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僕に問われ、名乗らなかった非礼を詫びつつ教えてくれた人魚の名前はバージット。
どうやら彼女は、随分と長く顔見知り以外に会う事がなかった為、名乗りをすっかり失念してしまっていたらしい。
以前はこの島にも船がやって来て、見知らぬ相手に名乗る機会も多かったが、百年以上も新しい船が来なければ、まぁそれもやむなしである。
ちなみにバージットは、このヴィザージュ島に住む三百人程の人魚の纏め役だ。
つまりは、まぁ、長老とか村長のような存在になるのだろう。
さて、僕がヴィザージュ島にやって来た目的を話せば、この島の人魚の代表である彼女との交渉は、予想外な程にスムーズに進む。
というのも、人魚は自らの同胞を非常に大事にする種族で、その対象は遠い扶桑の国に暮らす人魚にも及ぶから。
要するにミズヨが僕に感じた恩を、バージットは我が物のように考えて、非常に好意的、協力的に話を聞いてくれたから。
尤も、それでも人魚に助けを求める以上は、無償で働いて貰うという訳にはいかない。
何しろ南の大陸への航海は一回や二回の話じゃない上に、このヴィザージュ島の人魚のみならず、他の場所に住む人魚の手助けも必要なのだ。
当然ながら然るべき対価は支払わなければならない。
でもこの辺りの人魚達は海に持ち込めない地上の品々を必要とせず、
「以前の、なんとかって国の船乗り達にも頼んでいた事なんだけれどね、お前さん達には陸の上の、魔物の巣にある卵を壊して欲しいのさ」
その代わりに頼まれたのは、少し変わった形の魔物の駆除だった。
何でも人魚が暮らす島には、水陸両棲の魔物が棲み付く事が多いという。
そうした水陸両棲の魔物は、人魚にとってかなり深刻な脅威となるらしい。
相手が海のみに生きる魔物なら、人魚も自分達で駆除を試みるし、どうにもならぬ大型の魔物が相手ならその生息域を避けるだろう。
だが水陸両棲の魔物は、追い詰められると人魚が上がれぬ陸へと逃げるし、陸上に巣を作って卵を孵し、数を増やして襲ってくるのだ。
あぁ、僕がこのヴィザージュ島に幾つも感じた魔物の気配も、その水陸両棲の魔物だったのか。
故に人魚達は、陸上からもその水陸両棲の魔物を追い詰める手を求めてた。
以前に南の大陸と交易をしていた国々は、人魚達の魔物退治を手伝う事で、彼らの信頼を勝ち取り、水先案内を頼んだのだろう。
なるほど、ならば話は簡単である。
僕らも先人に倣って、取り敢えず今回は僕とアイレナが人魚の暮らす島々を巡り、魔物の数を減らすとしようか。
そうして人魚の協力を取り付けておけば、次回からは南に向かう船に魔物と戦える人員を乗せておき、魔物退治をさせればいい。
昔の船乗り達が退治を行っていたならば、然程に手強い魔物ではない筈だ。
或いは、水中では手強いが、陸に上がってしまうと力を発揮できない類の魔物かもしれない。
いずれにしても僕とアイレナが先に戦えば、相手の強さも弱点も、退治に有効な戦法だってわかるだろう。
個人的には、食べたり素材を得たりする為でもない、大規模な魔物の駆除は、あまり好みではないのだけれど……。
今回は僕も我儘ばかりは言ってられない。
何しろ南の大陸の支援自体が、既に僕の大きな我儘なのだから。
いやそれでもせめて、食べられる分だけは食べようか。
水陸両棲の魔物、特にその卵の味には、些か以上に興味を惹かれる。
僕らが魔物の駆除を約束すれば、バージットは安堵の息を吐く。
どうやらその水陸両棲の魔物の存在は、本当に人魚にとって深刻な問題だったのだろう。
北と南の船の行き来がなくなって、一番困ったのは、或いは人魚だったのかもしれない。
海に暮らす人魚は、地に生きる種族のように柵や堀、防壁等で生活圏を覆い、安全地帯を確保する事が困難だ。
故に動きを察し易い大型の魔物よりも、非戦闘員が狙われるケースも多い小型の魔物にこそ脅威を感じていた。
大型の魔物が縄張りを変え、そこに人魚の生活圏が入ったならば、彼らは即座に別の場所に住みかを変える。
それは定住はしていても、自分達で安全地帯を作り上げている訳じゃない人魚の強みか。
逆に地上では、防壁を壊すような大型の魔物が間近に現れたら、どうしようもなく破壊されて蹂躙を受ける。
これも生活のスタイル、文化の違いによるものだろうか。
今、水陸両棲の魔物に被害を受けてる人魚達には申し訳ないが、僕はその違いを興味深く思う。
ただ人魚の中でも、扶桑の国で見かけた人魚と、この辺りの人魚では、随分と暮らしぶりが異なりそうだ。
例えば扶桑の国では、人魚の為に水中でも用い易い道具、武器なんかが考案されていて、人魚はそれを買う為に船を曳いたりして金を稼いでる。
まずはそこが、仕事の対価に金銭を求めないこの辺りの人魚とは大きく違った。
もちろんそれは、扶桑の国の人魚の方が特殊なのだろう。
扶桑の国は鬼と戦う為に、人間と翼人と人魚が、互いを友として認め合って生きてる国だから。
何ともやっぱり、興味深い。
またいずれ、扶桑の国を訪れてみたいなぁとは思う。
あれからそれなりの時も過ぎたし、鬼との戦いにも何らかの変化があったかもしれないし、何よりもあの地の食事は中々に美味いから。
アイレナにも食べさせてみたかった。
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