3-2 タケロウ
翔馬はビスビューでふたたび春を迎えた。
その日、昼食から戻り、いつものように来客用の廏舎をのぞくと、一頭の馬がそわそわして、しきりに翔馬をうかがうようなそぶりをみせる。
食べ物でもほしいのかと頸をなでてやると、なんともうれしそうに長い鼻面をこすりつけてくる。
瞬間、翔馬の全身を電流が貫いた。
「タケロウ! おまえ、タケロウじゃないか」
翔馬は叫んで頸にしがみついた。
そうだ、間違いない、家で飼っていたタケロウだ。翔馬が忘れても馬はおぼえていてくれたのだ。
「タケロウ、タケロウ」
涙がとまらない。ともすれば諦めそうになる心を励まし、毎日暇をみつけてはあちこちの廏舎を見てまわっていたのは無駄ではなかった。
これで姉さんの行方がわかる。タケロウをどこの誰から手に入れたのか、跡をたどっていけば村を襲った連中にたどりつける。
「この馬に乗ってきたのは誰だ。知っているだろう」
翔馬は涙を拭いて、さっきから横で呆れた顔をしている廏舎係にたずねた。
「知ってるよ」
と廏舎係はぼんやりした声で答えた。
「だから、それは誰だ」
翔馬は噛みつくように訊いた。
廏舎係は何のことかわからぬといった顔で黙っている。
翔馬は気づいて陶貨を数枚つかませた。
とたんに廏舎係の理解力が向上した。
「ユスチフさんだ」
翔馬は店の中に飛びこもうとして、ふと足をとめた。
もしそのユスチフなる人物が岩間村を襲った犯人だったらどうする。うっかり接触したら、姉さんの行方を訊きだすどころかおれの命も危ない。
翔馬は気を落着けてから店に入り、先輩の女子社員の机に行ってたずねた。
「ユスチフというお客さまは、どの方ですか」
「支店長と商談中の人よ」
翔馬は娘の視線を追った。防音
いや、速断は禁物だ。人物を見抜けなかったばかりに痛い目にあったのを忘れたのか。
翔馬はさりげなく、
「なじみのお客さまみたいですね」
「ええ、もう十年来のお客さまよ。それがなにか」
「子供の頃、おれの父がユスチフという名の人と取引していたから、もしかしたら関係があるかとおもって」
「まあ」
娘は身を乗り出した。謎になっている翔馬の過去がわかるかもしれない。ベールヘーナ姫と許されぬ恋をして鞭打たれたという噂もあって、おしゃべり仲間のあいだでこの少年に関する情報はかなりの人気があるのだ。
「ユスチフさんの顧客情報をちょっと見せてくれませんか。父の知り合いかたしかめるだけでいいんだけれど」
ストレイと親しいところをみせてから翔馬の信用度はおおいに上がり、近頃では光脳の一般情報を検索する許可まであたえられている。ふつうは二年以上勤務しなければ許されない資格だ。とはいえ、まだ顧客情報を読めるほどの権限はない。
「いいけど、かわりにあたしにも教えてくれない?」
「なにを」
娘は声をひそめて、
「君とベールヘーナさまとの、か・ん・け・い」
翔馬はためらった。たとえ作り話でもベールヘーナの名をだしたくない。
しかしこのためらいが、かえって相手に噂が真実だと確信させた。
「ね、どうする」
娘はにっこり笑った。口の両端から牙がみえるようだ。
「わかった。後で話すよ」
翔馬は降参した。
「ほんとうのことを話すのよ」
「もちろん」
話してもかまわないことだけを、と胸の中でつぶやいた。
ユスチフについての記録は思ったより多かった。
それによれば、冬の農閑期だけ地元の農民を雇って隊商を組み、南方への交易の旅をしているらしい。大きな農場主でもあるだけに、ホンやハザードより欲のない商いをしているようだ。ホンなどは、買手さえあれば母親でも売りとばしかねない男だった。現に翔馬自身も売られるところだった。
とにかくこれで、ユスチフが岩間村を襲った連中と関係を持っていないことはほぼ確実になった。
翔馬はユスチフが商談を終えるのを待って来客用の廏舎に先回りし、タケロウの馬房の前で声をかけた。
「ユスチフさん、おれはここの社員のアキツといいます。おうかがいしたいことがあります」
「なにかね」
冬季限定ながら年季のはいった交易商人だけあって、見知らぬ少年からいきなり話しかけられたくらいでは動じない。
翔馬は、ユスチフの馬がかつて奪われた自分の愛馬であったことを説明し、
「その馬を手にいれられた
ユスチフは黙って聞いていたが、
「こいつが君に甘えている様子をみると、話は本当らしいね。教えるのはかまわんよ。ええっと、あれは四年前の冬の終りだったかな。わしの隊商がブハラに寄ったとき、そこの馬市で買ったのだ。それ以前のことは、わしにもわからん」
「ブハラ――ですか」
草原地帯の東部にある交易都市だ。岩間村からどんな経路でそんな遠くまで連れていかれたのだろう。
とにかくこれで旅の行先が決まった。ベールヘーナさまには、とりあえず手掛かりがつかめたことだけでもストレイさんを通して報告しておこう。
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