サイレントナイト
仲津麻子
第1話サイレントナイト1
駅のホームに下りたところで、
なんだ、これは。
いつもは、疲れたような顔をしたサラリーマンが、似たような灰色のコートをなびかせて行き交っているホーム。それが今夜は異常に明るい。
多くの人の手に、赤や緑の可愛らしいイラストが描かれたケーキ箱が提げられていた。
ああ、今夜はクリスマスイブか。
思い当たって、すこし微笑ましいような気がした。
いつもは、どこかで一杯引っ掛けて、愚痴の一つも吐き出してから、ようやく帰宅する夫たちが、今夜ばかりは、息子のため、娘のために、クリスマスケーキを買って帰るようだ。
家では奥さんが、特別のご馳走を作り、子供たちがパパの帰りを心待ちにしているのだろう。
快速電車は到着していて、すでに座席は埋まっていた。
ここでも五、六人に一人くらいの割合で、膝にケーキ箱を乗せて、目をつぶっていたり、欠伸をしていたり、片手で文庫本を掲げて読んでいたり。
茉莉は座るのをあきらめて、中ほどのつり革につかまり発車を待った。
午後六時を過ぎたところで、まだ少しラッシュ時には早い。ギュウギュウ詰めの満員電車では辛いけれど、三十分の辛抱だ、これくらいの混み方なら我慢できるだろう。
ホームの向かい側の線路に、上りの普通列車が入って来た。これは乗客の乗降がすんだら、折り返し東北方面へ向かう長距離電車だ。
大きなボストンバッグを抱えている老夫婦、クリスマスを東京で過ごすのだろうか、楽しそうに手を繋いで歩くカップル。走り出そうとする子供を捕まえて小言を言っている女性。
さまざまな人達が目の前を通りすぎ、茉莉は電車の窓越しにぼんやりと眺めていた。
茉莉の横に誰か立ったような気配がしたが、発車の合図の電子音が響いてきたので、気にすることもなく、外を眺め続けていた。
一度ガタンという音がしたが、たいした揺れもなく、電車が走り出した。
駅を出てホームの照明が遠ざかると、窓の外は闇に包まれていて、星がいつもより輝いて見えた。
クリスマスだもの、デートする恋人たちにとっては晴れて良かったじゃないかな。
茉莉は人ごとのように考えながら、先ほど手を繋いでホームを歩いていたカップルを思い出した。
ハロウィンもクリスマスも、茉莉にはあまり関係なかった。
親からは、浮いた話の一つや二つや三つくらいないのかと、からかわれるが、ホントにないので答えようもない。
まあ縁があれば考えるかもしれないけれど、今の職場、同年代の子いないからな、と思った。
今のところ一人で生きて行けるくらいにはお給料が出ているし、恋愛もエネルギーがいるから、面倒臭い。
「あれ、失礼、違ってたらすみません。もしかして茉莉か」
頭上から声がしたので、あわてて上を見た。
見覚えのある顔がそこにあった。
幾分日焼けして逞しい体つきになっていたが、大学時代の演劇部での同期生、
ただ、彼は卒業を半年後に控えた頃に自主退学して、いつの間にか姿を消していたので、四年生の夏休み前の部活で会ったきりだった。
「ええっ、有賀君」
「おう、ご無沙汰」
「ほんとに、久しぶりだね、こんなところで会うなんて、ビックリだ」
「だな」
有賀は持ち前の人なつこい笑みを浮かべた。
彼は演劇部でも常に主役級の配役がつくような人気者だった。いつも女の子に囲まれていたし、確か可愛い恋人もいたはずだ。
それに比して、茉莉は役者ではなく、台本を役者に合わせてリライトしたり、オリジナルのストーリーを創作したりと、文芸スタッフ兼雑用係と言ったところだった。
「茉莉はこの沿線なのか」
「そう、川を渡った先の終点だけど」
「なる、取手か、オレは松戸」
「ええ、この沿線だったの、知らなかった。それより実家へもどったとばかり思ってたよ」
「おっと」
有賀は、電車が揺れてバランスを崩しそうになった茉莉の肩を支えてから、またすぐにつり革に手をもどすと、窓の外を眺めた。
「まあ、色々あってさ。二週間前、越してきたんだ。こっちへ」
「そうなんだ、有賀君のことだから、新宿方面のイメージだったけど」
「なんだ、そりゃ」
「だって、こっち方面は地味だよ」
「何言ってんだ」
有賀はおどけたように眉を上げて笑った。
感情表現がうまいな、と、茉莉はぼんやりと思った。どこまでが本気で、どこまでが演技かわからない。
普通の人なら、彼の明るさに引き寄せられて、気がつかないかもしれなかったが、あのちょっとしたトラブルが茉莉のトラウマになっていて、有賀が見たままの、屈託の無い人柄には思えなくなっていた。
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