっかり布団をかぶってくださいね」

「はーい」


 ガラガラと支度用のワゴンが動かされる音がする。

 もう、目も開けたくない。


「私たちも、ライラ様の幸せを、無条件にお祈りしていますわ」


 そう言ったのは、どちらだったのだろう。

 何も考える気力もなく、ゆるゆると夢の中に落ちていった。


 * * *


「ねぇ、メルル」


 メルル?

 それは誰?


「メルル、君だけが僕を分かってくれる」


 ……ああ、これは夢だ。

 かつての、夢。

 あちらの世界での、ゲームの夢。


 目の前には、美しい花園。

 学園の池の脇にある木々を抜けて、人が一人抜けられるだけの壊れた柵を越えて進むと、突如として広がる、夢のような花園。


「君は、何度も僕に自分は相応しくないって言うだろう。その度にずっと、相応しいってなんなのかなと考えていた」


 相応しい、か。

 ライラは、相応しかったのかな。


 前世の記憶のある私は、きっと相応しくない。


 初めてデートをするドキドキ。

 初めてキスをするドキドキ。


 私は同じようには、きっと思えない。


 夫がいた。

 息子もいた。


 ぎこちないような初々しい若い恋は、私にはもう無理だ。


「ねえ、メルル。相応しいって、何? 誰かから見て似合っていないとか、立場や身分が違うとか、そんなもので僕の幸せを奪おうとしないでくれ」


 奪う、か。

 相変わらず、ずるい言い方をするのね、ヨハネス。


 ……ああ、でも私が最初に知ったヨハネスは、こちらが最初……かな。


 よく分からない。記憶も曖昧で、夢独特の浮遊感で頭がぼーっとする。


「僕の幸せは、君の隣だよ。ずっと側にいてほしい。僕の幸せは、そこにしかないんだ」


 愛しい人に向ける、特別な顔。

 何があっても動じない、王太子らしいあの人が、縋るような切ない顔でメルルを――私を見つめている。


 奪わない。

 奪うつもりなんて、ない。


 あなたはあなたで、幸せに。

 私も私で、幸せになりたいの。

 ――それだけは、認めてほしい。


 風景が、淡くぼんやりと周囲に溶けていく。

 だんだんと、違う景色に……。


 ここは、どこ?

 豪華な部屋……この家具の配置……どこかで見たような。


「やぁ、カムラ。君にお願いがあって、無理言ってここに来てもらった」


 これは誰?

 ずいぶんと、可愛らしい。

 ヨハネスの面影があるような……。

 小さな小さな、ヨハネス?


「は、はい。俺……あ、いえ、私は、この国へ連れて来られたばかりで、礼儀も話し方も……まだ、これから習うところです。失礼な、えっと、言い方をしてしまうことも、あるかもしれませんが……」

「いい、いい、そんなの。分かってて呼んだんだよ」


 まだ小さいのに、そんな話し方がもうできるのね。

 カムラは、今のヨハネスと同じくらいかな。十歳くらい? まだ少年なのに瞳が暗い。嫌なのに、無理して話している感じね……。


「それで、お願いっていうのはね、カムラ。昨日、僕はとても怖い夢を見たんだ。大きな鳥のくちばしにくわえられて、恐怖の館に連れていかれちゃうんだよ」

「は、はぁ……」


 何を言っているんだコイツという、嫌そうな顔をしている。……まだそういうの、隠せないのね。


「だから、君に添い寝してもらおうと思って」

「はぁ!?」


 周囲の使用人まで、どよめいている。

 何を言っているんだろう、この子。

 これは、本当にあったこと……?

 私の、ただの夢……?


「し、失礼を承知で言いますが……」

「ああ、むしろ思ったことを全部言ってほしい」

「なら、全部言います。知っているでしょう、俺は今まで殺しの仕事ばかりやっていた。そうすることでしか、生きられなかった。金持ちに対する嫉妬だって、あるかもしれない危ない奴ですよ。だから周囲も、まだあなたに近づけさせていない。これから俺に対する教育がされるんだ。そんな奴を同じ布団って、自殺行為だ。そこらに、思い通りになる手駒くらい、いくらでもいるだろう。なんで俺なんだ。こんな馬鹿な王子が、いずれ国を担うって? それこそ悪夢だ!」


 動こうとする周囲の者を手で制し、ヨハネスは笑顔のまま、答えた。


「僕の心配をしてくれるなんて、優しい人だね。君の実力は聞いているよ。ものすごいんだってね。だから、仲よくなりたいんだ」

「……それは、数年後でもいいはずです」

「僕は、今がいい」


 周囲の使用人のうち、一人が一歩前に出た。

 少しだけ若い、クラレッド?


「ヨハネス様、あなた様の御身を守ることが、我々の仕事。それは許容できかねます」

「僕は、いつか彼を筆頭執事にする。クラレッドの後釜は彼に決めた」

「それは……」


 使用人の人たちが迷い出しているのが、見てとれる。

 筆頭執事になることがほぼ約束されるなら、彼の出自を考えると、何かされる可能性は低い。


「……分かりました」


 カムラが、覚悟を決めた顔で両手を差し出した。


「そうなれるほど強くなれるかは分かりませんが、俺の両手と両足を縛ってください。それなら、一緒に寝ることを許してもらえますか」

「ええー、そんな状態の君が目の前にいたら、気持ちよく寝られないよ」


 クラレッドが、深いため息をつく。


「分かりました。今日は私が天井裏に潜みます。何かあれば私が対処する。それでいいですね」

「ああ、それでいい」


 天井裏。

 曲者を警戒して、王族が移動する時は追うように警戒にあたり、一室にいる時は、その真上が見える範囲のどこかで見張りをしている。


 わざわざ言うということは、真上にいますねという意味だ。外からの侵入者に備えて、すぐに部屋へと降りられるように、なっている。


「それで、気持ちよく寝られるんだ……」


 カムラの独り言が聞こえた。


 また、風景が揺れる。

 暗い……何も見えない。

 ここはどこ?


「カムラ、ねぇカムラ。僕は怖いんだ。僕に今何かあれば権力闘争が激化する。将来何かあれば国が混乱する。それは前から聞いていたけど、だんだんと怖くなってきた。だって僕は……こんなに弱い」


 囁き声のような、小さな声。

 弱々しい声。


「守ってくださる方は、たくさんいるでしょう?」


 感情のこもらない声。

 さっきのカムラの声。


「裏切る人は、その中にいない? 本当に皆、ずっとずっと味方?」

「それは……」

「本当に信じられる人を、見つけろと言われた。今、誰の息もかかっていなくて、絶対にいつか強くなる人は、カムラしかいない。今でも化け物じみた強さだって聞いた。僕は、まだ小さいかもしれないけど、命をかけて君と一緒に寝てる。僕を、ずっと守ってほしいとお願いするために」

「そう……でしたか」

「怖くて怖くて、仕方ないんだ」


 声が震えている。

 本当に小さな声で、儚くそのまま消えてしまいそう。


「王族も、大変なんですね。考えもしなかった」


 ポツリと呟くカムラの声は、今までのどれとも違う。怒りでも、優しさでも、無感情でもなく……。


「俺が、間違っていました。あなたは馬鹿ではなかった。いいですよ。俺が、あなたを守ります。そうできるほど、もっともっと強くなるし、礼儀とか作法とか、やる気のなかったそういうのも頑張りますよ。怖がりのあなたがつくる国を、側で見せてください」

「うん。悪夢のような国になったら、殺してくれていい」

「……ふっ。分かりました。あなたの側にいれば、俺もいつか……」


 なんて言ったのだろう。

 聞き取れないまま、全てがぼやけて、どこかへ引っ張られる。


 起きてしまう。

 朝がくる。


 なんて言ったの? カムラ――。

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