第20話 気付いてしまった
「気が向いたのか知らないけど、私はつまんない女だから、一回用事が済めばすぐ飽きるよ」
「それならいいけどさ……さっきの話なんだっけ」
「そうそう、最近出た本で面白いのあるって前喋り倒してたでしょ。あれ、タイトル教えてくれない?」
途端、白田が顔全体を歪ませる。どうやら彼女の機嫌を損ねたらしい。
「あんた、私があんなに勧めてたのにタイトルも覚えてないの!」
「始終叫んでたから、何言ってるのか全然伝わってこなかった」
「信じられない……」
盛大に落ち込み机に頬を付けて泣き真似をする白田に、どうにかタイトルを聞きつけ、後で行くらしい宮野の用事ついでに図書館で借りることにした。流行りの本であれば大学の図書館で事足りる。
遅れてやってきた教授が講義を淡々と始める。レポートには厳しいのに自分自身が時間にルーズなことは、目上の人間と言えども褒められたものとは到底思えないが咎める者はいない。例え理不尽なことであっても、己に返ってくるリスクが大きい場合は、誰しも事を荒立てたくない。相手が重要な人物でなければ尚更だ。人との関係は所詮、九割方は利己的な世界で成り立っている。
終わりはきっちり時間通りで、教科書を片付けていると宮野に連絡先を尋ねられた。待ち合わせをするのだから必要だ。次も講義が入っており休憩時間が少ないので、さっさと済ませて教室へ向かう。まだ二年生で必修科目が多く出席も立派な成績基準の一部だから、大学にいるのにサボっては、いざ体調を崩して休まなければならない時にツケが来てしまう。
最後の講義が終わると、その様子を観察していたのかすぐ宮野から連絡が着た。すでに着いているという内容だったため急ぎ足で図書館がある棟を目指す。棟の入り口で宮野が手を挙げて出迎えた。
「じゃあ入ろっか」
一瞬宮野の体が色葉の腕全体と距離を無くし、ぎこちなく一歩遠くへずれる。
彼のようなタイプが近づいてくるのは初めてだ。
異性の友人はいる。しかし、こうして仲良くなる前から押してくる人間はいない。
もしかしたらもう仲が良いと思われているのかもしれない。一回顔を突き合わせて連絡先を交換したら友人と認定する者もいるだろう。ただし、色葉はそうした人間関係の中で生きてこなかった。
お互い、好きなことや苦手なこと、今日あった些細なことが話せるようになって、徐々に「ああ、彼は、彼女は友人なのだ」と実感していくのだ。端と端を摘まんでいるだけで離れ切っている糸を強引に引っ張って抱きしめる行為は、色葉にはとても難しいものであった。
「何で宿題ってあるんだろう」
図書館での呟きは意外と響く。例え、横にいる人間に聞こえないつもりだったとしても、案外聞こえているものだ。色葉も例外なく、独り言だろう宮野の言葉がはっきりと耳に届いた。
宮野の疑問は、何故勉強をせねばならないのかという疑問と同じ線上にいる。突き詰めれば様々な答えがあり、勉強そのものが勉強である、頭を使うことを習慣付ける等、人によって違う正解を見出している。だから、この疑問は非常にナンセンスで、誰しもが持つものだと色葉は思っていた。かく言う色葉自身も、同じことを思ったことは何度かある。しかしそれも大分昔であり、いつしか自分の中で消化されて疑問にすら感じなくなった。
「あ、これ使えるんじゃない? 教授が何冊か言ってたやつの一つだよ」
「ありがと~! メモしてなかったからラッキー」
腕に触れてくる宮野は実に明るい男子で、カラーコンタクトを入れた大きな瞳も、ワックスで整えられた茶色い髪の毛も綺麗にまとまっている。昨日までと今日、いきなり慣れ親しんだ話し方に変わった意図は分かりかねるが、慣れない状況に戸惑いが大きく拒否出来ない。腕を振り払わないことを肯定と取った宮野は上機嫌で、本棚から本棚へ連れ回していく。
関係の無い本棚まで見て歩くことになり、レポートで使う資料を全部集めていたら遅くなったため、途中まで二人で帰ることになった。友人と帰ることはあるが、それは同性の話で、男子とこうし並ぶのは初めてだ。同級生だからというよりは宮野が話好きのため話が途切れることはなく、宮野が降りる駅まで他愛もない話題が続く。ふとした時触れる肩が、二人の近さを物語った。
――歩く時の利児君との距離が桃也さんだったら。
なんて思ってしまった。違和感が襲う。宮野と桃也、何が違う。年齢? 職業? いや、色葉が心うちで思う何かだ。
宮野と並ぶと緊張する。新鮮な仕草に驚きもする。ただ、それだけだった。きっかけはどうであれ新しい友人とせっかく一緒にいるのに、桃也を思い出してしまっては申し訳ない。そうは思うものの、止めようと思えば思う程、色葉の中で桃也の姿はどんどん大きくなっていった。
コトとも数日会っていない。バイトが入っているので週に三日が限界で、前回会ったのは火曜日だった。目の具合は悪くないか、つまづいて怪我をしたりしていないか。ただの知人で、以前は道ですれ違っても振り向くことすらない赤の他人であったのに、実に奇妙な関係だ。大事にしたい。
もう夕食は済んだだろうか。間に合わなかったとしても、顔だけでも合わせておきたい。どれくらい目が見えないかは、本人になってみないと苦しみを理解したつもりにしかなれないから、平気で暮らすコトの辛さをなるべく傍にいて感じ取りたかった。
本当は、俊彦に知られたくないこともあるに違いない。これは勝手な我儘だ。少しでも、一日でもコトの時間を延ばしたかった。
――おばあちゃんがいたら、こんな感じか。
友人とは楽しい、宮野とは緊張する。コトの傍は安心する。そして、桃也の隣はどきどきした。
なるほど。
気付いてしまった。
友人と隣同士の電車の中で、耳まで真っ赤にさせて俯いた。
「……あ、白田に聞いた本借りるの忘れた」
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