第一章(04) 竜と少女
男達の悲鳴はすぐさま蛮声に変わった。木々の向こう、巨体に槍を構えて挑む仲間達が見える。一人が瞳に向かって槍を構えていた。まさに突き刺そうとしたところで『戦竜機』の頭が蛇のように動いて彼を突き上げる。手から離れた槍、宙に打ち上げられた身体。そして『戦竜機』は口を開いたかと思えば、その身体に噛みつく――。
溢れ出た血が、ぼたぼたと零れるのをゲルトは見た。鉄のような臭いが濃く漂ってきて、駆けつけようと踏み出した足に絡みつく。『戦竜機』を取り囲む他の仲間達も、怯み言葉を失い、仲間の断末魔を耳にするほかなかった。けれども一人が我に返って槍を構える。巨大な鉤爪がある手を避けて、懐に入り込もうとしている。
「行くぞ!」
隣にいた仲間が槍を握って駆けだして、ゲルトもようやく我に返った。足は震えていた。全身は恐怖に冷えているようで、だが燃えてもいるようで、感覚がおかしくなってしまっていた。しかし逃げ出すわけにはいかない――『戦竜機』を仕留めなければ、このまま街にやってきてしまう。
守らなければ。そのために、戦わなくては。
重たく、あまりにも手に馴染まないものの、ゲルトは槍を強く握った。
ところが。
――耳を塞ぎたくなるような咆哮。鞭のようにしなった尾。数人の仲間が払われ、樹に叩きつけられる。ずるりと地面に落ちた数人は、血色に染まって、胸から白い骨を突き出させていた。それでもまだ動ける者がいて、起き上がろうとする。だが『戦竜機』のあぎとがそこに降ってくる。
『戦竜機』は食うために殺しているのではない。
殺すために、殺しているのだ。
仲間の下半身が転がった。そして『戦竜機』は口の中に残っていた上半身を吐き出し、前足で踏みつける。まるで果実のように肉は潰れて、地面を赤く染めた。
ひゅっ、とゲルトは息を呑んで、その場から動けなくなってしまった。
いまはまだ昼過ぎ。夕方前。不安を煽る赤い月はどこにもない。
木漏れ日の射し込む森の中、全てが鮮明に見えてしまう。
「――よせ!」
とっさにゲルトは走りゆく仲間の背に手を伸ばした。けれども怒りに顔を歪めた仲間の服を、掴むことはできなかった。
仲間の一人が『戦竜機』に網を投げた。一部であるが、竜の鱗で作られた糸が使われているため、多少は敵を拘束できる網。巨大な『戦竜機』であるが、網の大きさはぎりぎり足りた。網に絡まり『戦竜機』はぎぎぎと声を漏らす。その間に、男達は槍を突きたてようとするが、紫色のガスが爆発する。瞬く間に木々の間を埋め、視界も濁していく。
「毒ガスだ!」
誰かの声。その声は咳き込むものに変わる。
「マスクをつけろ! 吸い込んじまった者は薬を!」
言われる前に、ゲルトはマスクを取り出すと身に着けた。完全に防ぐことはできないだろうが、多少はガスの中にいられるであろうマスク。皆が慌てて身に着ける。
その隙に『戦竜機』は網から抜け出していたらしい。マスクをつけて再び走り出そうとしていた目の前の仲間、その姿が突然、大きな足に踏み潰された。
ゲルトは目を見開いてそれを見てしまった。あらゆるものを裂く爪のある手。地面から離れると、ぬちゃりと血が糸を引いて、兵器の手についてしまった肉がぼたぼたと落ちる。
と、『戦竜機』が不意をつかれたような声を上げる。長い影が、その身体に刺さっている。
『竜血鉄』の槍。誰かが突き刺すことに成功したらしい。けれども『戦竜機』が怯んだのはその一瞬だけで、続いて槍を刺そうとしていた仲間を体当たりして撥ねる。そしてマスクをつけているとはいえ、長時間毒ガスの中にいることはできず、咳込み動けなくなっていた仲間を、鋭い爪が切り裂いていく。
気付けば、毒ガスの中に立っている人影は、ゲルトだけになっていた。
『戦竜機』が振り返り、最後の獲物に瞳をぎらつかせる。
逃げないと。この危機を伝えないと。
だがゲルトは動けず、あまりにも強大な敵を見上げることしかできなかった。恐怖に声が漏れそうになったものの、代わりに出たのは咳――息が苦しい。肺が焼けるようだ。酸素が足りない。息をしようにも咳が止まらず、毒が回り始めていた。
大きな影が、被さる。
それは『戦竜機』の手。鋭い爪のあるそれ。
手にした槍を振るうこともできない。咳き込むあまり膝をついたゲルトは、ただ見上げることしかできなかった――。
紫色が渦巻く。木々が騒めく。
……黒い影が飛び出した。あたかも、ネズミに襲いかかる猫のように。殺戮兵器の爪がゲルトを裂く前に『戦竜機』に跳びかかり、動きを制する。
黒色のそれ。『戦竜機』の方が一回り二回り大きく、体格差はあった。しかし不意打ちは十分に効いていた。『戦竜機』の声に、怯えが混じっている。
毒ガスの中、ゲルトは顔を上げた。
「黒い、竜……」
間違いなく、昨晩見た、あの黒い竜だった。生きた竜。それがまた姿を現し『戦竜機』と争い始めたのだ。
何故、と、考える余裕はなかった。ただこの隙に、逃げなくてはいけないとだけ思った。槍を杖のようについて、身体を起こす。しかし。
「――何を、やって……!」
生き物の悲鳴が聞こえて顔を上げると、黒い竜の身体に『竜血鉄』の槍が一本刺さっていた。
すぐ横には泡を吐きながらも起き上がったのだろう、仲間が一人いた。
「生きた竜だ!」
彼は喉を苦しそうに鳴らしながらも、興奮した様子で叫ぶ。
「『戦竜機』も狩ってこいつも狩れば……俺達の生活を、街の生活を、より守れる……!」
そこまで叫んだところで、彼の身体が吹っ飛んだ。『戦竜機』の長い尾が払った。彼の身体は布きれのように飛び、樹にぶつかったかと思えば落ちる。首がおかしな方向に曲がっていた。
続いて再び悲痛な悲鳴。『戦竜機』の声ではない。黒い竜のものだった。片翼の付け根、そこを『戦竜機』に噛まれていた。けれども黒い竜は痛みにもがき暴れることなく、ならばと言った様子で自身も『戦竜機』の翼の付け根に牙を立てる。
そうして両者は膠着状態となった。しかし辺りを満たすのは毒。黒い竜の、深い緑色の瞳が徐々に弱っていく――。
気付けばゲルトは走り出していた。毒への応急処置薬を飲んで。槍を強く握って。漂うガスを裂くように『戦竜機』へ向かって、槍の切っ先を突き出した。
『竜血鉄』は鱗を割るとは知っていた。それにしても易々とその巨体に突き刺さったものだから、ゲルト自身、驚いた。二本目の槍を受けて『戦竜機』が悲鳴を上げる。
その瞬間、自由になった黒い竜は体当たりをして敵を突き飛ばした。茂みや低木を巻き込みながら『戦竜機』は倒れる。
黒い竜は追撃しようとしたが、一歩踏み出したところで、苦しそうに喉を鳴らした。漂う毒は、人間だけではなく、竜すらも蝕む。
「やめておけ! 死ぬぞ!」
思わずゲルトが叫べば。
「――そうです兄様! こ、これ以上は、危険です……! 一度、一度退きましょう……!」
それは、まだ幼さが残っている少女の声だった。
上からした。上から――黒い竜の背中から。
「しかし、いまなら奴を仕留められる……!」
黒い竜は、その瞳で敵を睨み続けていた。ところが激しく咳込む。
「仕留めたところで兄様が死んでしまいます……!」
と、少女の声も、咳込み始めたかと思えば、苦しそうに喘ぎ始めた。途端に竜が目を見開く。
「フェガリヤ……?」
その間に『戦竜機』が起き上がっていた。地面を蹴れば、巨体はまるで重さがないかのように飛び上がり、襲いかかったのは。
「――あ」
ゲルトだった。
「――危ない……!」
だがゲルトの目の前にぼろぼろの布切れが割り込む。抱き付くようにしてゲルトを突き飛ばし、共に転がる。
温かさを感じた。何としてでも守ろうとする、強い意思を秘めた腕が、身体を抱きしめてくれていた。
獲物を逃した『戦竜機』が、もう一度跳びかかってくる。けれども今度割り込んだのは黒い竜だった。鳥のように滑り込んできたかと思えば、口を開き、白く輝く炎のような息吹を吐く。それに触れた瞬間『戦竜機』はひどく驚いたらしく、黒い竜から距離をとって逃げていく。
黒い竜は『戦竜機』を追わなかった。口をわずかに開いたかと思えば、器用にゲルトとぼろぼろの布に包まれた何かを牙に引っかけ、そのまま四足で森の中を駆けていく。
毒ガスが薄れていく。『戦竜機』から離れていく。
そして竜が飛び込んだのは、洞窟だった。竜の身体は大きいものの、ぎりぎり入ることができるほどの入り口。ある程度進んだところで、やっと竜は下ろしてくれた。布に包まれた何かは、そっと下ろされる。ゲルトも冷たい地面の上に転がされ、すぐに起き上がった。
そうしてやっと見た。誰が自分を助けてくれたのか。
――ぼろぼろの布きれ。それを纏っていたのは、十代半ば程であろう少女だった。苦しそうに息をし身体を震わせ、目を固く瞑っている。
しかし薄暗い洞窟の中、銀色の長い髪だけは、きらきらと輝いていた。
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