第15話 兵農分離×納税改革


 小領主たちを武力制圧した信長は、続いて農民たちの負担を軽くするべく、徴兵制を廃止して、志願制に切り替えた。おかげで戦の怖い人は戦に出なくて済み、作物作りに専念することができるようになった。


 その一方で、農民の次男三男にとってはまたとない好機だった。


 お家事情は武士も農民も変わらず、畑は長男が継ぎ、次男以下の弟たちは大人になると、長男の小作人という立場だった。


 常備兵になれば足軽、最下級ではあるが武士になれるし、手柄を立てれば恩賞や出世が見込める。一生を長男の小間使いで終わるしかなかった彼らからすれば、夢のような話だ。


 両親や長男からすると、人手を取られたようにも見えるが、貧しい農民は元から兄弟の一部を出稼ぎに出すことがあるし、自分たちは徴兵されず畑に専念できる。それに納税改革のおかげで、収穫した米を換金する手間は免除されている。


 結果、領内中の農民たちは信長を厚く支持するようになり、新当主万歳と声を上げた。


 そして桜の花弁が散り、初夏の訪れを感じさせる五月。関所撤廃、兵農分離、納税改革に続き、最後の政策、印象操作が開始された。


 この時代、人々の信仰心は平成よりも強く、想像以上にゲン担ぎを重視した。


 先祖供養をしている寺とのお付き合いのある人は、仏法の敵である第六天魔王、天魔と呼ばれる信長を支持していますと、表立って言えない人もいる。


 しかし信長は、逆に自身の仇名『第六天魔王』を利用した。


 ある日。利家と慶次、秀吉の三人は、領内のとある町へ赴くと、比較的富裕層の多い、表通りへ足を運んだ。そして慶次が景気よく呼びかける。


「さぁさぁみなさんお立合い! 我は前田慶次、織田家の新当主信長様の家臣でございます! 本日は皆さまに我らの主、信長様のことを紹介しに参りましたぁ!」


 慶次の声に釣られた人たちに、利家と秀吉はビラを配った。


 そこには関所撤廃に通行料通行税の免除、兵農分離による徴兵制の廃止と志願制の導入による農民の負担減など、信長の実績がしたためられている。


「ご存知の通り、信長様は真紅の右目を持ち第六天魔王の名で呼ばれるお方ですが、それを不吉と呼ぶのはみなさん! それは仏教というものをわかっておられない!」


 慶次は落語家のように軽快な口調で舌をまわしながら、周囲の人々の注目を集める。


「そもそも皆さん、第六天魔王、通称天魔とはなにかご存知ですか? 仏法の敵で魔王なんだから厄病神みたいなものだろうとお思いでしょう? でも違うんですよ。実は第六天魔王とは本来、欲望と快楽をつかさどる神様なのです。じゃあなんて魔王なのかって? 皆さんお忘れですか? お坊様はみんな物欲を捨て悟りを開くことを目指しています。だから欲望や快楽をつかさどる神は悟りの妨げになるということで魔王と呼んでいるのです。でも皆さんはお坊様じゃあないですよね? むしろ美味しいもの食べたいし楽しいことしたいし楽な生活がしたいですよね?」


 慶次の説明に、町人たちは『確かにそうだ』『俺ら僧侶じゃねぇしな』と得心する一方で、一部の町人は納得していないらしい。その理由を、慶次は知っている。


「それにですよ皆さん。実は仏教の世界では悟りの邪魔をする第六天魔王ですが、むしろ彼の与える試練を乗り越えるからこそ悟りを開ける必要悪という考え方もあるのです。だから仏教への信仰心と天魔と呼ばれる信長様を支持することは何も矛盾しません。どうぞお寺との付き合いを続けてください!」


 今度は誰もが『言われてみればそれもそうか』『試練なかったら鍛えられないよな』『天魔って悪くないじゃん』と噂しあう。


 続けて秀吉が、胡散臭い顔でビラを配りながら声を上げる。


「御覧の通り信長様はみなさんの暮らしやすい国作りに邁進中ですみゃ! なのに仏教に疎い親戚たちは信長様に反旗を翻し当主の座を狙ってきているのみゃ!」


 秀吉の説明を、利家が引き継ぐ。


「あたしたちは己の野心のために信長様を陥れる悪漢共を退治して、尾張全土にこの政策を広げるわ! だからみんな、信長様の応援をお願いね!」


 みんなはビラの実績を眺めながら喉を唸らせる。

 結局のところ、人間とは欲望に忠実な生き物だ。


 積極的な経済政策で、物理的に自分たちの生活がよくなるなら、当然信長を支持する。


 懸念材料だった不吉な天魔という噂も、ここまで論理的に説き伏せられては関係ない。


 自分たちの生活を楽にしてくれる政治家を、合法的に応援できるなら、町人たちに断る理由はない。


 商人たちが隣近所とささやき合う。


「おい、尾張中の関所が撤廃されたら、領外からの仕入れ値も下がるぞ」

「運賃が下がれば、遠隔地との取引もしやすくなるな」

「ここは是非、信長様に尾張を統一してもらって、尾張中の関所を撤廃してもらわねば」

「それにいまの説明を聞く限り、寺社との摩擦もあるまい」


 いい感じに信長支持の空気ができたところで、秀吉は持ってきた風呂敷を開封。風呂敷のなかは、和紙で個包装された小さな切り餅だ。


 それを新築祝いや神社のモチ投げよろしく、景気よくみんなに投げ散らすと、町人たちは喜んでそれをキャッチする。


「織田家の新当主、第六天魔王信長様をどうぞよろしくおねがいするのみゃ!」

「庶民の味方! 物欲と快楽をつかさどる福の神、天魔はいつも皆さんと共に!」

「その代わり、あたしら信長魔王軍は、尾張を統一するため悪鬼羅刹となって戦うわ!」


 庶民には福の神、その庶民に害成す敵には悪鬼となる魔王、それこそが織田信長である、と秀吉、慶次、利家の三人は吹聴。


 町人たちは諸手を挙げて笑顔になる。


『まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう! まっおっう!』


 その日、町中に魔王コールが鳴り響いた。同様のことは他の町でも行われており、領内における信長の支持率はうなぎのぼりに上がった。結果……。

 

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