第23話 弓
アルフレッド様は、毎日私の部屋を訪れてくださるようになった。
私はその時間を心待ちにするようになっていた。
だから今日来てくださった時もとてもうれしかったのだけれど。
「アルフレッド様。どこか具合でもお悪いのですか?」
隣に座るアルフレッド様は、最初のころのように表情が硬い。
「いや。特に悪くはない」
「そうですか……」
そこで会話が途切れる。
なんだか今日はよそよそしい感じがするし、以前に戻ってしまったみたいだわ。
「もしかして、私が何かしてしまいましたか?」
ぴくりとアルフレッド様の体が動く。
やがて、長い溜息をついた。
「いや……違うんだ。そうじゃない。君は何も悪くない」
「それならいいのですが」
何か悩み事でもあるのかしら。
でもきっと無理に聞き出そうとするのは良くないわよね。
私はアルフレッド様が再び口を開くのをじっと待った。
「今日の訓練所の視察は、楽しかったか?」
「はい。ああいった訓練を見たことがなかったので、とても新鮮でした。私もクロスボウだけでなく弓も覚えたいという気持ちがわいてきました」
「何故だ?」
「クロスボウは連射ができないので……。私の筋力では弓で威力を出すのも弦を引き絞ったまま狙いをつけるのも無理だからとあきらめていましたが、おかげ様で健康になってきたので、そちらも挑戦してみようかと」
「そうか。何事も挑戦してみようという君の姿勢は好きだ」
「ふふ、ありがとうございます」
「そういえば、……副団長のカインは弓の名手だ。剣技はともかく弓ではかなわない」
「そうなのですね。是非習ってみたいものです」
再度、ぴくりとアルフレッド様の体が動いた。
「昼間、カインと話していただろう。どんな話を?」
「騎士たちの話など、ちょっとした雑談です」
なぜそんなことを聞くのかしら?
「そうか。あいつは話上手だろう。女性にも優しい」
「え? ええ、そうですね」
たしかに丁寧ながらも気さくで話しやすい方ではあったけれど。
なぜカイン卿の話に?
「おまけに顔もいいだろう。君はやつをどう思った?」
「……? どう、と仰いますと」
「いい男だとか……」
何を仰りたいのかよくわからないわ。
なぜカイン卿の話ばかりするのかしら。話し上手だとかいい男だとか、褒めるようなことばかり。
……まさか。
「アルフレッド様。まさか再婚相手候補としてカイン卿のお話をされているのですか」
アルフレッド様がすごい勢いでこちらを向く。
「ち、ちがう。決してそんなんじゃない。そんなんじゃないから、その無表情をやめてくれ」
えっ、私無表情になっていたのかしら。
だめね、再婚の話をされてしまうとどうもおかしくなってしまうわ。
「そうですか。私の勘違いだったようで、失礼いたしました」
口元に笑みを浮かべると、アルフレッド様はようやく安心したように息を吐いた。
「君があいつと再婚してほしいだなんて少しも思わない。ただ、あいつは男である俺の目から見ても魅力的な男だから、君が……どういう風に思ったのか気になったんだ」
「そうなのですね。まだ少しだけお話ししただけですしよくわかりません。ただ弓の名手という点は興味があります」
そう言うと、アルフレッド様は苦笑した。
フローラらしいな、とつぶやいた気がした。
たしかに美男子で話しやすい方とは思うけれど、私にとって魅力的なのはアルフレッド様……って、私ったら何を考えているの。
そんな風に考えたって、アルフレッド様は困るだけなのに。
そう考えると、また胸が痛んだ。
その痛みを振り払うように小さく首を振る。
「私も弓の練習をしてもいいでしょうか。騎士の訓練の邪魔にならない時間にしますので」
「君がそうしたいというのなら。早朝なら騎士たちの訓練はやっていない。たまに自主的に訓練する者がいるくらいだ。怪我だけはしないよう気を付けて」
「はい」
隣を見ると、アルフレッド様が優しく微笑みながら私を見ていた。
その表情にドキッとしてしまう。
最初のころから比べると、ずいぶんと優しい表情をしてくださるようになったわ。
そのことがとてもうれしくて、同時に切なくなった。
まだ朝もやのかかる早朝。
私は騎士たちの訓練が始まる前の訓練所の広場に、ラナとともに訪れていた。
背には矢筒、手には弓。
矢をつがえて弦を引き絞り、的に向かって射る。
……けれど、的には当たらずにへろへろと落ちた。
「難しいわね……」
もう一度射てみるけれど、やっぱり的に当たらずに落ちてしまった。
「私の引き方、やっぱりおかしいかしら」
「私は素人なのでなんとも言えませんが、もう少し体を真っすぐにされるとよろしいかと」
「体をまっすぐ……」
それを意識して射た矢も、やっぱり的には届かなかった。
「一番弦の張りの弱いものを使ったのだけれど、筋力が足りないのかしら」
ラナもうーんと考え込む。
足音が聞こえてそちらを見ると、騎士の宿舎からカイン卿が出てきたところだった。
「おはようございます、奥様。こんな早朝から練習ですか?」
「おはようございます。騎士様たちの邪魔にならないようにと……」
カイン卿が的の前に落ちた矢をちらりと見る。
うう、恥ずかしいわ。弓の名手という人の前で、こんなに素人丸出しの結果を見られるなんて。
「弓を始められたのはいつ頃ですか?」
「ちゃんと練習するのは今日が初めてです……」
思わず赤くなってうつむいてしまう。
「初めてでこれならお上手ですよ」
カイン卿が優しく微笑する。
騎士団の副団長という立場の方だけれど、その容姿も立ち居振る舞いも貴公子といったほうがぴったりくるのかもしれない。
人当たりもいいし、きっと多くの女性に好かれる方なのでしょうね。
「弦を引いてみていただけますか?」
「あ、はい」
言われた通り弦を引く。
「少し前のめりになっているので、まずはそれを直してください。あとは弦をもう少し引くのですが、腕の力ではなく背中で引くようなイメージで」
一度手を緩めて、言われたことを意識しながら矢をつがえて再度引き直す。
「そうです、そのまま狙いをつけて放ちます。ぶれないようお気をつけて」
手を離すと、矢は先ほどよりも速く真っ直ぐに的へと向かい、的の端のほうに当たった。
「!! あ、当たりました!」
「おめでとうございます奥様」
カイン卿がにっこりと笑う。
ラナもパチパチと手を叩いてくれた。
「奥様は弓の才能がありますよ。あの程度のアドバイスで的に当たるようになるとは」
「弓の名手と言われるカイン卿に言われると恥ずかしくなってしまいます」
「ご謙遜なさらずに。今日が初めてとは思えません」
「クロスボウでしたら狩りをできる程度の心得はありますので……」
「それは素晴らしい。さらに弓も習得しようとは、努力家でいらっしゃるのですね」
女が弓なんてと思っている様子もなく、優しく微笑んで褒めてくれる。
アルフレッド様がカイン卿を魅力的と仰っていたのもうなずけるわ。
「私は少し離れたところで弓の訓練をしています。何かお聞きになりたいことがありましたら遠慮なく声をおかけ下さい」
「ありがとうございます」
そう言ってカイン卿は私から離れ、黙々と弓を射始めた。
私よりもずっと的から離れて弓を射ているのに、どれもこれもほぼ的の真ん中に当たっている。矢の速度も凄まじく、あんなに離れているのに一瞬で矢が的に届く。
そして姿勢の美しさ。私もあんな風に射ることができるようになるかしら?
……見とれていても仕方がないわね。
あんなに上手な方の近くで訓練というのも気が引けるけれど、素人なのはカイン卿もわかっているのだから気にしないようにしなきゃ。
私も矢をつがえ、弦を引き絞った。
上手になったら、アルフレッド様に見てもらおう。
そんなことを考えると、自然と口元に笑みが浮かんだ。
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