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 今のヴィストコートの道場主の名は、マカツ・ヨソギ。

 実は、新たな当主として顔を合わせた当時の彼への評価は、正直に言って然程に高い物ではなかった。


 ヨソギ流は剣術の流派だが、ヴィストコートの道場は冒険者に寄り添う姿勢が強く、今では槍や弓、その他の武器の扱い方や体術に関しても教えてる。

 同じくヨソギ流の分家ではあるけれど、刀に回帰したヨソギ一刀流とは、真逆の方向に走ったのがヴィストコートの道場だ。

 そしてマカツは、片手剣も両手剣も、槍や打撃武器、弓に盾の扱いも、どれも不得手がなく、逆に言えばどれも得意がなく、満遍なく扱える剣士だった。

 いや、もはやそれを剣士と呼ぶべきなのかは、僕には少し疑問だけれども。


 個人的な事を言うならば、僕はヨソギ流の剣士にはやはり剣の類を得手として欲しい。

 何故なら僕自身がヨソギ流の剣士であり、剣技に対しての拘りがあるから。

 尤もこれは先程も述べた通りに個人的な思いであり、マカツを高く評価しなかった事とは、あまり関係はない。

 これまでにもヴィストコートの道場主には、剣よりも実は他の武器を得手とする者が、幾人かはいたし。


 ただマカツは、剣だけでなく他の武器も特に得手とする物がなかった。

 もちろん、別にそれらを扱う技術が低い訳じゃない。

 技量の足りぬ者が道場主に選ばれる筈もないだろう。

 マカツはヴィストコートの道場で扱う全ての武器にそれなりの技量を示しながらも、飛び抜けた物を何一つとして持たなかった。

 つまりは全てが無難だったのだ。

 武器の扱いだけでなく、道場主としても。


 実力、性格、指導力、全てが無難で、及第点。

 際立った何かはなく、目立つ欠点もない。

 無難だからこそ当主となる事に反対はしないが、無難であるが故に高い評価もしなかった。

 それがマカツ・ヨソギという、今のヴィストコートの道場主だった……、筈なのだけれど。


 道場に到着し、マカツの対面に座した僕は、思わず目を細めてしまう。

 何故なら今の彼は、燃え盛る炎のような熱量を、周囲に向けて発散していたから。

 あぁ、それは当然比喩であって、実際に熱を放ってる訳ではない。

 だがそう錯覚するくらいに、今のマカツは強い気迫を纏ってる。

 以前の彼とは、まるで別人のように。


 当主として過ごした十二年が、マカツを成長させたのか。

 或いは、人の中には窮地に追い込まれる事で真価を見せる者もいる。

 マカツがそのタイプだとしたら、今、この状況が彼の真価を引き出したのか。


 ちなみに、恐らく僕は真逆のタイプで、平時はよくとも窮地には弱いだろうと自分では思う。

 何故なら、大抵の物事は僕にとって窮地じゃないから、長く生きている割には本当の窮地に遭遇した経験が極端に少ない。

 それ故に本物の窮地に陥ったなら、焦りや思い込みで判断を誤りかねなかった。

 長く冒険者をやってたアイレナは、平時も窮地も変わらず最大限の力を発揮できるみたいだけれども。


「相談役殿のお心遣い、感謝の念に堪えません。されど我らに、この町を退去する意思はありませぬ」

 僕がヴィストコートの道場を訪れた用件は、彼らがこの町を出る心算なら、ヨソギの国であっても別のどこかであっても、そこまでの護衛を務める為だった。

 仮にマカツ達がヴィストコートを出たとしても、ルランタ国がそのまま見逃してくれる可能性は高くない。

 確かにヴィストコートの道場は、ルランタ国にとって燻る大きな火種だ。

 しかしマカツが門下生を率いてヨソギの国に合流すれば、少なからぬ戦力が敵対国へと移る。

 マカツ達が町を出た事を口実に、捕縛、殲滅を目論む事は十分に考えられた。


 だからこそ僕は、彼らを護衛し、安全に望む場所へと運ぶ心算だったのだ。

 僕が同行すれば、人間には通れぬ森であっても、開けた道と変わらないから。

 なのにマカツは、僕の申し出に何故か首を横に振る。


「状況は、わかってるよね? このままだと君達は、遠からずこの国に潰される事になる」

 二百年以上もこの地に根を張っている道場だから、ルランタ国も簡単には排除できない。

 特に今は、国が成立したばかりでルランタ国にもあまり余裕はない筈だし。

 けれどもルランタ国の政情が十分に安定すれば、多少の住民の反発は無視してでも、放置できない火種は必ず取り除こうとするだろう。

 いや、逆にルランタ国の政情が悪化した場合でも、火種の爆発を恐れて強硬策を取る可能性はある。


 いずれにしても、マカツ達がこの町に留まる事に関しては危険しかない。

 僕が護衛を務めると言ってる今こそが、町を出る絶好の機であると、わからぬ筈はないだろうに。


「それでも、です。この国が興ったばかりだからこそ、我らはヴィストコートを動きませぬ」

 マカツの返答には迷いがなかった。

 既に自分達はそう決めたのだと、言葉以上に目が語る。


「ヴィストコートは大樹海の魔物に対する備えの町。ここが揺らげば、戦乱の気配に惹かれた大樹海の魔物が、ルードリアの地に流れ込むかもしれません」

 あぁ、それは確かにそうだろう。

 人の死は魔物を招く。

 それは新しい人が死ぬ度に歪みの力が発生するってだけじゃなくて、既に存在してる魔物も、血の匂いや戦いの気配に惹かれるって事だ。


「それを防ぐのは冒険者であり、その冒険者に寄り添うのがこの道場の役割。相談役殿が他の誰よりもご存じの通り、この道場が生まれた時から、我らはそうしてまいりました」

 確かに、それは僕が一番知ってる。

 何しろ僕は、実際にこの目でヴィストコートの道場がどんな道を歩んだのか、それを見て来たのだ。

 この道場を建てたミズハに、いずれ生まれるかもしれない新しい剣を見届けて欲しいと言われてから、ずっと。

 ……或いは、今がその時なのだろうか。


「その役割こそが我らの誇りであり、我らは誇りを捨てて町を離れるよりも、ヨソギの名を捨てる事を選びます。……ヨソギ流の相談役である貴方には、ずっとお世話になりながら、本当に申し訳なく思いますが、我らはそう道を定めました」

 そしてマカツが口にした結論は、ヨソギとの決別だった。

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