天馬の回廊

天ノ川 清

第1章 岩間《イワマ》村の雨

1-1 襲撃


 翔馬しょうまは意識を取りもどした。

 真っ暗だ。仰向けに倒れたらしい。焦げくさい臭いが鼻を刺す。冷たい水滴が額をうち、鼻に沿って頬に流れた。

 起き上がろうとしたが、誰かに押さえつけられていて体が動かない。背中が水にかっている感覚がある。

 そうだ、ここは家の地下貯蔵庫だ。まだ頭がぼんやりとしている。

 どうやら押さえつけられているのではなく、胸から腰の下まで何か大きな物がのっているらしい。そのわりには圧迫感はない。手も少しなら動かせる。

 さぐってみた。体の上に覆いかぶさっているのは木の棚のようだ。

 思い出した。よじ登ろうとして棚ごと倒れてしまったのだ。床がくぼんでいなかったら潰されていたかもしれない。こんなところを父さんか母さんに見つかったら、また叱られる。

「お姉ちゃーん」

 わっと声が響く。しまった、母さんにきこえてしまう。

 瞬間、頭の中の霧が吹き払われ、体が凍りついた。なぜこんな所にいるのか、はっきりと記憶がよみがえったのだ。

 あれは廏舎のわらを換えているときだった。

 急に外が騒がしくなった。人の叫び声にまじって、はじけるような乾いた音がする。

 翔馬は熊手を捨て、壁にかかっている陶製の草刈り鎌をとった。

「タケロウ、カイザン、ちょっと待っていろよ。見てくるからな」

 と仔馬に声をかけ、外にとびだした。

 晴れた秋空の下、収穫のすんだばかりの乾いた刈田がひろがっている。壁のようにそびえたつ峰々の上に、縁の欠けた満月が、磨り硝子ガラスをはめこんだように浮かんでいる。

 最初に眼に入ったのは西隣の加地さんの家だ。煙と赤く猛々しい炎に包まれていて、この岩間村でいちばん大きな栗の樹の枝葉に火の粉をふりかけている。馬に乗った影が三騎、輪乗りしながら炎の中に銃を撃ちこんでいる。

 見まわすと、あちこちで農家が煙を上げていて、防弾外套シダル・パルトを着た男たちが馬で走りまわりながら銃撃をくわえている。

 突然、集会所の隣にある共同倉庫の扉が開き、浮揚筏ラフトが滑り出た。村に一台しかない自走貨物筏トラックだ。

 地面から一メートルほど浮き上がったまま、ラフトは速度をあげて騎馬の男たちの中に突入した。慌てて散開した男たちに向けて、荷台に乗った中山さんが小銃を連射する。

 男が一人、馬からはじき落とされた。だが彼らはすぐに態勢をたてなおし、筏に銃撃を集中させた。

 中山さんが肩を吹き飛ばされ、荷台の中に倒れた。運転席にも被弾したらしく、筏は宙を滑って、燃えている家に突っこんだ。火の粉が舞い上がり、家が崩れ落ちた。

 家を囲んだ賊たちが慌てて馬から下り、筏を火の下から引き出そうとする。

「翔馬、はやく母家おもやにはいって」

 叫び声に、はっとわれにかえった。納屋の前で姉の葉月ハツキが懸命に手をふり、刈田を指さしている。

 見ると数騎が散開して、家を取り囲みつつこちらに駆けてくるところだ。

 翔馬は母家に走った。

 蹄の轟きが迫る。

「はやく」

 駆け寄った葉月が、翔馬の手をとって引っぱった。

 が、数歩と走らぬうちに葉月は勢いよくころび、一緒に翔馬も前になげだされた。

「お姉ちゃん!」

  翔馬は姉の腕をとって立ち上がらせようとした。だが葉月は眼をとじて動かない。

 姉の腕を抱いて坐りこんだ翔馬のまわりに馬がとまった。

 顔を上げると、傷だらけのかぶとをかぶって焦げ跡のついた古い防弾外套をまとった男たちが五騎、冷たく光る眼で葉月を見おろしている。

 ひとりが翔馬の前に飛びおり、かがんで葉月を抱えあげようとした。

 とっさに翔馬は鎌を拾い、夢中で男の左肩の下に突き立てた。

「わっ」

 男は思わず腕を払い、そのためかえって刃が食いこんだ。

 地面に叩きつけられた翔馬の眼に、裂けた外套の袖と真っ赤な傷口が映った。

「このガキが!」

 葉月をはなした男は鞍から小銃を引き抜き、右手だけで抱えるようにかまえた。

 洞窟のような銃口が翔馬の眼の前で揺れる。

 瞬間、革鞭で打ったような音がして、男がひっくり返った。外套の胸に小皿ほどの丸い焦げ跡ができている。活性化されていない弾丸は炸裂こそしなかったが、肋に強烈なこぶしをいれたくらいの衝撃はあった。

 残りの四騎が、さっと散開した。また革鞭の音。一人がのけぞって落馬した。

「翔馬、いそげ」

 駆け寄った父が娘を抱き上げ、母家に走った。

 翔馬もしっかり鎌を握ったまま必死でつづく。

 玄関の前で母が片膝をついて小銃をかまえている。村でも五本の指に入る射撃自慢の母は、近づいた二人をたちまち馬からはじき落とし、他の騎手たちを射程圏外に退かせた。炸裂弾を活性化させても、今度は子供たちに爆風のかかる心配はない。

「怪我はどう」

 母は皆が家の中に入るのを待ってたずねた。

「血はでていない。麻痺弾を使ったらしい」

 父は葉月をそっと長椅子に横たえた。

 母は小銃の弾倉を換えながら、

「どうしてあいつら、この村に入れたのかしら」

「誰かが入口を教えたのかもしれない」

「やっぱり木原かしら」

 母がつぶやいた。

「その問題は後で考えるとして……」

 父は窓の外を双眼鏡でうかがった。

「どうやら残っているのは辻村のところとうちだけらしい。安井の娘たちが筏に乗せられている。気絶しているみたいだ。女だけ連れていく気だな」

 ふたりは長椅子の上の娘を見た。

 両親の厳しい表情が翔馬を不安にした。

 突然、窓を破って飛びこんだ銃弾が壁の棚を砕き、居間に木片が飛び散った。穴のあいた形状記憶硝子の窓は、石を呑みこんだ水面のようにたちまち元の透明な板にもどった。

 母は窓に銃口をつっこみ、窓枠に銃身をのせて二秒ほど狙って撃った。馬賊の首が爆発して兜が宙に飛んだ。きだしの喉か顔面に命中したのだ。

 包囲網が一斉に後退する。

「今よ」

「よし」

 父はうなずき、双眼鏡で馬賊たちを見ていた翔馬の前に膝をついた。

「よく聞くんだ。父さんと母さんだけでは、気絶している葉月とおまえの二人をつれては逃げられない。だからおまえは、あいつらがいなくなって父さんたちが帰ってくるまで、地下の貯蔵庫に隠れているんだ」

「みんなで一緒に隠れようよ」

「いいか、男同士の話だぞ。やつらの狙いは母さんと葉月だ。隠れたところで、見つかるまで捜すにきまっている。ふたりはここから逃げるしかないんだ」

 翔馬はうなずいた。男同士といわれて体が倍にふくらんだ気がした。

「わかった。隠れている」

「よし。いいか、どんなことがあっても三日間は出るんじゃないぞ。できれば五日以上ねばれ」

 父は食卓と椅子をどかし、藺草いぐさの敷物を巻きあげた。床板の扉を持ち上げると、地下への階段になっている。布団や服を抱えてきて下におろしてから、

「母さん、かわろう」

 と、窓辺で見張っていた母の銃を受け取った。

 母は翔馬と一緒に地下におり、冷たい石の床に断熱布と布団を敷いた。

「いい、声をたてちゃだめよ。非常食のある棚と浄水器の使い方は知っているわね。それから、わたしたちが脱出するとき、ここの入口が見つからないように家を燃やしてしまうけれど、この中は安全だから心配しなくていいからね」

「うん、だいじょうぶ。待っている」

「さすが男の子ね」

 母は翔馬の頭をなで、いきなり強く抱きしめた。

「翔馬、閉めるぞ」

 父が二重の揚板あげいたを落とすと、とたんに闇になった。食堂の暗視鏡のことを思い出したが、取りに戻るのはあきらめた。手回し発電の懐中電灯ならあるが、明かりをつけたら賊に見つかってしまうかもしれない。

 身じろぎもせずに耳をすませていると、ひとしきり炸裂弾のはじける音がつづき、やがて刺激臭が漂ってきた。

 そのうち煙が流れこみ、息が苦しくなってきた。心配しなくていいといわれたが、このままでは地面の下で窒息してしまう。

 ついには、ここで死ぬくらいならいちかばちか外に出て……と考えはじめた時、ようやく新鮮な空気が流れこんできた。

 そのうち火は消えたようだが、なおも頭上では時おり足音がする。礎石のどこかが崩れたらしく、壁の上からかすかな光が射し込む。空気はここから入ってきたのだろう。これで少なくとも暗視鏡の必要だけはなくなった。


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