政界残酷物語――あんたが大将

@pip-erekiban

プロローグ

 くる日もくる日も対戦車戦闘訓練に明け暮れる毎日だった。小銃、それも旧式の三八式歩兵銃が二人にようやく一挺。亀の子(破甲爆雷。対戦車兵器のひとつで、戦車に向かって投擲するか肉迫して吸着させ、起爆させる)だけは豊富にある。これを抱いて敵戦車下面に潜り込み、起爆させて破壊するのが、連隊に宛がわれた主任務だった。

 生還を期さない、文字どおりの「人間爆弾」そのもの。

「本土決戦の捨て石となれ」

「血の一滴になるまで戦え」

 訓練開始に先立って今日も連隊長が訓示する。馬鹿なことを言うなと思う。俺は石でないし、体液に過ぎない血の一滴になるまで戦闘を継続する術など知らぬ。

(こんなしょうもない連中が大将なんかやってるから本土決戦なんてことになるんや。やりたかったら一人でやれ。人をこんな負け戦に巻き込みやがって)

 尾長のなか勉務ひろむは内心、目の前で訓示を垂れる連隊長に有りっ丈の罵詈雑言を浴びせていたのであった。


 その尾長が、浜辺に立ってどこまでも拡がる太平洋の大海原を眺めている。

 空は青く、海は凪いでいた。

 来るべき本土決戦で、敵の上陸地点として有力視されていたひとつがこの四国沖、土佐湾岸の一帯だった。

 海を眺めながら尾長は

(来るな来るな、来てくれるな)

 と切実に願っている。大きな声では言えないが、それが本音だった。

 こうやって大海原をじっと眺めていると、いまにも海を埋め尽くさんばかりの敵艦多数が、黒煙を吐き出しながら海岸に迫ってくるような錯覚を覚える。

 小さな閃光が無数に光ったかと思うと、甲高く不気味な風切り音がこちらに向かって急速に接近してきた。尾長は戦場というものを未だに踏んだことはなかったが、この風切り音が、砲弾の飛来する音だということはすぐに理解できた。

 耳をつんざく爆音と全身を包む衝撃波。それまで晴明だった南国特有の青空が、たちまち真っ黒な爆煙に包まれた。

 宛がわれている三八式歩兵銃をためしに敵艦隊に向かって放ってみると、圧倒的な砲声の前に銃声はかき消され、我が必殺の銃弾は行方知れず。もっとも敵艦に届いたところでどうなるものでもあるまい。

 日頃の訓練の成果を発揮するどころの話ではなかった。これでは敵戦車の上陸に先立って、艦砲により当連隊が壊滅させられるのは必至であった。

 覆すべくもない圧倒的な戦力差、物量差。

 塹壕に身を潜めながら震えていると、またぞろあの不気味な風切り音が耳に飛び込んできた。

(ああ、あかん)

 逃げるいとまがない。そう直感する。

(これが、死か……)

 自身のちっぽけな肉体が巨弾によって砕かれ、血も肉も骨も、自身の身体を構成するありとあらゆる要素が浜辺の砂と混然一体になる情景が、尾長の眼前にありありと浮かんだのであった。


 それまでしっかと砂浜を踏みしめていた尾長の、その両膝が途端に激しく震えはじめる。立っていられなくなるほどの震えだった。たまらずその場に突っ伏す。次いで、けだもののような咆哮が尾長の口を衝いて出た。

 死の恐怖。

 生への執着。

 自分にこんな人生を歩ませた、国のえらい連中に対する怨嗟えんさ

 不条理を従容として受け容れるしかない己が薄命。

 すべてがない交ぜになった慟哭はしかし、一瞬でやんだ。それは本当に、一瞬のできごとであった。

 海は相変わらず凪いでいる。なにごともなかったかのようにして凪いでいる。

 自分を落ち着かせるために、二三度大きく息をつく尾長。

 ようやくにしてゆっくり立ち上がると、両膝や顔面にこびりついた砂を払い落とすこともなく、まるで足のある幽霊のように肩を落としながらとぼとぼと、尾長は海岸を立ち去っていった。


 あの巨大な戦争からいつしか半世紀以上の歳月が経過していた。四国沖に敵艦が出現することは遂になかった。期せずして戦争を生き延びることになった尾長勉務は戦後、一地方議員から身を立て、いまは小淵澤おぶち内閣の官房長官という重職についていた。

 内閣官房長官とはいわば総理の女房役であり、政局にあたっては各政党(与党含む)要人との調整、広報にあたっては総理大臣の意思を代弁する報道官、その他の所掌事務も多岐にわたり、文字どおり総理の右腕として東奔西走しなければならない内閣の要職であった。

(せやからなんや。それがどないした)

 そう思う。

 衆議院の解散権を専有する内閣総理大臣。その右腕であってみれば、自由じゆう民権党みんしゅとう(自権党)の、特に衆議院議員に対して

「常在戦場の心構えで……」

 などと訓示しなければならない立場ではあるが、当の尾長自身がその言葉を白々しいと思っている。


 なにが戦場なものか。議場や街頭で弾が飛んでくることなどないではないか。


 先の大戦では自分とさほど歳の変わらぬ若者達が戦場へと送り込まれ、その多くが生きて帰らなかった。本土決戦の前に日本は降伏し、さいわいにして尾長は死を免れたが、自身がそういった立場に身をやつしていたとしてもなんの不思議もなかったのである。

 自分がいま生きているのは偶然でしかない。本当はあのとき、四国沖を臨むあの砂浜で、砲弾に砕かれて四散していてもおかしくなかったのである。

 だからこそ思う。

 いま自分がついている国政議員という立場も、内閣官房長官という重職も、自分を取り巻く何もかもが偶然の産物に過ぎないのだと。

「自分でなければならぬ」

 そのような必然性など微塵もないのである。

 確固としてあるのは次のような思いであった。

「若者を戦場に送り出すような政治家をトップに据えてはならない」

 政治家尾長勉務の信念であった。

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